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南部を[[北薩火山群]]、北部を[[出水山地]]に囲まれ、中央部を[[川内川]]が流れる。川内川付近は[[沖積平野]]となっており、薩摩川内市の中心市街地が広がる。南東部に標高20-50メートルの権現原台地、北部に標高10-20メートルの国分寺台地と呼ばれる[[シラス台地]]がある。川内盆地と呼ばれることもある。 |
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内陸性の気候を示し、近隣の[[阿久根市]]市街地や[[出水平野]]などと比較して寒暖の差が大きい。秋から冬にかけてしばしば霧が発生する。 |
内陸性の気候を示し、近隣の[[阿久根市]]市街地や[[出水平野]]などと比較して寒暖の差が大きい。秋から冬にかけてしばしば霧が発生する。 |
2012年4月8日 (日) 13:33時点における版
川内平野(せんだいへいや)は、九州南西部の鹿児島県薩摩川内市中央部に広がる平野である。
地理
南部を北薩火山群、北部を出水山地に囲まれ、中央部を川内川が流れる。川内川付近は沖積平野となっており、薩摩川内市の中心市街地が広がる。南東部に標高20-50メートルの権現原台地、北部に標高10-20メートルの国分寺台地と呼ばれるシラス台地がある。川内盆地と呼ばれることもある。
内陸性の気候を示し、近隣の阿久根市市街地や出水平野などと比較して寒暖の差が大きい。秋から冬にかけてしばしば霧が発生する。
地質構造は東郷層群(四万十層群)を基盤とし、北薩火山群に関連する安山岩、玄武岩、溶結凝灰岩が重なり、表層部はシラス、新期火山灰、沖積層からなる[1]。
歴史
低地では古くから稲作が行われており、奈良時代末期には薩摩国分寺が建立された。西部の高江地区に広がる低地はたびたび水害に襲われたため江戸時代の1679年(延宝7年)から1687年(貞享4年)にかけて小野仙右衛門によって長崎堤防が築かれた。1969年(昭和44年)の6月から7月にかけてと1971年(昭和46年)7月、集中豪雨に見舞われ浸水の被害があった。
関連項目
脚注
- ^ 松本達郎ほか 『日本地方地質誌 九州地方』 PP.260、朝倉書店、1973年
参考文献
- 川内郷土史編さん委員会編 『川内市史上巻』 鹿児島県川内市、1975年