文子天満宮
京都府京都市下京区にある神社
文子天満宮(あやこてんまんぐう)は、京都府京都市下京区にある神社(天満宮)。旧社格は村社。天神信仰発祥の神社であり、上京区にある北野天満宮の前身と伝えられる。登記上の宗教法人名称は文子天満宮神社(あやこてんまんぐうじんじゃ)。
文子天満宮神社 | |
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入口の鳥居 | |
所在地 | 京都府京都市下京区間之町通花屋町下ル天神町400 |
位置 | 北緯34度59分33.6秒 東経135度45分41.4秒 / 北緯34.992667度 東経135.761500度座標: 北緯34度59分33.6秒 東経135度45分41.4秒 / 北緯34.992667度 東経135.761500度 |
主祭神 |
菅原道真 多治比文子 |
社格等 | 村社 |
創建 | 947年 |
別名 | 文子天満宮 |
札所等 |
洛陽天満宮二十五社順拝 京洛八社集印めぐり |
例祭 | 例大祭(4月第3日曜日) |
地図 |
祭神
編集歴史
編集社伝によれば、大宰府(福岡県)に左遷された道真は、903年(延喜3年)に59歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子は、「われを右近の馬場に祀れ」との道真の託宣を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠を建て、道真を祀ったといわれている。これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられている。
以後、天明、安政、元治の大火で類焼したが、その都度再建され、明治に至り、村社に列せられた。現在の社殿は、1918年(大正7年)に造営されたものである。毎年4月16日に近い第3日曜日に、例祭が執り行われる。
境内
編集-
本殿
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多治比文子の像
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文子殿
現地情報
編集- 所在地
- 交通アクセス
関連項目
編集外部リンク
編集- 文子天満宮 公式ウェブサイト
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