紀元前500年
年
紀元前500年(きげんぜんごひゃくねん)は、西暦(ローマ暦)による年。
世紀 | 前6世紀 - 前5世紀 - 前4世紀 |
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十年紀 |
前520年代 前510年代 前500年代 前490年代 前480年代 |
年 |
前503年 前502年 前501年 紀元前500年 前499年 前498年 前497年 |
当時は、「カメリヌスとロングスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降においてはローマ建国紀元254年とされた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前500年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ヨーロッパ
編集- ウールカ (Vulca) がウェイイのアポロ (Apollo of Veii) をポルトナッキオ (Portonaccio) 神殿に制作した。この像は現在、ローマのヴィラ・ジュリア国立博物館にある。
- オスカル・モンテリウスの時代区分によれば、この頃、スカンディナヴィアの青銅器時代(北欧青銅器時代:Nordic Bronze Age)が終わり、先ローマ鉄器時代 (Pre-Roman Iron Age) に移行したとされる。(おおよその年代)[1]
- アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がアラム語を帝国西部の公用語とすることを布告。
- テオス (Teos) から逃れてきた難民たちが、アブデラに再定住する。
アフリカ
編集アジア
編集中国
編集メソアメリカ
編集- サポテク語の最も古い文字記録。(おおよその年代)
- オルメカが聖都モンテ・アルバンを建設し、以降もピラミッドの建設を継続する。中期形成期 (the Middle Formative period) 末の紀元前500年ころに創建されたモンテ・アルバンは、終期形成期 (the Terminal Formative period) の紀元前100年から紀元200年ころにかけて、オアハカ高原一帯の広域に拡大した行政体の首都となっており、北方のテオティワカンなど、メソアメリカの他の地域国家との交流を行なっていた (Paddock 1983; Marcus 1983)。
人口
編集- 世界人口は1億人に達し[2]、そのうち8500万人は東半球に、1500万人はおもにメソアメリカ(現在の、メキシコ、中央アメリカ、コロンビア、ペルー、ベネズエラ)を中心として西半球にいたと考えられている。
芸術文化
編集誕生
編集→「Category:紀元前500年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前500年没」も参照
脚注
編集注釈
出典
- ^ Montelius, Oscar (1888). “II The Bronze Age”. The Civilization of Sweden in Heathen Times. New York: Macmillan. p. 44 2014年4月4日閲覧。(原著44ページは、ウェブ版68ページ)
- ^ 様々な典拠の推計を平均する形でアメリカ合衆国国勢調査局がまとめた資料による。Historical Estimates of World Population