インターナショナル・ウォッチ・カンパニー
業種 | 時計製造メーカー |
---|---|
設立 | 1868年 |
創業者 |
Florentine Ariosto Jones Heinrich Moser |
本社 | 、 |
事業地域 | Worldwide |
主要人物 |
アルバート・ペラトン クルト・クラウス |
製品 | 懐中時計、高級腕時計 |
従業員数 | 650 |
親会社 | リシュモン |
ウェブサイト |
www |
インターナショナル・ウォッチ・カンパニー(International Watch Company 、IWC)とは、スイスの時計ブランドである。リシュモングループに属する。現CEOはクリストフ・グランジェ・ヘア。
インターナショナル(International )と略称される。日本の時計業界でも古くから「インター」の通称で知られてきた。
概要
[編集]1868年設立、創業150年のマニュファクチュールブランド。質実剛健な社風を映じた高精度・高耐久性の時計作りと永久修理、スイス政府が万能時計職人の育成機関として公的に認定する「オルロジェ・コンプレ」のライセンスを取得した唯一の時計メーカーとして知られる。
米国人技師フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズ(Florentine Ariosto Jones, 1841-1916)が、米国人時計職人チャールズ・キッダーと共に、スイスのシャフハウゼンに1868年にF・A・ジョーンズ&カンパニー(F. A. Jones & Co.)を設立。
後にインターナショナル・ウォッチ・カンパニー(International Watch Company)に社名変更。スイス企業でありながら、英語社名を冠しているのは、ジョーンズとキッダーが米国人だったことによる。
設立経緯
[編集]19世紀後半のスイスでは、工場制手工業による時計製造技術が確立され、一定の技術を習得した多くの職人が時計製造に従事していたものの、手工業による生産効率の限界から、製品は富裕層向けの高級品に限られ、世界的なマーケット需要を満たすには程遠い状況にあった。
一方、アメリカでは、南北戦争終戦後、同国最古の時計ブランドウォルサムの創設者(David Davis、Edward Howard、Aaron Lufkin Dennison)の一人、「アメリカ時計の父」と呼ばれたアーロン・ラフキン・デニソンが、「兵器製造システム」(交換可能な高精度部品の量産)の技術を時計製造に転用、工場制機械工業による時計製造技術を確立し、東部を中心に新技術を導入した時計メーカーの設立が相次いでいた。
フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズは、南北戦争従軍後、デニソンのパートナーであったE・ハワードがマサチューセッツ州で経営する当時米国で最も高い評価を得ていた時計メーカーE.ハワード&カンパニーで工場監督を務め、そこでデニソンが確立した米国流の時計製造技術を習得した。
ジョーンズは、スイスの伝統的マニュファクチュールと米国流の合理的な生産システムの融合による高品質かつ効率的な生産体制の確立にビジネスチャンスを見出し、自ら北米市場向け高級時計の製造会社をスイスで起業することを決断。賛同した時計職人チャールズ・キッダーと共に渡瑞、創業に相応しい立地を求めスイス国内をくまなく探し周った。
スイスでは、多くの時計メーカーがフランス国境に寄りの西部地域に本拠地を置いていたが、ジョーンズが目指す生産体制の確立には、部品加工器機を動かすための電力確保が不可欠であり、同地に大口需要を満たす電力会社は存在しなかった。
折しもドイツ国境に近い北部地域のシャフハウゼンでは、ロシアのサンクトペテルブルグで成功した実業家ハインリッヒ・モーゼルが、ライン川の水力を利用した発電所の建設を進めており、大口需要の開拓、ニーズの事業化を模索していた。
こうした中、時計会社の設立を目指すジョーンズとキッダーはモーゼルと出会い、モーゼルが時計職人でもあったことから両者は意気投合し、ジョーンズとキッダーはモーゼルが所有する事業所の一部を借受けF・A・ジョーンズ&カンパニーの設立が実現した。
沿革
[編集]- 1868年 - アメリカ人技師で以前ハワードで働いていたフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズが時計職人のハインリヒ・モーザー(Heinrich Moser )と協力し、アメリカ市場向けに懐中時計を販売するためスイスのシャフハウゼンで創業。
- 1880年 - 経営権がヨハネス・ラウシェンバッハ・フォーゲル(1815年 - 1881年)に移る。
- 1881年 - 経営権をヨハネス・ラウシェンバッハ・シェンク(1856年 - 1905年)が相続した。
- 1885年 - 台帳に生産した全製品のキャリバー、素材、ケース詳細の記録を始める。
- 1899年 - 女性向け懐中時計用のキャリバー64を流用した腕時計を発売。
- 1903年 - ヨハネス・ラウシェンバッハ・シェンクの娘エンマ・マリーがカール・グスタフ・ユングと結婚、ベルタ・マルガレッタがエルンスト・ヤコブ・ホムバーガー(1896年 - 1955年)と結婚した。
- 1905年 - 株式の一部をエルンスト・ヤコブ・ホムバーガーが相続し経営権を引き継いだ。
- 1915年 - 当初より腕時計用として設計されたキャリバー75を使用し腕時計製造に本格参入。
- 1939年 - カール・グスタフ・ユング所有の株式をエルンスト・ヤコブ・ホムバーガーが全部取得、個人オーナーとなった。
- 1936年 - 軍専用パイロットウォッチを発売。
- 1939年 - 懐中時計のムーブメントを使用した大型の『ポルトギーゼ』発売。
- 1944年 - アルバート・ペラトンがIWCに入社。
- 1946年 - 技術責任者アルバート・ペラトンによる自動巻機構の特許取得。
- 1948年 - パイロット・ウォッチ『マークXI』発売。
- 1955年 - 耐磁時計『インヂュニア』(Ingenieur )発売。
- 1957年 - クルト・クラウスがIWCに入社。
- 1958年 - 『ポルトギーゼ』生産停止。
- 1966年 - アルバート・ペラトン、IWCを退職。
- 1967年 - ケース内に専用リューズで操作できる回転ベゼルを持つ防水時計『アクアタイマー』(Aquatimer )発売。
- 1969年 - クォーツショックを受け、クォーツ式腕時計用ムーブメントベータ21の開発に参画。
- 1970年 - ベータ21を使用したクォーツ式腕時計『ダ・ヴィンチ』発売。
- 1976年 - ジェラルド・ジェンタデザインによる新型の『インヂュニア』を発表。5個のビス穴が特徴で、以降踏襲される。
- 1978年 - ポルシェデザインの最初の時計『コンパス・ウォッチ』を発売。
- 1984年 - 古典的なデザインの『ポートフィノ』を発売。
- 1989年 - 史上最高の耐磁性能500,000A/mを持つ『インヂュニア』販売。
- 1993年 - 創業125周年。本社社屋内に博物館の開設を決定した。『イル・デストリエロ・スカフージア』(Il Destriero Scafusia )を125本限定販売。『ポルトギーゼ』ラインを復活させた。パイロット・ウォッチ『マークXII』発売。
- 1985年 - クルト・クラウス設計による、ETAのCal.7750に永久カレンダーを組み込んだ『ダヴィンチ パーペチュアルカレンダー』を発表。汎用ムーブメント使用により、従来の永久カレンダー搭載腕時計よりも大幅にコストを抑えることに成功し、リューズのみでカレンダーの操作を可能とした。
- 1995年 - ポルシェデザインがエテルナを傘下に収めたのに伴い、同社との提携を解消。
- 1997年 - 『GST』発売。
- 1999年 - 『GSTディープワン』発売。パイロット・ウォッチ『マークXV』発売。『インヂュニア』を生産停止。
- 2000年 - リシュモングループの傘下に入った。自社製のCal.5000を搭載した大型の『ポルトギーゼ・オートマティック2000』を発表。
- 2005年 - 『インヂュニア』ラインを復活させた。
- 2007年 - 自社製ムーブメントを搭載した新型『ダ・ヴィンチ』を発表。
- 2012年 - 自社製ムーブメントを中心とした『トップガン』などのパイロットモデルを発表。
- 2017年 - 『ダ・ヴィンチ』を一新し、複雑時計や3針モデルなどを発表。
- 2023年 - ジェンタのビス穴付きデザインを復活させ、リニューアルした『インヂュニア』を発表。
- 2024年 - 同社初のセキュラーカレンダーモデル『ポルトギーゼ・エターナル・カレンダー』を発表。「最も精密なムーンフェイズの腕時計」としてギネスブックに登録。
時計製造
[編集]IWCの時計は、懐中時計主流の時代から精度の高さが評価され、日本でも高級懐中時計の代名詞的存在として認知された。腕時計主流の時代になっても、天文台コンクールやクロノメーター規格に参加しなかったが、優秀級クロノメーターよりも厳しい独自基準を社内に設け、徹底した品質管理の下、精度と耐久性を重視した時計作りに取り組んでいる。基本設計の優秀さに加え、部品の材質・仕上げにコストをかけているため、製品を長期に亘り使用しても、メンテナンスを怠らなければ、新品時の精度を永く維持可能とされる。
1915年から腕時計に参入、高品質と良質な仕上げで評価の高い自社製キャリバーを開発、懐中時計の時代程ではないにせよ高い知名度を維持した。第二次世界大戦前には古い手巻のキャリバー83、角形手巻のキャリバー87などの優品があり、1938年のキャリバー60では、秒針を中心軸配置する「センターセコンド」前提の設計をいち早く採用、秒針が独立したスモールセコンド型の派生としてセンターセコンド機を作っていた競合各社をリードした。第二次大戦後、ヴァシュロン・コンスタンタンから1944年に移籍した時計技術者アルバート(アルベール)・ペラトン(Albert Pellaton 1898-1976)が辣腕を振るい、生産合理化を図りつつ高品質を維持。ペラトンが1946年従来モデルを刷新した手巻キャリバー89は、その完成度の高さから1974年の生産中止までロングセラーとなった。更にペラトンは独自のラチェット動力伝達両回転型「ペラトン式自動巻機構」(1946年開発、特許取得)を備えたキャリバー85系(1950年設計)でも成功を収め、自動巻主流化の潮流にいち早く乗った。
ペットネームを持たない製品が多いが、数少ない例外であり高い耐磁性能を持つインヂュニア(1955年発売)、ヨットマンのために特殊ラバーで衝撃を吸収するヨットクラブ等のモデルは、アンティーク市場において現在も高い人気を維持している。パイロットウォッチのマークシリーズはマーク11までキャリバー89を搭載していたが、マーク12以降はジャガールクルト、エタの機械を採用している。
1969年のクォーツショックにより安価な日本製クォーツ式時計が市場を席巻、時計価格が大幅に下落したため、スイスの複数メーカーによるクォーツ式ムーブメントのベータ21の共同開発に参画、1970年ダ・ヴィンチに搭載した。これに伴い、機械式の製品では、懐中時計を除き自社製ムーブメントの開発・生産を打ち切り、比較的安価なエタ製汎用ムーブメントを採用、これにより70年代初頭までロレックスより格上と認知されていたかつてのブランドイメージと人気を失った。一方、汎用ムーブメントの使用にあたり、大幅な独自のカスタマイズを施しているほか、エタ社に対し多くの改良要望を行い、同社製品の精度や製品検査体制に影響を与えたとされる。
80年代半ばには、世界的に機械式時計が再評価され、とりわけマニュファクチュールブランドが復権した。この時代、ペラトンの薫陶を得たIWC生え抜きの技術者のクルト・クラウスが、エタ製キャリバーの改良によりIWC製品の評価を高めた。2000年に、エタ製汎用ムーブメントをベースにペラトン式自動巻機構を採用した5000系キャリバーを開発、中核ラインのポルトギーゼやインヂュニア等に搭載している。また、ダイムラーの高級車ブランド・AMGとのコラボレーションモデルインヂュニアオートマチックAMGをリリースしている。
製品ラインは、「ポートフィノ」「インジュニア」「ポルトギーゼ」「アクアタイマー」「パイロットウォッチ」「ダ・ヴィンチ」の6ラインから構成され、2020年代までライン活性化の為、毎年1ラインをリニューアルする手法がとられていたが、現在は必ずしも規則的な更新は行われていない。
製品
[編集]アメリカ人が創業したスイス企業で、本社がドイツ語圏のシャフハウゼンに所在することもあり、製品もスイス時計らしい華やかなデザインのものは少なく、装飾を排した、シンプルなものが多い。アルバート・ペラトン、クルト・クラウスの設計思想が反映し、耐久性に優れた大型なムーブメントを好む傾向がある。 創業以来、販売した全商品の永久修理を行うことでも知られる。
ポルトギーゼ
[編集]1939年に制作されたオリジナルモデルは、ポルトガルの時計商であったロドリゲスとティシェイラから「大型でも構わないので懐中時計用の機械を使用して、マリンクロノメーター級の精度を持つスティールケースの腕時計が欲しい」との注文を受け、当時懐中時計用としては最も薄型であったキャリバー74と98を採用して制作された。
1993年に創業125周年を記念した『ポルトギーゼ・ジュビリー』で限定モデルとして復活、その後通常ラインに切り替えられ、現在まで存続している。開発経緯からベゼルの薄い大型ケースにシンプルなダイヤルを組み合わせたエレガントなデザインが特徴。
1998年にラインナップされたポルトギーゼ・クロノグラフは、発売以来、意匠やサイズに大きな変更の無いロングセラーモデル。2019年にベースムーブメントをETA/Valjoux7750から同社初の量産型自社製69000系ムーブメントに変更。同社を代表するモデルとして、現在も高い人気を維持している。
2003年に発表されたポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダーは、ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダーの永久カレンダーを高精度化したモジュールを自社製5000系ムーブメントに搭載、ムーンフェイスの誤差577.5年に1日を実現、南北両半球のムーンフェイスを表示するモデルが追加された。その後、2006年、2015年にムーヴメントを置き換え、さらなる高精度化が図られている。
2024年に同社初のセキュラーカレンダーモデルとなるポルトギーゼ・エターナル・カレンダーを発表。従来のパーペチュアルカレンダーモジュールに「400年歯車」を含む8個のパーツを追加することで、グレゴリオ暦を完全再現(例外ルールで閏年が不適用となる世紀初(400年中3回)も自動調整するため、手動調整不要)。また、ムーンフェイズは、コンピューターを駆使し22兆通り超の歯車の組み合わせをシミュレート、3つの中間歯車を備えた減速機構を開発し、45,361,055年に僅か1日の誤差を実現。「最も精密なムーンフェイズの腕時計」としてギネスブックに登録されている。
アクアタイマー
[編集]1967年初出のダイビング人気の高まりを受け製作されたライン。
1988年には、ドイツ連邦軍向けに機雷除去用ダイバーズ・ウォッチを開発。機雷除去時に誘爆を防ぐ観点から、ムーブメントに非帯磁素材を採用した特殊モデル。
1999年に発売したプロフェッショナル仕様のディープワンは、機械式水深計を搭載。その後、第3世代まで展開。
インヂュニア
[編集]名称はドイツ語Ingenieur(エンジニア)に由来。強い磁気環境下での使用に耐える耐磁性軟鉄製インナーケースを採用した特殊モデルであるが、IWCは汎用性の高いスポーツラインとして販売している。
1976年に発売したインヂュニアSLは、ジェラルド・ジェンタがデザイン。現在のモデルにもSLのデザインコードがモディファイされる形で引き継がれている。
パイロット
[編集]1930年代初出のパイロット、ミリタリー向けライン。
1936年発売のスペシャル・パイロット・ウォッチは、民間航空パイロット向けに製作。頑強なケースに耐気温変動(摂氏マイナス40℃からプラス40℃まで)、耐磁性を備えていた。
1948年に英国政府の要請に応じ製造開始したマーク11は、1949年英国空軍が正式採用、1981年まで戦闘要員に支給された。
ポルシェデザイン
[編集]ポルシェデザインと提携、同社デザインによる時計を1978年から1998年まで制作した。
1978年にコンパス・ウォッチを発売。
1980年に発売したチタン・クロノグラフは、腕時計のケースに加工の難易度が高いチタンを初めて採用。ボタンとケースを一体化したデザインも話題を集めた。
1982年に、西ドイツ海軍の要請により、世界初の2000m防水時計オーシャン2000を開発。
ポートフィノ
[編集]1950年代に多くのハリウッドスターが訪れた地中海に浮かぶイタリアの港町ポートフィノがモデル。ドルチェ・ヴィータ(甘い生活)を体現するクラシックでドレッシーなライン。
1984年にポートフィノ・ハンドワインド・ムーンフェイズを発表、クラシカルでシンプルなケースとダイヤルに、ムーンフェイズを合わせたデザインコードは現在まで引き継がれている。
1995年にロマーナ・パーペチュアル・カレンダーを発表。同ライン初の永久カレンダーモジュール搭載モデルであり、永久カレンダー付き腕時計としては世界で最も薄型の一つとされた。
2022年にポートフィノ・パーペチュアル・カレンダーを発表。IWCとしては比較的小振りな40mmのケースに永久カレンダーモジュールを搭載した自社製ムーブメントCAL.82650を搭載。
ダ・ヴィンチ
[編集]レオナルド・ダ・ヴィンチの革新的な思考法にインスパイアされたライン。
1985年、往年のマスターピースとして名高いダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダーを発表。汎用ムーブメントETA/Valjoux7750をベースに、西暦4桁で2499年までデジタル表示する永久カレンダーモジュール、122年間に1日の誤差のムーンフェイス、クロノグラフを搭載。開発を担当したクルト・クラウスの「堅牢で使いやすく、工業的に生産できなければならない」という設計思想を色濃く反映、シンプルな設計、工業化に適した少ない部品点数で高機能・高精度を実現した、時計史に金字塔として輝く複雑モデル。生産性の高さからIWCに大きな成功をもたらし、「発売初年度だけで、市場に流通する全ての永久カレンダー以上の本数を売り上げた」と指摘する関係者もいる。
2017年に自社製ムーブメントCal.89630を採用したダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー・クロノグラフを発表、ムーンフェイスの誤差577.5年に1日、パワーリザーブ約68時間(旧モデル44時間)を実現。
イル・デストリエロ・スカフージア
[編集]1993年に創業125周年を記念して125本が限定販売されたハイコンプリケーションモデル。750個のパーツで構成され、スプリットセコンドクロノグラフ、ムーンフェイズ、西暦4桁をデジタル表示する永久カレンダー、ミニッツリピーター、トゥールビヨンの機能を持ち、発売当時、最も複雑なグランドコンプリケーションとされた超複雑時計。当時は少なかった裏蓋にもサファイアガラスを使用したモデル。
GST
[編集]ポルシェデザインとの提携解消に向け、オリジナルの後継スポーツラインとして開発。1997年市場投入、2003年頃生産終了。名称はケース素材G(Gold)、(Stainless)、T(Titanium)に由来。
GSTパーペチュアルカレンダーは、スポーツウォッチの頑強なケースに、ダ・ヴィンチの永久カレンダーモジュールの耐衝撃性を向上、ベースムーブメントETA/Valjoux7750の緩急針をトリオビスに置き換えて高精度化を図り、従来不可能とされていたスポーツシーンでの複雑時計の着用を実現、識者の評価も高い。
アクアタイマーは、GSTの展開中、GSTコレクションに属していた。GSTの幾何学的なデザインコードは、後のアクアタイマーやインヂュニアに引き継がれている。
関連項目
[編集]- トゥールビヨン〜時の仕掛人〜 (2008年、BSジャパンで放送の機械式腕時計の専門番組)
- クルト・クラウスという時代 (2014年、クロノス日本版9月号 No.054 特集)