大炊御門 信名(おおいのみかど のぶな)は、江戸時代前期の廷臣。

 
大炊御門信名
時代 江戸時代前期
生誕 寛文9年4月27日1669年5月26日
死没 貞享元年10月14日1684年11月20日
改名 直君→大炊御門信名
官位 正四位下左近衛中将
主君 霊元天皇
氏族 近衛家大炊御門家
父母 父:近衛基熙、母:常子内親王
養父:大炊御門経光
兄弟 家熙信名、寛守、熙子脩子
養子:経音
テンプレートを表示

概要

編集

主に霊元天皇(112代)に仕え、官位は正四位下左近衛中将まで進んだ。父は太政大臣近衛基熙。母は品宮常子内親王後水尾天皇皇女)。養父は左大臣。同母兄に関白近衛家熙、同母姉に熙子徳川家宣室)、妹に脩子閑院宮直仁親王妃)がいる。幼名は直君。

来歴

編集

近衛家の二男として生まれる。幼いころより病弱であったことが、母常子内親王の日記(无上法院殿御日記)より知られる。詳しい理由は分からないが、養父・経光の実子は、内藤義恭という人物の養子に入り、内藤義竜となっており、大炊御門家の嫡男がいなくなったため、天和2年(1682年)、信名が大炊御門家に養子に入ることとなった。天和4年(1684年)1月27日、中将となる。しかし同年10月14日に死去。享年16。

大炊御門家は内藤義竜の子経音が養子に入って継いだ。

家族

編集

系譜

編集

大炊御門家

編集

大炊御門家は、藤原師実の子である藤原経実を始祖とし、清華家の一つであった。

近衞家

編集

近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。

皇室との関係

編集

後陽成天皇男系四世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。