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'''ホール'''(''Hole'')は、[[アメリカ合衆国]][[ロサンゼルス]]で[[1989年]]に[[コートニー・ラブ]]を中心に結成された[[ロックバンド]]。コートニーの夫[[カート・コバーン]]の[[ニルヴァーナ (バンド)|ニルヴァーナ]]、元交際相手の[[ビリー・コーガン]]率いる[[スマッシング・パンプキンズ]]らと並び、1990年代を中心に世界的に高い人気を誇った。 |
'''ホール'''('''Hole''')は、[[アメリカ合衆国]][[ロサンゼルス]]で[[1989年]]に[[コートニー・ラブ]]を中心に結成された[[ロックバンド]]。コートニーの夫[[カート・コバーン]]の[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]、元交際相手の[[ビリー・コーガン]]率いる[[スマッシング・パンプキンズ]]らと並び、1990年代を中心に世界的に高い人気を誇った。 |
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活動期間中は、様々な事情で幾度となくメンバーが交代した。解散時の編成は、リードボーカル兼ギターがコートニー・ラブ(Courtney Love)、リードギターがエリック・アーランドソン(Eric Erlandson)、ドラムスはサマンサ・マロニー(Samantha Maloney)。なお、この時点でのベーシストは不在。 |
活動期間中は、様々な事情で幾度となくメンバーが交代した。解散時の編成は、リード・ボーカル兼ギターがコートニー・ラブ(Courtney Love)、リード・ギターがエリック・アーランドソン(Eric Erlandson)、ドラムスはサマンサ・マロニー(Samantha Maloney)。なお、この時点でのベーシストは不在。 |
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== メンバー == |
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*[[コートニー・ラブ]](Courtney Love)-リードボーカル、ギター [[1964年]][[7月6日]]生まれ。[[カリフォルニア州]][[サンフランシスコ]]出身 ○△◎●□☆ |
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*エリック・アーランドソン(Eric Erlandson)-リードギター [[1963年]][[1月9日]]生まれ。[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身 ○△◎●□☆ |
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*サマンサ・マロニー(Samantha Maloney)-ドラムス [[1975年]][[12月11日]]生まれ。[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]出身 ☆ |
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=== 脱退 === |
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*メリッサ・オフ・ダ・マー(Melissa Auf der Maur)-ベース [[1972年]][[3月17日]]生まれ。[[カナダ]][[ケベック州]][[モントリオール]]出身 ☆ |
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*Patty Schemel-ドラムス [[1967年]][[4月24日]]生まれ。 △◎□ |
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*Caroline Rue-ドラムス ○●□ |
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*Jill Emery-ベース [[1962年]]生まれ。[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身 ○●□ |
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*クリステン・パーフ(Kristen Pfaff)-ベース [[1967年]][[5月26日]]生まれ。[[1994年]][[6月16日]]死去。[[ニューヨーク州]][[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]出身 △◎ |
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*Leslie Hardy-ベース □ |
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:エリック以外は、全員女性。メリッサ以外は、全員[[アメリカ合衆国]]出身。 |
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:主要メンバー以外は、日本語表記が成されていない、一定していないため、英語表記のままとする。 |
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=== 参加作品 === |
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*メンバープロフィールの後の記号を参照 |
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:○:''Pretty on the Inside'' |
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:△:''Live Through This'' |
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:◎:''Ask for It'' |
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:●:''The First Session'' |
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:□:''My Body, the Hand Grenade'' |
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:☆:''Celebrity Skin'' |
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== 来歴 == |
== 来歴 == |
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'':本稿の記述におけるCDのリリース日、映画の公開日等は全てアメリカ合衆国におけるもの'' |
'':本稿の記述におけるCDのリリース日、映画の公開日等は全てアメリカ合衆国におけるもの'' |
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=== 結成 === |
=== 結成 === |
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10代から音楽活動を行い、[[フェイス・ノー・モア]]のボーカルを一時期務めるなど、ミュージシャンに知己の多かった[[コートニー・ラブ]]が、1989年にロサンゼルで結成。2年後の[[1991年]][[9月7日]]、1stアルバム『プリティ・オン・ジ・インサイド』(''Pretty on the Inside'')を[[ヴァージン・レコード]]傘下の[[インディーズ|インディー]]レーベルであった[[キャロライン・レコード]]からリリース。コートニー自身が、娼婦だった体験などを赤裸々に歌い上げた作品で、欧米ツアーを成功させた。なお、このアルバムは[[ソニック・ユース]]の[[キム・ゴードン]]とドン・フレミングがプロデュースしている。 |
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また、この年にコートニーはカートと出会い、既にトップスターだったカートとの交際はセンセーショナルに報道され、皮肉にもコートニーとバンド自身の知名度を上げることに一役買うこととなった。 |
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=== |
=== リブ・スルー・ディス === |
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こうした私生活のトラブルやメンバーの交代が相次ぐが、[[1993年]]には、ニルヴァーナの所属レーベルでもあるゲフィンと契約。メジャーデビュー作となるアルバムの制作を行う。この作品は、[[1994年]][[4月12日]]リリースが告知されるが、発売1週間前の同年[[4月5日]]に、カートが散弾銃で[[自殺]]を遂げる。この事件には、不審な点も多かった事から、他殺説も含めた様々な憶測が飛び交い、中には「カートはコートニーに殺された」と主張する者もいた。 |
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そうした事態を乗り越えて、予定通り2nd(メジャー1st)アルバム『リブ・スルー・ディス』(''Live Through This'')はリリースされた。なお、一部の曲でカートがバックボーカルを務めており、一部にはソングライティングにも携わったという疑惑もあったが、コートニーはそれを否定している。 |
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この作品は、その内容もさりながら、やはりセンセーショナルな話題性で大きな商業的成功を収め、[[ビルボード]]では最高52位止まりながらロングセールスで、米国の[[ゴールドディスク|プラチナムディスク]]を獲得した。ちなみに、このアルバムの裏ジャケットに写っているのは、少女時代のコートニーである。 |
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=== |
=== セッション === |
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しかし、悲劇は続き、このアルバムにも参加したベーシストのクリステン・パーフ (Kristen Pfaff)が[[1994年]][[6月16日]]、[[ヘロイン]]の[[オーバードース]](過剰摂取)で変死した。バンドは代役にメリッサ・オフ・ダ・マー (Melissa Auf der Maur)を迎え、大規模なツアーを成功させた。[[1995年]][[2月14日]]には[[MTVアンプラグド]]に出演し、オリジナル曲に加えて、当時未発表曲だったニルヴァーナの「ユー・ノウ・ユア・ライト」("You Know You're Right")などを演奏している。 |
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また、この時期には、初期のレア音源集も発表されている。[[1995年]][[9月8日]]には『アスク・フォー・イット』(''Ask for it''、[[1991年]][[11月19日]]と[[1992年]]春のセッションを収録)、[[1997年]][[8月26日]]には『ザ・ファースト・セッション』(''The First Session''、[[1990年]]のセッションを収録)、同年[[10月28日]]には『マイ・ボディ・ザ・ハンド・グレネード』(''My Body, the Hand Grenade''、B面曲や未発表曲を集めたミニアルバム)がリリースされた。 |
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=== 映画 === |
=== 映画 === |
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一方では、[[1996年]]に公開された[[ミロス・フォアマン]]監督の映画『[[ラリー・フリント]]』(''The People vs. Larry Flynt'')で、コートニーは女優として、[[第62回ニューヨーク映画批評家協会賞|ニューヨーク映画批評家協会賞]]とボストン映画批評家協会の最優秀女優賞、シカゴ映画批評家協会の最優秀新人女優賞を受賞。[[第54回ゴールデングローブ賞]][[ゴールデングローブ賞 映画部門 主演女優賞 (ドラマ部門)|主演女優賞]]にもノミネートされ、ホール以前の[[1986年]]から活動していた女優としての地位を確立する。 |
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=== |
=== セレブリティ・スキン === |
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こうした事情から、バンド活動は停滞するが、[[1997年]]から約1年半に亘って、ロサンゼルスとロンドン、ニューヨークでセッションを行い、[[1998年]][[9月8日]]に、3rd(メジャー2nd)アルバム『[[セレブリティ・スキン]]』(''Celebrity Skin'')がリリースされた。このアルバムは、[[スマッシング・パンプキンズ]]の[[ビリー・コーガン]]の助力を受けて完成した。また前作が「ソングライティングにカートの助力を仰いだ」という疑惑にさらされた事から、ビリーら外部の人間を含めた、ソングライターのクレジットを明記している。なお、この作品では、コートニーはギターを弾いておらず(全てエリックの演奏)、作詞と歌唱に専念したという。また収録曲「ボーイズ・オン・ザ・レイディオ」("Boys On The Radio")は亡きカートに捧げた歌である。ビルボードでは最高8位、全英でも最高11位を記録し、[[グラミー賞]]にノミネートするなど商業的にも成功を収めた。 |
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=== 争議 === |
=== 争議 === |
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しかし、バンドは契約を巡って、レコード会社[[ユニバーサル・ミュージック]]と争議を起こし、遂には訴訟問題にまで発展した。再びバンドの活動は停滞する。[[1999年]]10月には、ベースのメリッサが、以前からファンだったという[[スマッシング・パンプキンズ]]に加入するため脱退、バンドはメンバーの補充も行わず、実質的に活動休止状態となった。 |
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バンドの争議は、アーティストの著作権問題に絡み、マスコミに取り上げられ、コートニーは別件で[[クリス・ノヴォセリック]]、[[デイブ・グロール]]と[[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]]の権利を巡っても衝突を起こした。 |
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=== 解散 === |
=== 解散 === |
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バンドが停滞している時期にも、サマンサが[[モトリー・クルー]]の[[2000年]]ライブツアーに参加するなど、個別の活動は行われていた。サマンサは、このツアーで、ホール時代唯一の日本公演を果たしている。 |
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[[2000年]]3月には、[[オリバー・ストーン]]監督、[[アル・パチーノ]]主演の映画『[[エニイ・ギブン・サンデー]]』(''Any Given Sunday''、公開は[[1999年]][[12月22日]])に使用された「ビー・ア・マン」("Be a Man")が[[シングル]]としてリリースされるが、これがホールとしては最後の作品となった。 |
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その後も、活動再開については様々な憶測や希望が飛び交うが、最終的には、[[2002年]]5月に、コートニーとエリックがバンドのウェブサイトで解散を宣言した。 |
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=== その後 === |
=== その後 === |
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解散後、エリックは[[プロデューサー]]や[[スタジオ・ミュージシャン]]として活動している。また、彼は東洋思想にも深い関心を抱いており([[1991年]]以来[[日蓮正宗]]の信徒でもある)、その研究にも邁進している。 |
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メリッサは、[[スマッシング・パンプキンズ]]解散後の[[2004年]]にソロ・アルバムを発表し、この作品には、元スマッシング・パンプキンズの[[ジェームス・イハ]]やエリックも参加している。なお、再結成したスマッシング・パンプキンズには、参加希望を表明していたが、今のところ加わっていない。 |
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サマンサは、[[スタジオ・ミュージシャン]]として活動し、メリル・ニスカー率いるピーチズのアルバムに参加した。 |
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コートニーは、女優としての活動や私生活上のトラブルが続き、一時は元メンバーのPatty Schemelらと新バンドバスタード(BASTARD)を結成するも、立ち消えとなった。結局彼女は、ソロとして音楽活動を再開し、[[2004年]][[2月10日]]に1stアルバム『アメリカズ・スウィートハート』をリリースした。この作品には、サマンサやPattyも参加している。その後ツアーも行い、[[2007年]]には2ndアルバムをリリース予定。 |
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=== 再結成 === |
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== ディスコグラフィー == |
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[[2010年]]、再結成を表明。しかし、この再結成でのバンド・メンバーのうち、オリジナル・メンバーはコートニー・ラブのみで、あとのメンバーは新しい顔ぶれとなった。また、1stから3rdアルバム時のような、ギターのエリック以外は全員女性、といった編成でもなくなり、コートニー以外は全員男性である。この再結成に際し、オリジナル・メンバーであるエリック・アーランドソンは、『自分抜きでのホール再結成は法的にあり得ない』と物言いをつけた。 |
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[[2010年]][[4月27日]]、ホール名義としては12年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ノーバディーズ・ドーター』がリリースされた。 |
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2010年夏には[[SUMMER SONIC]]で訪日。 |
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== メンバー == |
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*[[コートニー・ラブ]] (Courtney Love) - リード・ボーカル、ギター [[1964年]][[7月6日]]生まれ。[[カリフォルニア州]][[サンフランシスコ]]出身 ○△◎●□☆ |
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*エリック・アーランドソン (Eric Erlandson) - リード・ギター [[1963年]][[1月9日]]生まれ。[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身 ○△◎●□☆ |
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*サマンサ・マロニー (Samantha Maloney) - ドラムス [[1975年]][[12月11日]]生まれ。[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]出身 ☆ |
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*[[メリッサ・オフ・ダ・マー]] (Melissa Auf der Maur) - ベース [[1972年]][[3月17日]]生まれ。[[カナダ]][[ケベック州]][[モントリオール]]出身 ☆ |
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*Patty Schemel - ドラムス [[1967年]][[4月24日]]生まれ。 △◎□ |
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*Caroline Rue - ドラムス ○●□ |
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*Jill Emery - ベース [[1962年]]生まれ。[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]出身 ○●□ |
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*クリステン・パーフ (Kristen Pfaff) - ベース [[1967年]][[5月26日]]生まれ。[[1994年]][[6月16日]]死去。[[ニューヨーク州]][[バッファロー (ニューヨーク州)|バッファロー]]出身 △◎ |
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*Leslie Hardy - ベース □ |
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:エリック以外は、全員女性。メリッサ以外は、全員[[アメリカ合衆国]]出身。 |
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:主要メンバー以外は、日本語表記が成されていない、一定していないため、英語表記のままとする。 |
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=== 参加作品 === |
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*メンバープロフィールの後の記号を参照 |
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:○:''Pretty on the Inside'' |
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:△:''Live Through This'' |
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:◎:''Ask for It'' |
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:●:''The First Session'' |
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:□:''My Body, the Hand Grenade'' |
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:☆:''Celebrity Skin'' |
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== ディスコグラフィ == |
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=== アルバム === |
=== アルバム === |
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* ''Pretty on the Inside'' |
*『プリティ・オン・ジ・インサイド』 - ''Pretty on the Inside'' (1991年9月17日) |
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* ''Live Through This'' |
*『リヴ・スルー・ディス』 - ''Live Through This'' (1994年4月12日) |
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*『[[セレブリティ・スキン]]』 - ''Celebrity Skin'' (1998年9月8日) |
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* ''Ask for It'' [[1995年]][[9月8日]] |
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*『ノーバディーズ・ドーター』 - ''Nobody's Daughter'' (2010年4月27日) |
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* ''The First Session'' [[1997年]][[8月26日]] |
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* ''My Body, the Hand Grenade'' [[1997年]][[10月28日]] |
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* ''Celebrity Skin'' [[1998年]][[9月8日]] |
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=== シン |
=== コンピレーション・アルバム === |
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* '' |
* ''My Body, the Hand Grenade'' (1997年10月28日) |
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* ''Dicknail'' [[1991年]][[3月]] |
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* ''Teenage Whore'' [[1991年]][[8月]] |
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* ''Beautiful Son'' [[1993年]][[4月]] |
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* ''Miss World'' [[1994年]][[5月12日]] |
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* ''Doll Parts'' [[1994年]][[11月15日]] |
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* ''Violet'' [[1995年]][[1月1日]] |
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* ''Softer, Softest'' [[1997年]][[1月]] |
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* ''Celebrity Skin'' [[1998年]][[10月8日]] |
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* ''Malibu'' [[1998年]][[12月29日]] |
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* ''Awful'' [[1997年]][[4月27日]] |
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* ''Be a Man'' [[2000年]][[3月28日]] |
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=== EP === |
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*『アスク・フォー・イット』 - ''Ask for It'' (1995年9月8日) |
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* ''The First Session'' (1997年8月26日) |
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*『オーフル』 - ''Awful: Australian Tour EP'' (1999年) |
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=== シングル === |
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* "Retard Girl" (1990年4月) |
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* "Dicknail" (1991年3月) |
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* "Teenage Whore" (1991年8月) |
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* "Beautiful Son" (1993年4月) |
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* "Miss World" (1994年5月12日) |
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* "Doll Parts" (1994年11月15日) |
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* "Violet" (1995年1月1日) |
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* "Softer, Softest" (1997年1月) |
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* "Celebrity Skin" (1998年10月8日) |
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* "Malibu" (1998年12月29日) |
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* "Awful" (1999年4月27日) |
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* "Be a Man" (2000年3月28日) |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[コートニー・ラブ]] |
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* [[カート・コバーン]] |
* [[カート・コバーン]] |
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* [[ニルヴァーナ (バンド)]] |
* [[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)]] |
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* [[ビリー・コーガン]] |
* [[ビリー・コーガン]] |
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* [[スマッシング・パンプキンズ]] |
* [[スマッシング・パンプキンズ]] |
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{{Normdaten}} |
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[[Category:アメリカ合衆国のバンド|ほおる]] |
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{{DEFAULTSORT:ほおる}} |
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[[Category:アメリカ合衆国のオルタナティヴ・ロック・バンド]] |
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[[cs:Hole (skupina)]] |
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[[Category:グランジ・バンド]] |
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[[de:Hole]] |
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[[Category:サマーソニック出演者]] |
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[[en:Hole (band)]] |
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[[Category:第三波フェミニズム]] |
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[[es:Hole]] |
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[[Category:フェミニズムとアート]] |
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[[fi:Hole]] |
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[[fr:Hole (groupe)]] |
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[[gl:Hole]] |
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[[id:Hole (band)]] |
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[[it:Hole (gruppo musicale)]] |
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[[nl:Hole (band)]] |
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[[pl:Hole]] |
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[[pt:Hole (banda)]] |
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[[sk:Hole (hudobná skupina)]] |
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[[sr:Hole]] |
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[[sv:Hole]] |
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[[tr:Hole]] |
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[[zh:洞穴乐队]] |
2023年10月9日 (月) 01:14時点における最新版
ホール Hole | |
---|---|
2010年 | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 ロサンゼルス |
ジャンル |
オルタナティヴ・ロック グランジ |
活動期間 | 1989年 - 2002年、2009年 - 2012年 |
レーベル |
ゲフィン ユニバーサル・ミュージック |
旧メンバー |
コートニー・ラブ(リード・ボーカル、ギター) (1989年 - 2002年、2010年 - 2012年) エリック・アーランドソン(リード・ギター) (1989年 - 2002年、2012年) キャロライン・ルー(ドラムス) (1989年 - 1992年) ジル・エメリ(ベース) (1990年 - 1992年) パッティー・シェメル(ドラムス) (1992年 - 1998年、2012年) レズリー・ハーディー(ベース) (1992年 - 1993年) クリステン・パーフ(ベース) (1993年 - 1994年) メリッサ・オフ・ダ・マー(ベース) (1994年 - 1999年、2012年) サマンサ・マロニー(ドラムス) (1998年 - 2000年) ミーコ・ラーケン(リード・ギター) (2010年 - 2012年) ショーン・デイリー(ベース) (2010年 - 2012年) スチュー・フィシャー(ドラムス) (2010年 - 2011年) スコット・リップス(ドラムス) (2011年 - 2012年) |
ホール(Hole)は、アメリカ合衆国ロサンゼルスで1989年にコートニー・ラブを中心に結成されたロックバンド。コートニーの夫カート・コバーンのニルヴァーナ、元交際相手のビリー・コーガン率いるスマッシング・パンプキンズらと並び、1990年代を中心に世界的に高い人気を誇った。
活動期間中は、様々な事情で幾度となくメンバーが交代した。解散時の編成は、リード・ボーカル兼ギターがコートニー・ラブ(Courtney Love)、リード・ギターがエリック・アーランドソン(Eric Erlandson)、ドラムスはサマンサ・マロニー(Samantha Maloney)。なお、この時点でのベーシストは不在。
来歴
[編集]:本稿の記述におけるCDのリリース日、映画の公開日等は全てアメリカ合衆国におけるもの
結成
[編集]10代から音楽活動を行い、フェイス・ノー・モアのボーカルを一時期務めるなど、ミュージシャンに知己の多かったコートニー・ラブが、1989年にロサンゼルで結成。2年後の1991年9月7日、1stアルバム『プリティ・オン・ジ・インサイド』(Pretty on the Inside)をヴァージン・レコード傘下のインディーレーベルであったキャロライン・レコードからリリース。コートニー自身が、娼婦だった体験などを赤裸々に歌い上げた作品で、欧米ツアーを成功させた。なお、このアルバムはソニック・ユースのキム・ゴードンとドン・フレミングがプロデュースしている。
また、この年にコートニーはカートと出会い、既にトップスターだったカートとの交際はセンセーショナルに報道され、皮肉にもコートニーとバンド自身の知名度を上げることに一役買うこととなった。
リブ・スルー・ディス
[編集]こうした私生活のトラブルやメンバーの交代が相次ぐが、1993年には、ニルヴァーナの所属レーベルでもあるゲフィンと契約。メジャーデビュー作となるアルバムの制作を行う。この作品は、1994年4月12日リリースが告知されるが、発売1週間前の同年4月5日に、カートが散弾銃で自殺を遂げる。この事件には、不審な点も多かった事から、他殺説も含めた様々な憶測が飛び交い、中には「カートはコートニーに殺された」と主張する者もいた。
そうした事態を乗り越えて、予定通り2nd(メジャー1st)アルバム『リブ・スルー・ディス』(Live Through This)はリリースされた。なお、一部の曲でカートがバックボーカルを務めており、一部にはソングライティングにも携わったという疑惑もあったが、コートニーはそれを否定している。
この作品は、その内容もさりながら、やはりセンセーショナルな話題性で大きな商業的成功を収め、ビルボードでは最高52位止まりながらロングセールスで、米国のプラチナムディスクを獲得した。ちなみに、このアルバムの裏ジャケットに写っているのは、少女時代のコートニーである。
セッション
[編集]しかし、悲劇は続き、このアルバムにも参加したベーシストのクリステン・パーフ (Kristen Pfaff)が1994年6月16日、ヘロインのオーバードース(過剰摂取)で変死した。バンドは代役にメリッサ・オフ・ダ・マー (Melissa Auf der Maur)を迎え、大規模なツアーを成功させた。1995年2月14日にはMTVアンプラグドに出演し、オリジナル曲に加えて、当時未発表曲だったニルヴァーナの「ユー・ノウ・ユア・ライト」("You Know You're Right")などを演奏している。
また、この時期には、初期のレア音源集も発表されている。1995年9月8日には『アスク・フォー・イット』(Ask for it、1991年11月19日と1992年春のセッションを収録)、1997年8月26日には『ザ・ファースト・セッション』(The First Session、1990年のセッションを収録)、同年10月28日には『マイ・ボディ・ザ・ハンド・グレネード』(My Body, the Hand Grenade、B面曲や未発表曲を集めたミニアルバム)がリリースされた。
映画
[編集]一方では、1996年に公開されたミロス・フォアマン監督の映画『ラリー・フリント』(The People vs. Larry Flynt)で、コートニーは女優として、ニューヨーク映画批評家協会賞とボストン映画批評家協会の最優秀女優賞、シカゴ映画批評家協会の最優秀新人女優賞を受賞。第54回ゴールデングローブ賞主演女優賞にもノミネートされ、ホール以前の1986年から活動していた女優としての地位を確立する。
セレブリティ・スキン
[編集]こうした事情から、バンド活動は停滞するが、1997年から約1年半に亘って、ロサンゼルスとロンドン、ニューヨークでセッションを行い、1998年9月8日に、3rd(メジャー2nd)アルバム『セレブリティ・スキン』(Celebrity Skin)がリリースされた。このアルバムは、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンの助力を受けて完成した。また前作が「ソングライティングにカートの助力を仰いだ」という疑惑にさらされた事から、ビリーら外部の人間を含めた、ソングライターのクレジットを明記している。なお、この作品では、コートニーはギターを弾いておらず(全てエリックの演奏)、作詞と歌唱に専念したという。また収録曲「ボーイズ・オン・ザ・レイディオ」("Boys On The Radio")は亡きカートに捧げた歌である。ビルボードでは最高8位、全英でも最高11位を記録し、グラミー賞にノミネートするなど商業的にも成功を収めた。
争議
[編集]しかし、バンドは契約を巡って、レコード会社ユニバーサル・ミュージックと争議を起こし、遂には訴訟問題にまで発展した。再びバンドの活動は停滞する。1999年10月には、ベースのメリッサが、以前からファンだったというスマッシング・パンプキンズに加入するため脱退、バンドはメンバーの補充も行わず、実質的に活動休止状態となった。
バンドの争議は、アーティストの著作権問題に絡み、マスコミに取り上げられ、コートニーは別件でクリス・ノヴォセリック、デイブ・グロールとニルヴァーナの権利を巡っても衝突を起こした。
解散
[編集]バンドが停滞している時期にも、サマンサがモトリー・クルーの2000年ライブツアーに参加するなど、個別の活動は行われていた。サマンサは、このツアーで、ホール時代唯一の日本公演を果たしている。
2000年3月には、オリバー・ストーン監督、アル・パチーノ主演の映画『エニイ・ギブン・サンデー』(Any Given Sunday、公開は1999年12月22日)に使用された「ビー・ア・マン」("Be a Man")がシングルとしてリリースされるが、これがホールとしては最後の作品となった。
その後も、活動再開については様々な憶測や希望が飛び交うが、最終的には、2002年5月に、コートニーとエリックがバンドのウェブサイトで解散を宣言した。
その後
[編集]解散後、エリックはプロデューサーやスタジオ・ミュージシャンとして活動している。また、彼は東洋思想にも深い関心を抱いており(1991年以来日蓮正宗の信徒でもある)、その研究にも邁進している。
メリッサは、スマッシング・パンプキンズ解散後の2004年にソロ・アルバムを発表し、この作品には、元スマッシング・パンプキンズのジェームス・イハやエリックも参加している。なお、再結成したスマッシング・パンプキンズには、参加希望を表明していたが、今のところ加わっていない。
サマンサは、スタジオ・ミュージシャンとして活動し、メリル・ニスカー率いるピーチズのアルバムに参加した。
コートニーは、女優としての活動や私生活上のトラブルが続き、一時は元メンバーのPatty Schemelらと新バンドバスタード(BASTARD)を結成するも、立ち消えとなった。結局彼女は、ソロとして音楽活動を再開し、2004年2月10日に1stアルバム『アメリカズ・スウィートハート』をリリースした。この作品には、サマンサやPattyも参加している。その後ツアーも行い、2007年には2ndアルバムをリリース予定。
再結成
[編集]2010年、再結成を表明。しかし、この再結成でのバンド・メンバーのうち、オリジナル・メンバーはコートニー・ラブのみで、あとのメンバーは新しい顔ぶれとなった。また、1stから3rdアルバム時のような、ギターのエリック以外は全員女性、といった編成でもなくなり、コートニー以外は全員男性である。この再結成に際し、オリジナル・メンバーであるエリック・アーランドソンは、『自分抜きでのホール再結成は法的にあり得ない』と物言いをつけた。
2010年4月27日、ホール名義としては12年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ノーバディーズ・ドーター』がリリースされた。
2010年夏にはSUMMER SONICで訪日。
メンバー
[編集]- コートニー・ラブ (Courtney Love) - リード・ボーカル、ギター 1964年7月6日生まれ。カリフォルニア州サンフランシスコ出身 ○△◎●□☆
- エリック・アーランドソン (Eric Erlandson) - リード・ギター 1963年1月9日生まれ。カリフォルニア州ロサンゼルス出身 ○△◎●□☆
- サマンサ・マロニー (Samantha Maloney) - ドラムス 1975年12月11日生まれ。ニューヨーク州ニューヨーク出身 ☆
- メリッサ・オフ・ダ・マー (Melissa Auf der Maur) - ベース 1972年3月17日生まれ。カナダケベック州モントリオール出身 ☆
- Patty Schemel - ドラムス 1967年4月24日生まれ。 △◎□
- Caroline Rue - ドラムス ○●□
- Jill Emery - ベース 1962年生まれ。カリフォルニア州ロサンゼルス出身 ○●□
- クリステン・パーフ (Kristen Pfaff) - ベース 1967年5月26日生まれ。1994年6月16日死去。ニューヨーク州バッファロー出身 △◎
- Leslie Hardy - ベース □
- エリック以外は、全員女性。メリッサ以外は、全員アメリカ合衆国出身。
- 主要メンバー以外は、日本語表記が成されていない、一定していないため、英語表記のままとする。
参加作品
[編集]- メンバープロフィールの後の記号を参照
- ○:Pretty on the Inside
- △:Live Through This
- ◎:Ask for It
- ●:The First Session
- □:My Body, the Hand Grenade
- ☆:Celebrity Skin
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- 『プリティ・オン・ジ・インサイド』 - Pretty on the Inside (1991年9月17日)
- 『リヴ・スルー・ディス』 - Live Through This (1994年4月12日)
- 『セレブリティ・スキン』 - Celebrity Skin (1998年9月8日)
- 『ノーバディーズ・ドーター』 - Nobody's Daughter (2010年4月27日)
コンピレーション・アルバム
[編集]- My Body, the Hand Grenade (1997年10月28日)
EP
[編集]- 『アスク・フォー・イット』 - Ask for It (1995年9月8日)
- The First Session (1997年8月26日)
- 『オーフル』 - Awful: Australian Tour EP (1999年)
シングル
[編集]- "Retard Girl" (1990年4月)
- "Dicknail" (1991年3月)
- "Teenage Whore" (1991年8月)
- "Beautiful Son" (1993年4月)
- "Miss World" (1994年5月12日)
- "Doll Parts" (1994年11月15日)
- "Violet" (1995年1月1日)
- "Softer, Softest" (1997年1月)
- "Celebrity Skin" (1998年10月8日)
- "Malibu" (1998年12月29日)
- "Awful" (1999年4月27日)
- "Be a Man" (2000年3月28日)