瞻楡県
瞻楡県(せんゆ-けん)は中華人民共和国吉林省にかつて存在した県。
中華民国 遼寧省 (中華民国)省 瞻楡県 | |
← 1915年 - 1958年 → | |
簡体字 | 瞻榆 |
繁体字 | 瞻榆 |
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拼音 | Zhānyú |
カタカナ転記 | ヂァンユー |
国家 | 中華民国 |
省 | 遼寧省 (中華民国) |
行政級別 | 県 |
政府所在地 | 開化鎮 |
建置 | 1915年 |
廃止 | 1958年 |
面積 | |
- 総面積 | km² |
人口 |
歴史
編集中華民国が成立すると、1915年(民国4年)9月14日、醴泉県の二、四、五区に新たに開化県が設置され、奉天省洮昌道の管轄とされた。1917年(民国6年)、瞻楡県と改称、1929年(民国18年)2月の道制廃止に伴い遼寧省の直轄とされた。
1932年(大同元年)、満州国が成立すると奉天省の管轄とされたが、1934年(康徳元年)12月に新設された竜江省に移管されている。
1945年(民国34年)、日本の敗戦と満州国の崩壊に伴い中華民国は施政権を回復したが、まもなく始まった国共内戦の結果、瞻楡県は中国共産党の解放区とされ、嫩江省の管轄とされ、1946年1月に吉江行政区、3月に嫩南行政区、5月に嫩江省、6月に遼吉行政区、1947年1月に遼北省、1948年7月に嫩江省、1949年5月に黒竜江省に移管されている。
1954年9月15日、吉林省に移管され白城専区の管轄とされた。1958年11月21日、瞻楡県は開通県と合併し通楡県と改編された。
参考文献
編集- 『二十四史』中華書局
- 『復旦大学中国歴史地名大辞典』(復旦大学出版社)
- 『中国古今地名対照表』(上海辞書出版社)
中国地名の変遷 | |
建置 | 1915年 |
使用状況 | 1958年に廃止 |
中華民国 | 瞻楡県 |
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満洲国 | 瞻楡県 |
国共内戦期間 | 瞻楡県 |
現代 | 廃止 |