鄧猛女
鄧 猛女(とう もうじょ)は、後漢の桓帝の2番目の皇后。本貫は南陽郡新野県。鄧禹の玄孫娘。
鄧皇后 | |
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後漢の皇后 | |
在位 |
延熹2年8月15日 - 延熹8年1月27日 (159年9月14日 - 165年2月25日) |
全名 | 梁猛女→薄猛女→鄧猛女 |
出生 |
不詳 南陽郡新野県 |
死去 |
延熹8年2月27日 (165年3月27日) 洛陽 |
埋葬 | 邙山 |
配偶者 | 桓帝 |
氏族 | 南陽鄧氏 |
父親 | 鄧香 |
母親 | 宣 |
養母 | 孫寿(梁冀の妻) |
立后前身位 | 貴人 |
経歴
編集実父の鄧香を早くに亡くし、母の宣は梁紀(梁冀の正妻の孫寿の母の兄弟)に再嫁した。その後、容姿美しく育った猛女は、孫寿の養女となり、永興2年(154年)、梁猛女の名で後宮に入って采女(後漢皇帝の側女)となった。桓帝の寵愛を受け、皇后梁女瑩の死後に貴人に上った。
延熹2年(159年)、梁冀が誅殺された後、猛女は皇后に立てられた。桓帝は梁氏を嫌悪したため、薄と改姓した。延熹6年(163年)に実父の身分が判明した後、鄧に復姓した。5人の親族たちも侯爵に封ぜられた。
延熹8年(165年)、桓帝が貴人郭氏を寵愛するようになると、猛女と郭氏の間で多くの確執が生じた。結局、猛女は廃位および暴室送りにされ、まもなく死去した。北邙山の貴族陵墓地に葬られた。
伝記資料
編集- 『後漢書』皇后紀下