812年
年
812年(812 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
千年紀: | 1千年紀 |
---|---|
世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
十年紀: | 790年代 800年代 810年代 820年代 830年代 |
年: | 809年 810年 811年 812年 813年 814年 815年 |
他の紀年法
編集カレンダー
編集できごと
編集- フランク王国のカール大帝の帝位を「僭称である」として認めなかった東ローマ帝国が、第二次ブルガリア帝国の台頭などによる脅威の増したミカエル1世ランガベーの代で、ようやくこれを容認し、アーヘンにて講和条約を締結する[1]。ただし、ローマ皇帝(ローマ人の皇帝)はコンスタンティノポリスのローマ皇帝(東ローマ皇帝)のみで、カールはフランクの皇帝であるとした(cf. 皇帝#カール大帝の「西ローマ帝国」)[1]。また、カールは交換条件して、南イタリアの一部とヴェネツィア共和国およびダルマチアが東ローマ帝国の傘下にあることを認めた[1]。
- 6月-8月 - クルム・ハーン率いる第一次ブルガリア帝国軍がトラキア(東ローマ帝国領内)に侵攻。
- 10月15日-31日 - クルム率いる第一次ブルガリア帝国軍が、メセンブリア(Mesembria。現・ネセバル。東ローマ帝国領内)を攻撃し、占領する。
- その2週間後、東ローマ帝国軍が包囲戦によってクルム軍を撤退させる。
- 月日不明
- 元首アンジェロ・パルテチパツィオ 治世下の移民。
- 第二次ロンスヴォーの戦い
日本
編集誕生
編集→「Category:812年生」も参照
死去
編集→「Category:812年没」も参照
脚注
編集注釈
- ^ それ以前は中国に倣って梅の花を愛でることが多かった。
- ^ 大輪田泊#造大輪田船瀬使
出典