篠田正浩

日本の映画監督

篠田 正浩 (しのだ まさひろ、1931年3月9日 - ) は、日本映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授[1]日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授[2]

しのだ まさひろ
篠田 正浩
篠田 正浩
キネマ旬報』1962年4月上旬春の特別号より
生年月日 (1931-03-09) 1931年3月9日(93歳)
出生地 日本の旗 日本 岐阜県岐阜市
職業映画監督
株式会社表現社代表取締役
早稲田大学特命教授
日本中国文化交流協会代表理事
城西国際大学客員教授
ジャンル 映画
活動期間 1960年 - 2003年 (映画監督)
配偶者 白石かずこ
岩下志麻1967年 - )
著名な家族 篠田桃紅 (従姉)
主な作品
乾いた花
心中天網島
はなれ瞽女おりん
夜叉ヶ池
鑓の権三
少年時代
写楽
スパイ・ゾルゲ
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(芸術貢献賞)
1986年鑓の権三
日本アカデミー賞
最優秀監督賞
1991年少年時代
最優秀編集賞
1996年写楽
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
日本映画監督賞
1970年心中天網島
芸術選奨文部科学大臣賞
1970年沈黙
京都国際映画祭
2016年 牧野省三
テンプレートを表示

経歴

編集

1931年3月9日岐阜県岐阜市で生まれた[1]岐阜県立加納高等学校を卒業後、早稲田大学第一文学部に進学[1]。卒業後、松竹に入社した[1]

1960年代にかけて大島渚吉田喜重とともに松竹ヌーヴェルバーグの旗手と呼ばれた[3]

早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになる。

翌年に独立プロダクションの表現社を設立。

前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の60年代後半から70年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、70年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多く、『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭銀熊賞 (芸術貢献賞)を受賞した。

1990年、『少年時代』で第14回日本アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞。

カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へは『写楽』(1995年)など3度の出品を果たした。

2003年、大作『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督からの引退を発表した。

なお、作品には妻である岩下をはじめ、浜村純大滝秀治加藤治子津村鷹志永澤俊矢などを複数回起用していた。

1986年から1987年TBS系列番組『日本が知りたい』ではキャスターも務めた。

2016年京都国際映画祭2016で牧野省三賞を受賞[4]

人物

編集

父親の篠田敏司は兄とともに岐阜市で篠田電機工場を経営[5]。妻は女優岩下志麻で、美術家篠田桃紅は従姉、義兄に広瀬嘉吉(元岐阜商長良高中央大学野球部監督)。先妻に早稲田大学時代のクラスメートだった詩人の白石かずこがいる。広島カープのファンである。

高校時代は400m走の選手だったこともあり、大学入学時に早大競走部に入部。当時の早大競走部の長距離コーチで、後にオリンピックマラソン代表の瀬古利彦を育てた中村清に長距離転向を促され、1年生で1950年箱根駅伝に出場し、「花の2区」を走った。翌1951年に足の故障で陸上選手を断念した[6](ただし、当時は3区がエース区間で、2区は現在でいうエースクラスが集う区間ではなかった)。大学駅伝に対しては強い思い入れを持っており、毎年シーズンになると熱心に観入っているという。特に箱根駅伝については「箱根駅伝は一種の神事だと思うんだ。お正月から、若者たちが箱根の山に向かって走るわけだ。たすきは各校の御輿でね。」とインタビューで答えている[7]

1965年にベ平連が発足した際の呼びかけ人になっている[8]

監督作品

編集
 
乾いた花』(1964年)
 
美しさと哀しみと』(1965年)

著書

編集
  • 『心中天網島 篠田正浩作品集』仮面社, 1970
  • 『闇の中の安息 篠田正浩評論集』フィルムアート社, 1979
  • 『駈けぬける風景』創隆社, 1980。旺文社文庫, 1984
  • エイゼンシュテイン 20世紀思想家文庫』岩波書店、1983
  • 『日本語の語法で撮りたい』日本放送出版協会NHKブックス〉、1995
  • 『映画で出会った人々』緑の笛豆本 1996。ブックレット
  • 『監督、撮らずに観る 映画館では見えてこない映画の話』ステレオサウンド、1997
  • 『私が生きたふたつの「日本」』五月書房、2003
  • 『河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶』幻戯書房、2009、新版2021
  • 『路上の義経』幻戯書房、2013
  • 『篠田正浩 映画講義』城西大学出版会、2016
  • 『卑弥呼、衆を惑わす』幻戯書房、2019

共著編

編集

出演

編集

テレビ

編集

受賞・ノミネート

編集

関連人物

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d 「監督・篠田正浩インタビュー」『宇宙船』Vol.106(2003年5月号)、朝日ソノラマ、2003年5月1日、27頁、雑誌コード:01843-05。 
  2. ^ 城西国際大学メディア学部 教授陣
  3. ^ 勝田友己によるインタビュー、山田洋次「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (4)」 『毎日新聞』 2010年1月25日、13版、5面。
  4. ^ “篠田正浩監督、京都国際映画祭「牧野省三賞」を受賞”. 映画.com. (2016年10月13日). https://eiga.com/news/20161013/23/ 2016年10月17日閲覧。 
  5. ^ 独学で電機工場を興した岐阜県電気事業の先覚者 篠田義彦日本電気協会中部支部、2015/09
  6. ^ 「私の奈良 篠田正浩3」『週刊新潮』2011念6月16日号、p.150
  7. ^ “特集:箱根駅伝:お正月の「神事」 篠田正浩さん(映画監督)”. YOMIURI ONLINE. (2013年11月19日). オリジナルの2014年6月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140621012435/http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2014/feature/20131119-OYT8T00517.htm 2014年6月21日閲覧。 
  8. ^ 月刊基礎知識 from 現代用語の基礎知識”. www.jiyu.co.jp. 自由国民社. 2019年9月29日閲覧。

外部リンク

編集