怡土郡
日本の福岡県(筑前国)にあった郡
郡域
編集歴史
編集古代
編集「魏志倭人伝」に言及される伊都国に相当するのではないかとも言われる。
式内社
編集神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
怡土郡 1座(小) | |||||||
志登神社 | シトノ | 小 | 志登神社 | 福岡県糸島市志登 | |||
凡例を表示 |
近世以降の沿革
編集知行 | 村数 | 村名 | |
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藩領 | 筑前福岡藩 | 24村 | 井原村、末永村、王丸村、川原村、西堂村、瑞梅寺村、山北村、高上村、雷山村、三坂村、高祖村、飯場村、大門村、上原村、徳永村、周船寺村、飯氏村、千里村、宇田川原村、高来寺村、井田村、三雲村、篠原村、多久村 |
豊前中津藩[2] | 1町 24村 |
深江村、淀川村、深江町、松末村、石崎村、波呂村、長石村、満吉村[3]、片峰村、河原村[4]、一貴山村、佐波村、大入村[5]、長野村、飯原村、蔵持村、八島村、有田村、富村、神在村、武村、松国村、瀬戸村、川付村、小蔵村 | |
対馬府中藩 | 11村 | 岩本村、香力村、浜窪村、千早新田村、加布里村、東村、本村[6]、片山村、田中村、鹿家村、吉井村[7] | |
中津藩・対馬府中藩 | 1村 | 福井村[8] |
- 明治2年8月7日(1869年9月12日) - 府中藩が改称して厳原藩となる。
- 明治4年
- 明治8年(1875年)(56村)
- 淀川村・深江町が深江村に、佐波村・大入村が福井村にそれぞれ合併。
- 片峰村・河原村が合併して上深江村となる。
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての怡土郡が発足。「怡土志摩郡役所」が志摩郡前原村に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。特記以外は全域が現・糸島市。(8村)
- 福吉村 ← 鹿家村、吉井村、福井村
- 深江村 ← 深江村、片山村、松末村
- 一貴山村 ← 浜窪村、田中村、武村、波呂村、松国村、長石村、石崎村、満吉村、一貴山村、上深江村
- 長飯本村 ← 瀬戸村、本村、長野村、川付村、小蔵村、飯原村
- 加布里村 ← 東村、神在村、千早新田村、岩本村、加布里村
- 雷山村 ← 八島村、蔵持村、香力村、有田村、富村、三坂村、高上村、雷山村、多久村、篠原村、山北村
- 怡土村 ← 高祖村、大門村、高来寺村、川原村、王丸村、末永村、西堂村、瑞梅寺村、井原村、三雲村、井田村
- 周船寺村 ← 千里村、宇田川原村、飯氏村、周船寺村、徳永村[大部分]、志摩郡女原村(現・福岡市)
- 飯場村が早良郡内野村、上原村および徳永村の一部が志摩郡今宿村の一部となる。
- 明治23年(1890年) - 長飯本村が改称して長糸村となる。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「怡土志摩郡役所」の管轄区域をもって糸島郡が発足。同日怡土郡廃止。
行政
編集- 怡土・志摩郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治11年(1878年)11月1日 | |||
明治29年(1896年)3月31日 | 志摩郡との合併により怡土郡廃止 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 40 福岡県、角川書店、1988年2月1日。ISBN 4040014006。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集先代 ----- |
行政区の変遷 - 1896年 |
次代 糸島郡 |