一条 重子(いちじょう しげこ、1740年5月7日(元文5年4月12日) - 1779年8月30日(安永8年7月19日)[1])は、江戸時代中期の女性。紀州藩第7代藩主・徳川宗将の継室。父は太政大臣・一条兼香。院号は明脱院。別名は愛君重子、高子[1]。
太政大臣・一条兼香の娘として生まれる[2]。その後、前妻である徳子女王の死後、1759年(宝暦9年)に紀州藩第7代藩主・徳川宗将の継室となるが、宗将との間に子供はできなかった[3]。
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