若林快三
活動家
若林 快三(わかばやし かいぞう、明治11年(1878)1月24日 ~ 大正10年(1921)7月6日)は、満蒙独立運動に関わった活動家である。
略歴
編集明治29年(1896)9月22日に原田村(現・島根県隠岐郡 隠岐の島町 原田)の秋庭源太の養嗣子となるが、明治30年(1897)5月24日離縁、父親・彰信の戸籍に戻る。 明治31年(1898)1月31日に彰信の戸籍より分家届出。
明治34年(1901)1月に設立された黒龍会(国家主義団体)に所属。第一次満蒙独立運動(大正元年・1912年)、第二次満蒙独立運動(大正5年・1916年)に関り、殉難した。
死亡日は、はっきりしないが、墓誌には、44歳で死亡と刻印されている。墓は、原田にある伊賀神社横の墓地。
出典
編集- 除籍謄本
- 隠岐の島町教育委員会 「まなびのひろば」の「若林快三物語」