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2009年12月29日 (火) 12:34時点における版
マサチューセッツ工科大学 | |
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MIT校舎「グレートドーム」 | |
大学設置 | 1865年 |
創立 | 1861年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | Massachusetts Institute of Technology Corporation |
本部所在地 | 米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市 |
学生数 | 11,574、11,836 |
学部 |
経営学部 工学部 人文・社会科学部 理学部 建築・計画学部 |
研究科 |
医科大学院 経営大学院 工科大学院 人文社会科学大学院 自然科学大学院 建築・計画大学院 |
ウェブサイト | http://web.mit.edu/ |
マサチューセッツ工科大学(英語: Massachusetts Institute of Technology)は、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。1861年創立、1865年大学設置。大学の略称はMIT。
キャンパス
米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置く私立大学。ノーベル賞受賞者を多数輩出している(2006年まで63名、1997年からは毎年輩出し、それ以前もほぼ毎年)全米指折りのエリート名門校である。通称、MIT(エム・アイ・ティー)とも呼ばれる。同じくケンブリッジ市にあるハーバード大学とはライバル校でありながらも、学生達はそれぞれの学校の授業を卒業単位に組み込める単位互換制度(Cross-registration system)が確立され、ケンブリッジ市は、「世界最高の学びのテーマパーク」とさえも称されている。
米国において、シリコンバレーなどと並ぶ先端技術産業の集積地であるボストンのルート128地域においても、中核的な役割を果たす機関である。同大学のメディアラボは情報技術関連の先端を走る研究所としてマスメディアなどでも頻繁に取り上げられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情報処理システム(アテネプロジェクト)がキャンパスネットワークの根幹を占めており、この研究成果は米国以外の大学院大学等でも活用され成果を挙げている。同大学は、ボストン所在の他大学(ハーバード大学、ウェルズリー大学、マサチューセッツ大学)との間で、学生や研究者同士の交流も推進している。近年、大学の全授業をweb上で公開する試み(オープンコースウェア)がなされており、遠隔教育関係者や教育関係者一般から広く注目を集めている。
現在、建築家の槇文彦によってキャンパスの増築がなされている。
同校には伝統的に「ハック」(詳細はハッカーを参照)と呼ばれるゲリラ活動的なイタズラ[1]が存在する。単なるイタズラというよりも、日頃研究した様々な技術を駆使する事から、時に超常現象かと見紛うばかりの物まであるとされる。
近くのハーバード橋の長さを測るために仲間の身長からスムートという新単位を作り、橋に印を書いたり(1958年)、学び舎のシンボルであるグレートドーム(上写真)頂上にパトロールカーが設置された(1994年)り、巨大なR2-D2に改装(1999年)されたり、『ゼルダの伝説シリーズ』のトライフォースが設置(2006年)されたりといったスケールの大きい物から、校内の碑文をこっそり自分達のメッセージにすり替えたり(1994年)、学長室の入り口を何ヶ月も前から掲示板があったかのようにしてしまった(1990年)りといった物まで報告されている。
これらのイタズラはあくまでも洒落の範疇に収める事が重要とされており、物や施設を汚損したり、誰かを傷つけたりするようなことは行われないとされる。1999年のR2-D2“ハック”では同校の安全対策室に、取り付けられたパネル等の片付け方を記したメモが届けられている。
歴史
MITは自然哲学者ウィリアム・バートン・ロジャース(ウィリアム・アンド・メアリー大学卒業)によってボストンの地にボストン技術学校の名で設立され、1865年にマサチューセッツ工科大学に改称し開学した。
創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は一人前の大人(社会人)で、建設業者や熟練工、工事監督、熟練機械工、見習い工、熟練エンジニアなど既に一定の技能を身につけた人々だった。このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、キャンパス・ライフは存在しなかった。MITには学生寮もなく、礼拝堂もなく、1867年まで食堂すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来た[2]。
1870年代になって初めて少女たちの入学を受け入れはじめた。
20世紀初頭にボストンでは開発ブームが起こり、不動産の高騰などによってMITは、これまでいたコプリー・スクェアの地を立ち退かなければならない事態となった。皮肉なことに、この開発ブームに拍車をかけたのは1865年以来、MITが送り出してきた数千人に及ぶ卒業生達であった。MITは研究室ごとに高騰したボストン各地の不動産市場に散りぢりとなり、大学移転のために候補地を探したが、調達資金などの面から難航した。1909年、資金調達能力を有するリチャード・マクローリンが新学長に就任したことによって事態は収拾に向い、新キャンパスの候補地としてケンブリッジとボストンの境界を流れるチャールズ川の埋立地(ケンブリッジ側)が検討されるようになった。だが、移転に際していくつか問題があった。第一に土壌が埋め立てたばかりで軟弱であったこと、第二にケンブリッジを縄張りとしていたハーバードとの政治的・歴史的問題であった。特にハーバードとの問題は深刻で、MITの殆どの卒業生が、この時文科系人種をはじめとするボストンの人々から謂れのない偏見を受け、罵声を絶え間なく浴びせられたという[3]。この状況について関係者は「肘で誰かを押しのけて食事をするようなものだ」と語っている。
1940年、MITは軍事技術の研究開発にかかわるようになった。当時、アメリカ軍は英国海軍が開発したレーダーに関心を持っており、研究プロジェクトを行う上で、設備[4]や運営経験があったMITに注目した[5]。その一年後、太平洋戦争がはじまるとキャンパス北端に放射線研究所(Radiation Lab・ラドラブ)と称する軍事研究所が設置され、戦争の一翼を担った。さらにMITは新兵器開発のために必要な資金や物資を得ることに成功するとともに、学生の徴兵猶予の権利を勝ちとった。この経験はマサチューセッツ工科大学の名を世界で高めるきっかけとなった。
組織
5つのスクール(School)と1つのカレッジ(College)がある。スクールとカレッジには、34の学部(Department)、学科(Division)、大学院・研究科・専攻(Degree-granting program)などがおかれている。さらには、教育研究プログラムとしてWHOIとのジョイントプログラムも実施している。
スクールおよびカレッジ
- School of Architecture and Planning(建築および都市計画・地域計画)
- School of Engineering(工学)
- School of Humanities, Arts, and Social Sciences(人文科学・社会科学)
- Sloan School of Management(経営)
- School of Science(理学)
- Whitaker College of Health Sciences and Technology(健康科学・健康技術)
研究機関
51の研究機関がある。ここでは、メディア等で著名な研究機関を掲げる。
その他
各企業からの派遣研究員受け入れや受託研究を行う、寄附講座や記念講座が設置されている。
学生
中国系・韓国系を中心とするアジア系学生の割合は増加の一途であり、現在では在校生の27%を占めている。(College Board, fall 2005)
受験
- リベラル・アーツとしてのマサチューセッツ工科大学に入学する際には、通常の試験及び外国人の場合には、TOEFL受験が義務付けられている。その他は、米国のビザ法に関する法による。
- 大学院受験の場合には、「GREスコアカード」及び「卒業証明書(大学)」が必要。外国人の場合には、TOEFLの受験が義務付けられている。その他は、米国のビザ法に関する法による。特定研究室に該当する研究室を指定する場合には、紹介状2通が必要(直近の銀行残高証明書も必要)。
評価
- ヨーロッパでは歴史的に技術系の職業が低く見られ、近代半ばまで大学での工系学部の位置づけも明確でなく、工学部設置も日本に先を越された。この状況は米国でも強く、理工系専門の教育機関として創設されたMITも人々から偏見の目で見られた。さらにMITがケンブリッジにキャンパスを移転してからは文科系的文化を根源として成り立つ、ハーバードとの対決が激しく、人々の中にはMITのことを職業専門学校と侮辱する者もいた。ボストンのある名士が、ハーバードで教えるかわりに、MITへの奉職を考慮していた甥に対し次のような手紙を書いている。「この国では、常に金と鉄道と商売と発明の嵐が吹き荒れてる。公立学校だの、高校だの、職業専門学校(MITのこと)だのと言ったものは、どんな学校にも作れるが、ケンブリッジ(ハーバードのこと)のようなところだけが、学問にふさわしい雰囲気と歴史とを持っている。大学とは、そうでなければならないのだ。大いなるハーモニーを学べるところでなくては」[6]。
教員
なお以下の人名リストは、全て五十音順に並んでいる。
- アイセ・ヨハン・デ・ヨング - コール賞
- アマー・G・ボーズ - 名誉教授。BOSE社の創設者。
- イアン・コンドリー - 文化人類学者。日本のヒップホップやアニメの研究。
- イサドール・シンガー - アーベル賞
- ジョージ・ルスティック - コール賞
- トーマス・ムロフカ
- ハロルド・エイブルソン
- ヴィクター・カッツ
- 利根川進 - ノーベル賞
出身者
- あ行
- コフィー・アナン - 前国連事務総長
- ジェームズ・ウッズ - 俳優(中退)
- ピエルマリア・オッドーネ - 物理学者
- ロバート・オーマン - 経済学者
- バズ・オルドリン - アポロ11号に搭乗した宇宙飛行士
- か行
- レイ・カーツワイル - 光学文字認識の第一人者
- ケビン・カラン - ゲームクリエイター。「ミサイルコマンド」「パックマン」の改良版を製作。
- ジョン・W・キャンベル - SF編集者、SF作家
- デービッド・ダナ・クラーク - コンピューター学者
- フェルナンド・J・コルバト - 情報工学者
- ゲイリー・クライン - 自転車車体設計・製造
- ブリュースター・ケール - インターネット起業家
- マレー・ゲルマン - 物理学者
- さ行
- アイバン・サザランド - コンピュータ科学者
- ローレンス・サマーズ - 政治家・経済学者
- ルイス・サリヴァン - 建築家
- トム・ショルツ - ロック・バンドボストンのリーダー
- ジョージ・シュルツ - 政治家
- ウィリアム・ショックレー - 物理学者
- リチャード・ストールマン - ハッカー。フリーソフトウェア財団設立者
- ジョージ・スムート - 物理学者
- た行
- アンドリュー・タネンバウム - コンピュータ科学者
- アフマド・チャラビ - イラクの政治家
- ホイットフィールド・ディフィー - 暗号学者
- ゲイリー・タナカ - 馬主
- ダニエル・M・タニ - 宇宙飛行士
- ジミー・ドーリットル - 軍人
- キム・エリック・ドレクスラー - ナノテクノロジーエンジニア
- な行
- ニコラス・ネグロポンテ - MITメディアラボの創設者
- ベンヤミン・ネタニヤフ - イスラエルの政治家
- は行
- ベン・バーナンキ - 経済学者(第14代FRB議長)
- アラン・パリス - 計算機科学者
- アンドリュー・ビタビ - クアルコムの創設者、計算機科学者
- ウィリアム・ヒューレット - ヒューレット・パッカードの創設者
- アンドリュー・ファイアー - 生物学者
- リチャード・P・ファインマン - 物理学者
- ホセ・フィゲレス・フェレール - コスタリカの政治家
- ウィリアム・クレイ・フォード・ジュニア - 実業家
- マヌエル・ブラム - 計算機科学者
- ゴードン・フリーマン - 物理学者
- ジョージ・ヘール - 天文学者
- イオ・ミン・ペイ - 建築家
- ま行
- ダグ・マクレー - 前述したケビン・カランの相棒
- グレゴリー・マンキュー - 経済学者
- マーヴィン・ミンスキー - 人工知能の権威
- ロバート・メトカーフ - コンピュータ技術者
- ら行
- スティーブ・ラッセル - 世界で初めて不特定多数の人に楽しまれたTVゲーム『スペースウォー!』を製作。
- ラリー・ローゼンタール - コンピュータ技術者。アーケードゲーム用のベクタースキャン技術を開発。
日本人出身者
- 青島矢一 - 一橋大学イノベーション研究センター准教授
- 安達保 - カーライルグループ 日本代表
- 荒川實 - Nintendo of America(任天堂の米国法人)・元社長
- 猪口孝 - 中央大学教授、東京大学名誉教授
- 岩井克人 - 東京大学教授経済学者
- 江端貴子 - 東京大学特任准教授、アステラス製薬社外取締役
- 大前研一 - 経営コンサルタント・経営者
- 小川進 - 神戸大学大学院経営学研究科教授
- 加藤壹康 - キリンホールディングス・社長
- 金井壽宏 - 神戸大学大学院経営学研究科教授
- 小泉政利 - 東北大学大学院文学研究科准教授
- 北澤宏一 - 科学技術振興機構・理事長
- 畔柳信雄 - 三菱UFJフィナンシャル・グループ・社長
- 齊藤誠 - 一橋大学大学院経済学研究科教授
- 武石彰 - 京都大学大学院経済学研究科教授
- 武田真彦 - 一橋大学大学院経済学研究科教授
- 立川敬二 - NTT DoCoMo・元社長、JAXA理事長
- 田中明彦 - 東京大学東洋文化研究所教授
- 團琢磨 - 三井合名会社・元理事長
- 延岡健太郎 - 一橋大学イノベーション研究センター教授
- 堀新太郎 - Bain & Co Japan パートナー・会長
- 堀内敬三 - 音楽評論家・作詞家・作曲家
- 松尾博文 - 神戸大学大学院経営学研究科教授
- 御手洗肇 - キヤノン・元社長
- 三井高修 - 三井化学・元会長
- 薬師寺泰蔵 - 慶應義塾大学客員教授、内閣府総合科学技術会議議員
- 矢島隆 - 建設大臣官房技術審議官
- 山影進 - 東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長
- 舛重正一 - 東京農業大学生物応用化学科・バイオサイエンス学科名誉教授、東京聖栄大学教授
付記)日本国内においては、マサチューセッツ工科大学出身者で作る「日本マサチューセッツ工科大学会」があり、マサチューセッツ工科大学出身者が所属する。同様の組織として、日本ハーバード会、日本ケンブリッジ会、日本オックスフォード会などがあるが、これらは、日本フルブライト会(会合は、在日米国大使館や六本木のアメリカンクラブなどで開かれる)から分かれて、大学別の同窓会(親睦会)として開かれているものである。各会員は1期から始まり、現在は各大学卒業毎に開かれている。
教授
- クリスティン・フォーブス - 経済学者
- ジェローム・レトビン - 神経生理学者
- ジョン・スターマン - 経済学者
- スチュワート・マイヤーズ - 経済学者
- ノーム・チョムスキー - 言語学、アメリカのメディアと外交政策の批評家としても知られる
- ポール・サミュエルソン - 経済学者
- レスター・サロー - 経済学者
- レベッカ・ヘンダーソン - 経済学者
- リチャード・シュマレンジー - 経済学者
- ロバート・ピンダイク - 経済学者
- 石井裕 - タンジブル・ビット考案者、メディアアーツ&サイエンス
- 利根川進 - 免疫研究、ノーベル生理学・医学賞
- ジョージ・ホワイトサイズ - 材料科学者、ナノ・マイクロマシン&加工、自己組織化の世界的権威
- リチャード・シュロック - 化学科教授、2005年ノーベル賞受賞
- 宮川繁 - 言語学者
- 増渕興一 - 機械工学科名誉教授
- 神田駿 - 建築家・都市計画家
連携大学
国内
国外
脚注
- ^ IHTFP Hack Gallery
- ^ この状況についてMITのある校長は「ここは(MIT)は子供が遊ぶ場ではなく、大人が学ぶための場所である」とその特徴について語っている
- ^ なかには思い上がった者がボールボーイなどと中傷する者もいた。
- ^ MITには鉄道の引き込み線なども存在した
- ^ 正確にはボストン地区にあった他の候補に比べてという意味で、ほかの大学は実践経験が乏しい理論派学校か美術学校ばかりだったために軍の基準に合致しなかったためである。実際にプロジェクトを行う上で、政府はロチェスター大学のリー・ドゥブリッジを指導者として招いた
- ^ フレッド・ハプグッド著・鶴岡雄二訳「マサチューセッツ工科大学」1995年9月25日