遠藤慶勝
遠藤 慶勝(えんどう よしかつ)は、江戸時代初期の美濃国郡上藩の世嗣。官位は従五位下・長門守。
時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正16年(1588年) |
死没 | 慶長20年2月12日(1615年3月11日) |
戒名 | 明心大神院 |
墓所 | 岐阜県郡上市の慈恩寺 |
官位 | 従五位下長門守 |
藩 | 美濃郡上藩世嗣 |
氏族 | 遠藤氏 |
父母 | 遠藤慶隆、三木良頼娘 |
兄弟 |
慶勝、金森可重正室、遠藤胤直室、 三木直綱室 |
妻 | 本多康重娘 |
略歴
編集嫡子として生まれ、慶長11年(1606年)に叙任する。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に出陣したが発病。慶長20年(1615年)、家督を継ぐことなく28歳で早世した。慶隆は慶勝に代わり、外孫(慶勝の甥)・慶利を養子に迎え嫡子とした。