「袢纏」の版間の差分
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[[ファイル:Hanten-red-2009.jpg|thumb|right|赤い綿入れ袢纏]]'''袢纏'''(はんてん)とは、
== 概要 ==
[[江戸時代]]、特に[[18世紀]]頃から庶民の間で着用されるようになった。主に[[職人]]や店員など都市部の[[ブルーカラー|肉体労働者]]の[[作業着]]として戦後まで広く使用され、労働者階級を示す「半纏着(の者)」という語もあった。種類については[[袖]]の形による広袖袢纏、角袖袢纏、筒袖袢纏、デザインの面では[[定紋]]や[[屋号]]などを染めつけた印袢纏などがある。印半纏は雇い人に支給されたり、出入りの職人などに祝儀に与えられることも多く、職人階級では[[正装]]として通用し、俗に窮屈[[羽織]]とも呼ばれた。
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File:Mannen hanten van een winkelier in inktblokken, AK-RAK-2009-3-99.jpg|印袢纏
File:Fisherman's hanten from Japan. c. 1725, Honolulu Museum of Art 4304.JPG|漁師の袢纏
File:Hikeshi hanten (fireman's jacket), 19th century, Honolulu Museum of Art.jpg|[[火消]]袢纏
File:Vegetable peddler Kusakabe Kimbei.jpg|[[日下部金兵衛]]撮影、野菜売り
File:Kusakabe Kimbei - 102 Flower seller.jpg|日下部金兵衛撮影、花売り
File:Kusakabe Kimbei - 59 Cleaning Rice.jpg|日下部金兵衛撮影、[[精米]]
File:Kusakabe Kimbei - 84. Freight Cart.jpg|日下部金兵衛撮影、荷車
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さらに[[防寒着#日本|防寒着]]の「綿入れ袢纏」があるが、同じ袢纏と言っても印袢纏とはまったく違う用途と発祥文化がある。よく知られている綿入れ袢纏は、袷(あわせ、表地と裏地の二重)にしてその間に[[木綿|綿]]を入れたもので、[[衿]]は黒[[繻子]]をかけたものが一般的である。主に室内用の防寒着として用いられ、[[男性]]・[[女性]]に限らず着用される。
== 袢纏と法被の違い ==
法被と
▲法被と絆纏の違いは服装の歴史から見てもあまりはっきりしない。江戸時代、法被は民間のものとして発達して来たものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受けつげられてきた<ref>朝倉ら、『事物起源辞典・衣食住編』東京堂出版</ref>。
▲絆纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活で着用された。江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)の代わりに法被が形を変えてその末端の所で袢纏との混同が始まったようだ。
羽織と法被では襟と袖が異なる。襟を折り返すのが羽織で返さないのが法被、羽織の袖は袂(たもと)袖となり、法被は筒袖と違いがはっきりしている。
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== 関連項目 ==
{{Sisterlinks}}
* [[
* [[丹前]](
▲*[[晒]]
* [[
* [[羽織]]
* [[万祝]]
* [[ねんねこ半纏]]
* [[掻巻]]
{{Japan-culture-stub}}▼
{{被服}}
{{DEFAULTSORT:はんてん}}
[[Category:和服]]
▲{{Japan-culture-stub}}
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