ハセパーク
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
ハセパーク(ヒキゾメ) | |||||||||
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品種 | サラブレッド系種 | ||||||||
性別 | 牡 | ||||||||
毛色 | 鹿毛 | ||||||||
生誕 | 1933年 | ||||||||
死没 | 不明 | ||||||||
父 | プライオリーパーク | ||||||||
母 | ギーキング | ||||||||
生国 | 日本(青森県七戸町) | ||||||||
生産者 | 盛田牧場 | ||||||||
馬主 | 門倉恒雄 | ||||||||
調教師 | 金者斤奉 | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 | 37戦8勝 | ||||||||
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ハセパーク(1933年 - ?)とは日本の競走馬である。1938年の第2回帝室御賞典 (春)に優勝した。
経歴
[編集]1936年5月に横浜競馬場の新呼馬でデビューした。当初はヒキゾメという馬名で走り、同年の秋季東京開催からハセパークに改名している[1]。翌年3月の中山のレースで初勝利を挙げると、連勝で重賞・五歳馬特別を制した[1]。秋には第1回天皇賞 (秋)(当時の名称は帝室御賞典)に出走するが、8頭中7番人気で8着であった[2]。
1938年、6歳春になってから急激に力をつけ、春の帝室御賞典までに4勝をあげ、本番ではヒサトモらを抑えて1番人気に支持された。レースでは第3コーナー過ぎから先頭に立ち、そのまま押し切るという横綱相撲で優勝した。騎手は調教師兼任の金者斤奉[2]。タイム2.53.1はレコードであり、この時の売り上げは330,760円にのぼった[3]。
しかし、次に出走した目黒記念で6着に敗れて以降は尻すぼみの成績になり、8歳となる1940年まで走ったが良い成績は残せなかった[4]。
血統は牝系に軽半種、サラブレッド系種、アングロアラブ(アラブ系種)を含んでいたので種牡馬としての価値は低かったと考えられる。1940年春季を最後に登録を抹消、乗馬になったとされるが詳細はわかっていない[5]。
血統表
[編集]ハセパークの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ストックウェル系(エクリプス系) |
[§ 2] | ||
父 *プライオリーパーク Priory Park 1922 鹿毛 |
父の父 Rocksavage1915 |
Rock Sand | Sainfoin | |
Roquebrune | ||||
Manuka | Eager | |||
Sempronia | ||||
父の母 Chatham1908 鹿毛 |
Darley Dale | St.Simon | ||
Ismay | ||||
Coronation Day | Ermak | |||
Farceuse | ||||
母 サラ系 ギーキング 1926 鹿毛 |
*ゼヴァイキング The Viking 1913 黒鹿毛 |
Dark Ronald | Bay Ronald | |
Darkie | ||||
Bokaal | St.Serf | |||
Kissing Cup | ||||
母の母 サラ系 雅芳1920 |
*ガロン | Gallinule | ||
Flair | ||||
軽半 ハツヒメ | *セントフヲスチノ | |||
軽半 第二富士越 | ||||
母系(F-No.) | 富士越系(FN:ntb) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | St.Simon4.5x5=12.5% Isonomy5x5=6.25% | |||
出典 |
母ギーキング、祖母雅芳はかつての分類では「内洋」となる[7]。
牝祖にあたる五代母・富士越は中半血種。その父は第六スプーネーだが、母は「詳細不明の中半血種」とのみ伝わる[1]。