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中国最後の王朝である清王朝はなぜ急激に崩壊を迎えたのか?


中国最後の王朝である清王朝は17世紀から20世紀初頭まで、250年以上にわたって長く続きました。しかし、200年近く繁栄を重ねてきた清王朝は、19世紀半ばから急激に衰退し、1912年に崩壊してしまいます。なぜ清王朝が急激に崩壊を迎えたのかについて、オーストリアのウィーンに拠点を置く研究組織・Complexity Science Hub(CSH)が分析しています。

Structural-demographic analysis of the Qing Dynasty (1644–1912) collapse in China | PLOS ONE
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0289748


New study uncovers the causes of the Qing Dynasty's collapse
https://phys.org/news/2023-09-uncovers-qing-dynasty-collapse.html

清王朝は、1616年に女真愛新覚羅氏のヌルハチが中国東北部の満州に建国した「後金」が前身になっています。後金は1636年に国号を「清」に改め、1644年に都を北京に移しました。17世紀から18世紀にかけて中国を支配した清は、茶・陶磁器・生糸などを輸出することで経済的にも大きく成長しました。

しかし、18世紀末からその経済的な勢いに目をつけたヨーロッパ諸国に圧力をかけられるようになりました。特に茶や陶磁器を清から輸入して貿易赤字に陥っていたイギリスがアヘンを清に輸出したことで、清の国力が大きく低下。これを危惧した清王朝はイギリス商人の所有するアヘンの没収・処分を行い、イギリスとの間でアヘン戦争が勃発。民衆が圧力を増す諸外国と清に対しての不満を爆発させた結果、革命運動が激化し、1911年に起こった辛亥革命で中華民国の成立が宣言されました。そして、1912年に清の最後の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位したことで清王朝は終わりを迎えました。


CSHは、清王朝がなぜ崩壊に至ったのかという原因について研究を行いました。CSHの研究者であるピーター・ターチン氏は「清王朝の崩壊については、環境災害や外国の進出、飢餓、暴動などさまざまな要因が挙げられてきました。しかし、これらの要因はどれも包括的な説明ができていません」と語っています。

CSHによると、次の3つの要素が社会的緊張を劇的に高めたとのこと。

1:人口爆発
清では、1700年から1840年の間に人口がおよそ4倍に増加する人口爆発が起こりました。その結果、一人あたりの土地が減少し、特に農村部で貧困化が進んだとのこと。

2:エリート競争の激化
人口爆発に伴い、官僚を志望する者が急増。しかし、これに対して授与される最高学位の数が減少し、1796年に最低値に達しました。中国の官僚社会では学歴が絶対的だったため、官僚の志望者数が増加する一方で学位を取得できる枠が減ったせいで、「官僚になれないまま落ちぶれていった元エリート志望者」が急増しました。

3:問題を解決するためのコストの増加
国民1人当たりの生産性が低下し、さらに主要な輸出品であった銀の埋蔵量が低下するとともにアヘンの輸入量が増し、清の貿易赤字が増大したことで、国家の財政負担が増大しました。

国の成長によって起こった人口爆発が官僚システムの崩壊と国民の生産性低下を招き、国力が大きく疲弊したところに大きな反乱を起こしやすい状況ができあがっていたというのがCSHの主張です。


CSHによれば、清内での社会的緊張は1840年から1890年の間にすでにピークを迎えていたとのこと。ターチン氏は「清の統治者がこの社会的緊張の高まりに気付いていなかったというのは誤りでしょう。王朝が1912年まで存続していたという事実は、むしろ清王朝の制度構造の堅牢さを示しています」と述べています。

しかし、清王朝が試みた解決策の多くは近視眼的なもので、十分に問題を解決できるものではなかったとのこと。例えば、政府は官僚の受け入れ枠を引き上げているものの、肝心の募集枠は増やさず、これが社会的緊張をさらに高める結果となってしまったとCSHは主張しています。


CSHの研究者で論文の筆頭著者でもあるゲオルグ・オーランディ氏は清王朝の崩壊を分析した理由について、「私たちはこの歴史的過程から現代と未来のために貴重な教訓を引き出すことができます。世界中の多くの国が、清王朝によく似た不安定な状況に直面しています。限られた数のポストを多数の個人が争うと、少なくとも社会的不安定さの増大を招く可能性があるため、政治における意思決定者はこれを危険信号と見なすべきです」と主張しています。

CSHの研究員であるダニエル・ホイヤー氏は「残念なことに、不平等の拡大と機会減少による影響はより長期的なスパンで進行し、認識することが困難になります」と述べ、「社会的圧力を軽減するための長期的なビジョンと的を絞った戦略がなければ、多くの地域が清王朝と同じ道をたどる危険にさらされます」と論じました。

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in メモ, Posted by log1i_yk

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