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2011年1月21日 (金) 07:34時点における版
テムチルト | |
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ファイル:Shovchuud Temtselt.JPG テムチルト | |
生年月日 | 1957年 |
出生地 | 内モンゴル自治区ジェリム盟ナイマン旗 |
出身校 | 内モンゴル大学 |
所属政党 | 内モンゴル人民党 |
内モンゴル人民党主席 | |
在任期間 | 1997年3月20日 - |
ショブチョード・テムチルト(Shovchuud Temtseltu, キリル文字:Шовчууд Тэмцэлт, 簡体字:特木其勒图, 繁体字:特木其勒圖, 1957年 - )は、中華人民共和国のモンゴル族の人権活動家。内モンゴル人民党代表を務める分離独立運動家。中国名の席海明としても知られている。
来歴
1970年代半ばに、中国政府に対して内モンゴル人民革命党粛清事件の責任者である滕海清らの処罰を求める活動に参加する。
内モンゴル大学歴史学部に在籍していた1981年、当時中国政府が企図していた内モンゴル自治区に数百万人単位の漢族を移住させる計画を撤回させるための内モンゴル学生運動のリーダーとして名を馳せる。この時期に内モンゴル人権保衛連盟を設立する。
1981年の学生運動以降、中国政府の厳しい監視下に置かれ、フフホト市でモンゴル書籍の専門書店を経営するが、当局による度重なる嫌がらせを受け続ける。
1991年以降、中国政府による内モンゴル自治区のモンゴル族に対する締め付けが厳しさを増し、モンゴル族の人権や文化を保護する活動をしていたテムチルトは、彼の盟友であるフチントゥグスら大勢のモンゴル族と共に逮捕される。その後、ほどなく仲間を連れてモンゴル人民共和国に亡命。1993年に政治難民としてドイツに移住する。
内モンゴル人民党主席として
1997年3月20日、アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストンにてバハ、アルタンバト、オヨンビリグらと共に内モンゴル人民党を設立して主席となる。
2006年に来日。2月26日に党大会が開催され、非暴力的方法による南モンゴル独立を目指すこと、適当な時機に南モンゴル臨時政府を樹立すること、内モンゴル人民党の本部をアメリカから日本に移転することを内容とする東京宣言が採択された。
2008年5月16日から開催されたUNPO第9回大会には、内モンゴル代表として出席した。