采女枚夫
采女 枚夫(うねめ の ひらぶ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・漢詩人。名は比良夫とも表記される。姓は朝臣。官位は正五位下・近江守。
時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 比良夫 |
官位 | 正五位下近江守 |
主君 | 文武天皇→元明天皇 |
氏族 | 采女朝臣 |
出自
編集采女氏(采女朝臣)は穂積氏の一族。采女の統括を担当した伴造氏族。もと臣姓であったが、天武天皇13年(684年)八色の姓の制定により朝臣姓に改姓している[1]。
経歴
編集大宝4年(704年)に従六位上から三階昇叙され従五位下に叙爵。のち従五位上に叙せられるなど文武朝で順調に昇進し、慶雲4年(707年)文武天皇の崩御の際には御装司を務めている。
元明朝に入り、和銅2年(709年)に造雑物法用司が初めて置かれると、多治比三宅麻呂らと共にこれに任ぜられた。治部少輔を経て、和銅3年(710年)に近江守に転じ、和銅4年(711年)正五位下に至る。
官歴
編集注記のないものは『続日本紀』による。