中山王国
沖縄県中頭にあった王国
中山王国(ちゅうざんおうこく)は、現在の那覇市、浦添市を中心に主に沖縄県中頭郡に存在していた王国。
概要
編集琉球王国では、中山王国を築いたのは天孫氏とされるがこれは伝説である。英祖王統に入ってから次第に按司をまとめていったものと考えられ、察度が中山王になるころまで形成されたと思われる。
浦添按司察度が英祖王統を滅ぼし、察度王統を開いた。察度は浦添に都したと考えられている。察度は、1372年に初めて中国(明)に朝貢した。察度の世子である次代の武寧は1383年(洪武16年)に「琉球国中山王」の賜印を受けている(『琉球国志略 巻四』)。ただし、冊封を受けたかどうか定かではない。
その後1406年、武寧が尚巴志によって討たれ察度王統は滅ぼされる。中山王賜印はそのまま尚思紹、尚巴志に継がれた。また、明に対して使節を送り、「武寧が没しその世子巴志が王位を継いだ」と偽りの報告をしたため、そのまま中山王位を継承する事になった。琉球統一後も、自称、他称共に王号は琉球国中山王で有り続けた。
察度王統までは浦添に都したが、察度王統が滅んでまもなく、尚巴志が首里に遷都したと考えられている。なお、尚巴志は父である尚思紹を中山王とした。第一尚氏王統の始まりである。
1416年には北山王国を、尚巴志の代の1429年には南山王国を滅ぼし、三山の統一を果たした。琉球王国の始まりである。
中山王国の王統
編集琉球統一(1429年)以降は、琉球王国となる。
参考文献
編集- 『中国・琉球交流史』徐恭生(1991)、西里喜行・上里賢一訳、ひるぎ社