綾小路家
綾小路家(あやのこうじけ)は宇多源氏の流れを汲む公家・華族だった家。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家[1]。
綾小路家 | |
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本姓 | 宇多源氏 |
家祖 | 綾小路信有 |
種別 |
公家(羽林家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
山城国 東京市渋谷区幡ヶ谷 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
歴史
編集左大臣・源雅信の子孫綾小路信有(正二位・権中納言)(1269年 - 1324年)を祖とする。兄は庭田家の祖庭田経資(正二位・権中納言。実父は藤原公直)(1241年 - 没年未詳)である。
当初の極官は権中納言。戦国時代の綾小路俊量(正二位・権中納言)(1451年 - 1518年)以降中絶。慶長18年(1613年)に五辻家から綾小路高有(正三位・参議)(1595年 - 1644年)が入り家名再興。そして綾小路俊宗(1690年 - 1770年)以降は権大納言を極官とする。
雅楽の中で郢曲や和琴・箏・笛に関する知識は庭田家ではなく綾小路家に伝わったために、以降は雅楽の師範家として朝廷に仕えることとなる。
明治維新後の明治2年に公家と大名家が華族として統合されると綾小路家も公家として華族に列し、明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 2]として有良が子爵を授けられた[1]。
有良は宮内省に勤務し侍従・雅楽部長などを務めた[3]。その養子護は十五銀行勤務を経て貴族院の子爵議員に当選して務めた。院内会派研究会に所属した[3]。彼の代に綾小路子爵家の邸宅は東京市渋谷区幡ヶ谷にあった[3]。
系譜
編集- 実線は実子、点線(縦)は養子。
源資賢 | |||||||||||||||||||||||||
時賢 | |||||||||||||||||||||||||
有資 | |||||||||||||||||||||||||
庭田経資 〔庭田家〕 | 綾小路信有1 | ||||||||||||||||||||||||
有時 | 有頼2 | ||||||||||||||||||||||||
敦有3 | 成賢 | ||||||||||||||||||||||||
信俊4 | |||||||||||||||||||||||||
資興 | 有俊5[4] | ||||||||||||||||||||||||
俊量6 | |||||||||||||||||||||||||
資能7 | |||||||||||||||||||||||||
〔中絶〕 | |||||||||||||||||||||||||
高有8[5] | |||||||||||||||||||||||||
俊景9 | |||||||||||||||||||||||||
有胤10 | |||||||||||||||||||||||||
俊宗11 | |||||||||||||||||||||||||
有美12 | 倉橋有儀 | ||||||||||||||||||||||||
俊資13[6] | |||||||||||||||||||||||||
有長14 | 金子有久 | ||||||||||||||||||||||||
俊賢15 | |||||||||||||||||||||||||
俊実 (大原重実) | 有良16 | ||||||||||||||||||||||||
茂俊17[7] | |||||||||||||||||||||||||
家政18[8] | |||||||||||||||||||||||||
護19[9] | |||||||||||||||||||||||||