ミラティビティ
ミラティビティ(英:mirativity)あるいは意外性[1]とは、話者の驚きや、思いがけないことを表す文法範疇である。米国の言語学者スコット・デランシーによって提唱された。意味論的範疇としてのミラティビティを標示する文法的要素は「ミラティブ (miratives, 略号:mir)」と呼ばれる[2]。証拠性を表す形式がミラティブを兼ねている言語も少なくない[1]。
研究史
[編集]「ミラティビティ」という語は、デランシー以前にも、ワショ語の記述において用いられていた[2][3]。
通言語的な範疇としてのミラティブを扱った最初の文献であるDeLancey(1997)は、ミラティブを持つ言語の実例として、トルコ語・ヘアー語・スヌワール語・ラサ・チベット語・朝鮮語を挙げている[2]。それ以降、デランシーの研究を参照する形で、他の言語(特にチベット・ビルマ語派)におけるミラティブの存在も数多く報告されてきた。もっとも、Lazard(1999)とHill(2012)のように、ミラティブという範疇の妥当性に疑義を呈する者も見られる。Lazard(1999)は、ミラティブを証拠性から区別することはできないとしている。Hill(2012)は、デランシーとAikhenvald(2004)の提示したミラティブの証拠が不十分である、ないしは誤りであるとしている。DeLancey(2012)は、Hill(2012)の指摘を受けて、チベット語に関する自身の分析の誤りを認めた一方(トルコ語・スヌワール語・朝鮮語に関しては言及なし)、ヘアー語・カムクラ語・マガール語には明確にミラティブと言える事例が見られるとした。一方、Hill(2015)は、ヘアー語の新たな分析を提示し、デランシーがヘアー語におけるミラティブの実例と見なしたものを、直接証拠性を示す形式として分析している。
アルバニア語には、ミラティブないし感嘆形 (admiratives)と呼ばれる一連の動詞活用形が存在する。これは話者の驚きだけでなく、アイロニー・疑念・引用などを表す機能を持つ[4]。
事例
[編集]「おお」やWow!のような感動詞で「意外性」を表す言語は、通言語的によく見られる[5]。イントネーションも驚きや新情報の表出に関与している[5]。
広東語では、文末助詞のwo3 ~ wo4がミラティビティを表す[6]。
hou2
好
とても
leng4
靚
可愛い
wo3!
喎!
(文末助詞)
「めっちゃ可愛いじゃん!」
("Wow, it's really cute!")
トルコ語の-mIşは、間接証拠性の標識であり、通常の文脈では話者が直接見聞きしたわけではない情報を表す。しかし、驚きの出来事や予期しなかった事象に対しては、話者がその場面を目撃した場合でも-mIşを用いることができる[2]。
kiz-miz
娘-あなたの
çok
とても
iyi
良い
piyano
ピアノ
çal-ıyor-muş.
演奏する-(現在)-(ミラティブ)
「娘さんピアノすごく上手ですね!」
現代日本語(標準語)の「タ形」(過去形)には、現在の出来事に対する意外性を表す、以下のような用例が見られる[7]。
- 探していた傘がこんなところにあった。
- そう言えば今日は休店日だった。
北琉球語群に属する沖縄語首里方言では、動詞の変化結果を表す「シェーン形」が、間接証拠性ないしミラティビティも示す場合がある[7]。
脚注
[編集]- ^ a b 當山, 奈那 著「証拠性」、木部, 暢子 編『明解方言学辞典』三省堂、2019年、84頁。ISBN 9784385135793。
- ^ a b c d DeLancey, Scott (1997). “Mirativity: The grammatical marking of unexpected information”. Linguistic Typology 1: 33–52. doi:10.1515/lity.1997.1.1.33.
- ^ Jacobsen, William Jr. (1964). A Grammar of the Washo Language.. Berkeley: University of California Press 2024年2月3日閲覧。
- ^ Friedman, Victor A. (1986). “Evidentiality in the Balkans: Bulgarian, Macedonian and Albanian”. Evidentiality: The Linguistic Coding of Epistemology. Ablex. pp. 168–187. ISBN 978-0-89391-203-1 p. 180.
- ^ a b Aikhenvald, Alexandra Y. (2004). Evidentiality. Oxford University Press. p. 214
- ^ Matthews, Stephen (1998). "Evidentiality and mirativity in Cantonese: wo3, wo4, wo5!". Proceedings of the 6th International Symposium on Chinese Languages and Linguistics (IsCLL-6). Taipei, Taiwan. pp. 325–334.
- ^ a b 林, 由華 著「ミラティビティ」、木部, 暢子 編『明解方言学辞典』三省堂、2019年、140頁。ISBN 9784385135793。
参考文献
[編集]- Aikhenvald, Alexandra Y. (2004). Evidentiality. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-926388-2
- DeLancey, Scott (1997). “Mirativity: The grammatical marking of unexpected information”. Linguistic Typology 1: 33–52. doi:10.1515/lity.1997.1.1.33.
- DeLancey, Scott (2001). “The mirative and evidentiality”. Journal of Pragmatics 33 (3): 369–382. doi:10.1016/S0378-2166(01)80001-1 .
- DeLancey, Scott (2012). “Still mirative after all these years”. Journal of Pragmatics 33 (3): 529–564. doi:10.1515/lity-2012-0020 .
- Dickinson, Connie (2000). “Mirativity in Tsafiki”. Studies in Language 24 (2): 379–422. doi:10.1075/sl.24.2.06dic .
- Hill, Nathan W. (2012). “'Mirativity' does not exist: ḥdug in 'Lhasa' Tibetan and other suspects”. Linguistic Typology 16 (3): 389–433. doi:10.1515/lity-2012-0016 .
- Hill, Nathan W. (2015). “Hare lõ: the touchstone of mirativity.”. SKASE Journal of Theoretical Linguistics 13 (2): 24–31 .
- Lazard, Gilbert. (1999). “Mirativity, evidentiality, mediativity, or other?”. Linguistic Typology 3 (1): 91–109. doi:10.1515/lity.1999.3.1.91.
- Slobin, Dan I.; Aksu, Ayhan A. (1982). “Tense, aspect and modality in the use of the Turkish evidential”. In Hopper, Paul J.. Tense-aspect: Between semantics & pragmatics. Amsterdam: John Benjamins. pp. 185–200. ISBN 978-90-272-2865-9. オリジナルの2009-05-30時点におけるアーカイブ。 2015年6月12日閲覧。
- Yliniemi, Juha. (2021). Similarity of mirative and contrastive focus: three parameters for describing attention markers. Linguistic Typology.