島田秀満
島田 秀満(しまだ ひでみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。織田氏の家臣。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 秀順(ひでより、初名)→秀満 |
別名 | 所之助、弥右衛門尉 |
官位 | 但馬守 |
主君 | 織田信長 |
氏族 | 島田氏 |
織田信長に奉行として仕えた。弘治2年(1556年)8月に信長の母・土田御前から末盛城に招かれ、織田信行の降参を村井貞勝と共に信長に伝える。天正2年(1571年)4月25日に信長の命で東大寺八幡宮社人と大仏寺人の諸役を免除する。
秀満は兼見卿記(吉田兼見著)の天正3年(1575年)4月11日条に載ったのを最後に史料からは登場しなくなったため、この後、間もなく没したとされる。