畝傍山

奈良盆地南部に位置する山

畝傍山(うねびやま)は、奈良盆地南部に位置するである。かつては「畝火山」、「雲根火山」、「宇禰縻夜摩」とも記され、「慈明寺山」、「御峯山」などと呼ばれることもあった[1]万葉集の中では「瑞山」(みずやま)とも詠まれた。天香久山耳成山とともに大和三山と呼ばれ、2005年(平成17年)7月14日には他の2山とともに国の名勝に指定された。標高は198.8メートルと三山の中では最も高い[1]。ただし、山頂にある三等三角点の標高は198.49メートルである。歴史的風土特別保存地区[2]にも指定されている。

畝傍山
北東側の藤原宮跡から見た畝傍山。
後方に見えるのは金剛山地
標高 198.8 m
所在地 日本の旗 日本
奈良県橿原市山本町
位置 北緯34度29分33秒 東経135度47分05秒 / 北緯34.49250度 東経135.78472度 / 34.49250; 135.78472 (畝傍山)座標: 北緯34度29分33秒 東経135度47分05秒 / 北緯34.49250度 東経135.78472度 / 34.49250; 135.78472 (畝傍山)
畝傍山の位置(日本内)
畝傍山
畝傍山の位置
プロジェクト 山
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概要

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畝傍とは「がうねる」の意味である[3]。田の畝のようにくねくねした尾根を多く持つことから名付けられたともいわれる[1]瀬戸内火山帯に属しており[1][4]、古代人がこの山を火山と認識していた可能性も考えられる。事実、頂上近くの緩い傾斜面になっている部分は、黒雲母安山岩から形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩も存在する。ただし、きれいな釣鐘型の火山のような山容を持つが、中新世に噴出した火山岩侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形である。噴火時の大きさは現在の2倍以上であったとされる[1]。中腹以下の部分は片麻岩によって形成されている。

江戸時代より以前は、山上に70以上もの寺院があったと指摘されている[3]。現代でも西麓には曹洞宗慈明寺が残る。本寺の傍に畝火山口神社がある。明治に入ってから、国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰で奉斎してきた神武天皇の「御霊」を移したとされる。付近には藤原京跡飛鳥京跡などの都城跡や数々の古墳がある。

大正時代までは山腹に洞村(208戸)が存在していたが、天皇陵を見下ろしているとして1916年(大正6年)に集団移転させられた出来事(洞村移転問題)もあった[5]

山頂への登山口は、東麓の橿原神宮側と、西麓の畝火山口神社側がある[4]。現在、山頂からは天香久山や耳成山のほか、遠く若草山なども眺望することができ[6]、その山頂には、もとあった畝火山口神社社殿跡が残る。

脚注

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  1. ^ a b c d e 橿原市/畝傍山”. www.city.kashihara.nara.jp. 2021年4月13日閲覧。
  2. ^ 国土交通省・歴史的風土保存区域及び歴史的風土特別保存地区指定状況
  3. ^ a b うましうるわし奈良 飛鳥編 甘樫丘(JR東海2012年12月11日閲覧)
  4. ^ a b 奈良県高等学校教科等研究会歴史部会 編『奈良県の歴史散歩 下 奈良南部』山川出版社〈歴史散歩 29〉、2007年、13-14頁。ISBN 978-4-634-24829-8 
  5. ^ 真実からやっと神話へ『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月1日朝刊、11版、9面
  6. ^ 「ウオーキング - 大和三山」『月刊よみっこ』第130巻、読売奈良ライフ、2012年10月、38-39頁。 

関連項目

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外部リンク

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