宗室
中国・朝鮮・ベトナムにおける皇族
解説
編集原義は、大宗の廟を指すが、転じて、天下の総元締めの義で使われた。晋代になって、士大夫の分家筋を指すこともあったが、一般的には、皇族の意に用いられている。
通常は、皇帝の父系の親族関係によって決定されるが、歴代の規定は一定ではない。
漢代の場合、皇族が成人すれば、財産分与を受け、その後の生活は皇帝とは無縁となった。ただし、徭役に関しては免除されることになっていた。後漢に入ると、宗室の末裔で疎遠になり過ぎて宗室の一員とは認められない宗族に属する劉氏一族ということで徭役の免除対象とされて属尽と称せられた。
それが、後世の宋代以降には、終生にわたり俸禄を支給された。当然、莫大な出費となり、国家財政を悪化させる一因となった。また、唐代以前は、宰相となる宗室出身者もあり、皇帝と威を競うこともあったが、宋代以後、生活が保障され、身を持ち崩す者も見られるようになった。
清朝では、宗室の扱いに親疎の別が生じ、ヌルハチの父以後の子孫は宗室と呼ばれたが、その他の親族は、宗室とは見做されず、朝廷内での扱いも異なる宗族の身分であった。
歴代の、宗室を管轄する官庁は、「宗正」・「宗正寺」・「宗人府」などの名称で呼ばれた。