岡田 英次(おかだ えいじ[1]1920年大正9年〉6月13日[1] - 1995年平成7年〉9月14日)は、日本俳優千葉県[1]銚子市生まれ。身長166cm。慶應義塾普通部を経て[2]慶應義塾大学経済学部を卒業[1]

おかだ えいじ
岡田 英次
岡田 英次
岡田英次(1954年撮影)
生年月日 (1920-06-13) 1920年6月13日
没年月日 (1995-09-14) 1995年9月14日(75歳没)
出生地 千葉県銚子市
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
配偶者 あり(和田愛子)
著名な家族 岡田壯平(息子)
主な作品
映画
また逢う日まで
真空地帯
ひめゆりの塔 (1953年の映画)
ここに泉あり
二十四時間の情事』(1959年)
砂の女
修羅雪姫
テレビドラマ
樅ノ木は残った
俺たちの旅
チロルの挽歌
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来歴・人物

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1946年村山知義の第2次新協劇団に入団。1949年に『花の素顔』で映画デビュー[1]

1950年今井正監督の『また逢う日まで』で久我美子の相手役を演じたことで一躍注目を浴びる[1][注釈 1]

「新協劇団」分裂後の1954年劇団青俳木村功らと設立。後に現代人劇場を経てフリーに。『真空地帯』『ここに泉あり』などの話題作に次々と出演したほか、1959年にはアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』に出演。世界的にも知られることに。主演した『砂の女』(1964年)は海外の映画祭やアカデミー賞で高評価された。

テレビドラマでは『樅ノ木は残った』『俺たちの旅』『チロルの挽歌』などに出演した。

その日本人離れした彫りの深い整った風貌から「和製ジャン・マレー」と云われ、親しまれた。

1995年9月14日、心不全のため死去。75歳没。

従妹は遠藤周作と結婚した。

息子は翻訳家の岡田壯平[3]

出演

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映画

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『また逢う日まで』(1950年)。右は久我美子
 
ここに泉あり』(1950年)。左は岸恵子
 
『山びこ学校』(1952年)
 
おかあさん』(1952年)。左は香川京子
 
二十四時間の情事』(1959年)

など

テレビドラマ

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など

脚注

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注釈

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  1. ^ ガラス越しの接吻シーンは戦後の自由な映画を象徴するものとして有名。
  2. ^ 遺作。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 東宝特撮映画全史 1983, p. 528, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ 普通部時代のこと”. www.music-tel.com. 2022年2月9日閲覧。
  3. ^ 【字幕翻訳者たちとの思い出】第9回 岡田壯平さん 〜字幕翻訳は死ぬまで勉強です〜 | vShareR CLUB
  4. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
  5. ^ おんなの劇場 宵待草”. 日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム. 2024年5月11日閲覧。

参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

外部リンク

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