松平頼順

江戸時代中期の常陸水戸藩主一門。従四位下・侍従、大蔵大輔、上総介、飛騨守。徳川宗堯の庶長子。実母は岡崎氏(側室)。分家2万石

松平 頼順(まつだいら よりゆき)は、江戸時代中期の水戸徳川家御連枝。

 
松平頼順
時代 江戸時代中期
生誕 享保12年7月1日1727年8月17日
死没 安永3年7月6日1774年8月12日
改名 軽麻呂→翰鄰→頼順
別名 通称:主税
官位 従四位下侍従大蔵大輔上総介飛騨守
主君 徳川宗翰治保
常陸水戸藩御連枝
氏族 水戸徳川家→駒込松平家
父母 父:徳川宗堯、母:礼武
兄弟 頼順徳川宗翰
栄、元、鐵吉
養子:頼図
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生涯

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水戸藩4代藩主・徳川宗堯の庶長子として誕生。母は岡島弥兵衛の娘礼武。幼名を軽麻呂、主税。はじめ翰鄰(もとちか、「翰」は実弟で第5代藩主となった徳川宗翰偏諱と思われる)と称した。

宗堯の長男として生まれるも、庶子のため家督は継がず、藩内で2万石を得て分家した。長男の鐵吉が宝暦13年(1763年)に2歳で死去するなど男子に恵まれず、甥の頼図(よりのり、宗翰の子)を婿養子(娘・元の夫)として迎えた。頼順は安永3年(1774年)7月6日に没し(享年48)、頼図が跡を継ぐこととなるが、頼図も安永5年(1776年)に22歳(満21歳)で早世したため、結局駒込松平家は2代で断絶した。

松下烏石に教えられた書法を、水戸藩の立原翠軒に伝える。

系譜

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参考文献

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