コンテンツにスキップ

浅川浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅川 浩
あさかわ こう
浅川浩
生年月日 (1869-03-06) 1869年3月6日
明治2年1月24日)
出生地 日本の旗 日本 甲斐府巨摩郡
(現・山梨県北杜市大泉町
没年月日 (1949-02-10) 1949年2月10日(79歳没)
所属政党 憲政会
立憲民政党
テンプレートを表示

浅川 浩(あさかわ こう[1] / ひろし[2]1869年3月6日明治2年1月24日[3]) - 1949年昭和24年)2月10日[1])は、日本実業家政治家憲政会立憲民政党所属の衆議院議員

経歴

[編集]

甲斐国巨摩郡、後の北巨摩郡大泉村(現山梨県北杜市大泉町)で浅川荘衛の長男として生まれる[2][4]1883年4月に上京し明治学館で学ぶ[1][2]1886年に卒業して帰郷し、農蚕、酒造業を営むが成功せず、1890年御料局雇となる[2]

1893年北海道に移り上川郡旭川村戸長役場筆生に就任[2]。以後、高鷲村戸長、旭川町会議員、同区会議員、旭川市会議員北海道会議員、北海道教育会地方委員、旭川教育会理事、旭川精米社長、旭川酒造社長、北海畜産社長などを務めた[1]

1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で北海道第八区から憲政会所属で出馬し、僅少の差で次点となるが、当選者大久保虎吉の票に無効票が多いことが判明し、同年12月11日、大審院で当選無効訴訟が確定したため[5]、浅川が当選者となり衆議院議員に就任した[2][6]。その後、第15回から第17回までと第19回総選挙で当選し、衆議院議員を通算五期務めた[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』18頁。
  2. ^ a b c d e f 『北海道人名辞書』第二版、317頁。
  3. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、36頁。
  4. ^ 『人事興信録』第8版、ア79頁。
  5. ^ 『官報』第2513号、大正9年12月16日。
  6. ^ 『官報』第2522号、大正9年12月27日。

参考文献

[編集]
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 金子信尚編『北海道人名辞書』第二版、北海民論社、1923年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、1928年。