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「ヤスナ・グラの聖母」の版間の差分

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[[画像:Nuestra Señora de Czestochowa.jpg|right|thumb|200px|黒い聖母]]
'''ヤスナ・グラの聖母'''は、古都[[クラクフ]]近郊の聖地[[チェンストホーヴァ]]の僧院ヤスナ・グラに納められている。顔が煤で黒くなっているので、「[[黒い聖母]]」の異名があり、一般にはこの呼び名で呼ばれている。[[8月15日]]の聖母マリアの被昇天の祝日には、[[ポーランド]]全土から徒歩で、また世界各地からも信者が訪れる。
[[画像:JasnaGora.jpg|right|thumb|200px|ヤスナ・グラ修道院の夜景]]
'''ヤスナ・グラ''' (Jasna Gora) '''の[[聖母]]'''(『'''チェンストホヴァの聖母'''』({{lang-pl|Matka Boska Częstochowska}}, [[教会スラヴ語]]: {{lang|slv|Ченстоховская икона Божией Матери}})は、古都[[クラクフ]]近郊の聖地[[チェンストホヴァ]]の[[ヤスナ・グラ修道院]]に納められている、[[イエス・キリスト]]を抱いたマリア像の絵画([[イコン]])<ref>[http://ja.radiovaticana.va/storico/2016/07/28/教皇、チェンストホヴァを巡礼、ポーランド宣教1050年記念ミサ/ja-1247500 教皇、チェンストホヴァを巡礼、ポーランド宣教1050年記念ミサ バチカン放送局(2016年7月28日)]</ref>。[[聖母マリア]]の顔が[[修道院]]に火が点けられた時の煤で黒くなっているので、「[[黒い聖母]]」の異名があり、一般にはこの呼び名で呼ばれている<ref name="abr">[https://www.ab-road.net/europe/poland/czestochowa/guide/sightseeing/13326.html ポーランド人の心に寄り添う、ヤスナ・グラ修道院の「黒い聖母」とは(後編) エイビーロード]</ref>。


== 概要 ==
[[フス戦争]]後期に[[フス派]]に傷付けられたから、以降ポーランドにける愛国心の象徴とされ、[[カトリック]]教派の拡大や被占領時の独立運動、民主化などに影響を与えた。
[[1382年]]、このイコンはヤスナ・グラ修道院を建てた[[オポーレ公国|オポーレ]]公[[ヴワディスワフ・オポルチク|ヴワディスワフ]]によって[[エルサレム]]からチェンストホヴァに到着し、修道院に安置された。[[1655年]]、[[スウェーデン]]軍が[[ポーランド王国|ポーランド]]を侵略した時([[大洪水時代]])、[[ワルシャワ]]や[[クラクフ]]までもが占領されたが、ヤスナ・グラ修道院だけはスウェーデン軍の攻勢に屈せず、「黒い聖母」がもたらした奇跡だと語り継がれている<ref>{{Cite book|和書 |year = 2017 |title = 地球の歩き方 2017〜18 チェコ/ポーランド/スロヴァキア |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 320 |isbn = 978-4-478-06043-8}}</ref>。

[[フス戦争]]後期に[[フス派]]に傷付けられた<ref name="abr"/>ことから、以降ポーランドにける愛国心の象徴とされ、[[カトリック教会|カトリック]]教派の拡大や被占領時の独立運動、民主化などに影響を与えた。

『チェンストホヴァの聖母』の祝日は[[8月26日]]である。[[聖母の被昇天|被昇天の祝日]]の祝日である[[8月15日]]には、[[ポーランド]]全土から徒歩で、また世界各地からも信者が訪れる<ref>[https://www.poland.travel/ja/聖地巡礼 聖地巡礼 ポーランド政府観光局]</ref>。ポーランドは大多数が[[カトリック教会]]信徒であり、このイコンもカトリック教会で有名であるが、同イコンは[[ポーランド正教会]]([[チェンストホヴァの神の母イコン聖堂]])でも崇敬される。

== 脚注 ==
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2021年3月16日 (火) 10:59時点における最新版

黒い聖母
ヤスナ・グラ修道院の夜景

ヤスナ・グラ (Jasna Gora) 聖母(『チェンストホヴァの聖母』(ポーランド語: Matka Boska Częstochowska, 教会スラヴ語: Ченстоховская икона Божией Матери)は、古都クラクフ近郊の聖地チェンストホヴァヤスナ・グラ修道院に納められている、イエス・キリストを抱いたマリア像の絵画(イコン[1]聖母マリアの顔が修道院に火が点けられた時の煤で黒くなっているので、「黒い聖母」の異名があり、一般にはこの呼び名で呼ばれている[2]

概要

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1382年、このイコンはヤスナ・グラ修道院を建てたオポーレヴワディスワフによってエルサレムからチェンストホヴァに到着し、修道院に安置された。1655年スウェーデン軍がポーランドを侵略した時(大洪水時代)、ワルシャワクラクフまでもが占領されたが、ヤスナ・グラ修道院だけはスウェーデン軍の攻勢に屈せず、「黒い聖母」がもたらした奇跡だと語り継がれている[3]

フス戦争後期にフス派に傷付けられた[2]ことから、以降はポーランドにおける愛国心の象徴とされ、カトリック教派の拡大や被占領時の独立運動、民主化などに影響を与えた。

『チェンストホヴァの聖母』の祝日は8月26日である。被昇天の祝日の祝日である8月15日には、ポーランド全土から徒歩で、また世界各地からも信者が訪れる[4]。ポーランドは大多数がカトリック教会信徒であり、このイコンもカトリック教会で有名であるが、同イコンはポーランド正教会チェンストホヴァの神の母イコン聖堂)でも崇敬される。

脚注

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  1. ^ 教皇、チェンストホヴァを巡礼、ポーランド宣教1050年記念ミサ バチカン放送局(2016年7月28日)
  2. ^ a b ポーランド人の心に寄り添う、ヤスナ・グラ修道院の「黒い聖母」とは(後編) エイビーロード
  3. ^ 『地球の歩き方 2017〜18 チェコ/ポーランド/スロヴァキア』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、320頁。ISBN 978-4-478-06043-8 
  4. ^ 聖地巡礼 ポーランド政府観光局