3. 投擲的発話
私は彼らの発話の形式を,「普通の大きさの声」か「大きな声」か,そして「相手を特定している」か「特定していない」か,という二つの基準によって,四つに分類した。
- 「普通の大きさの,相手を特定している」発話 = 通常の対面的会話
- 「普通の大きさの,相手を特定していない」発話 = ひとりごと,赤ん坊の泣き声など
- 「大きな声の,相手を特定している」発話 = 「遠距離会話」
- 「大きな声の,相手を特定していない」発話 = 「投擲的発話」(後述)
彼らの発話形式がこれら四つの象限を,自在にふらふらと浮動している。
たとえば日本人であれば,遠くの人を呼ぶ必要が出てくると,「気持ちを切り替えて」呼ぶということをする。
しかしボンガンドの人々は,小声の発話から大声の発話まで,そして相手を特定した発話から特定しない発話までを,連続して変化させているのである。
|
村の長老Baohandaがボナンゴを語っている
|
このうちもっとも興味深かったのが,4番目の発話形式,すなわち「大きな声の,相手を特定していない」発話であった。
ボンガンドの人は,村の中にある広い庭に立って,大声で朗々と喋りはじめることがある。この語り方を,彼らは「ボナンゴ」と呼んでいる。ボナンゴとは何か,彼らに質問すると,「公式見解」としては「村の人たちに,ニュースを知らせたり,ものごとを教え諭したりすることだ」という答えが返ってくる。
しかし,ボナンゴにおいては,話し手は一生懸命力を込めて語っているのだが,聞き手はその語りに興味を示した様子を見せない。
私はボナンゴが始まると,しばしば近くにいる人に「あれは何を言っているんだ?」と質問したのだが,その答えは「彼は昔からのしきたりについて言っているんだ」などといった大変そっけないものだった。
ボナンゴの内容は,情報伝達的な内容であることもあるが,以下に示すような,日本人の常識からすると,村中に聞こえる大声で喋らなくてもいいように思えるものも多かった。
- 「自分の孫が学校に行きたがらない」
- 「暑くてたまらん」
- 「フクロウが鳴いている」(フクロウは邪術師の化身と考えられている)
また通信用の太鼓や指笛でも,ボナンゴが語られることがある。数十キロメートル先まで響き渡る太鼓で,たとえば「腹が減った」「この頃雨ばかりだ」などという内容が打たれる。そういう太鼓言葉も,ボナンゴと呼ばれるのである。彼らは遠くから太鼓が聞こえると,誰かが死んだニュースか,などと思って耳を傾けるのだが,それが上のような内容であったら「ああ,ボナンゴか」と言って注意を解くのだという。
|
Baohandaが大声で語っているが,その先にはほとんど
誰もいない
|
つまりボナンゴとは,語り手の方は「勝手に」自分の言いたいことを言い散らし,そして聞き手の方はそれを聞かないことにして受け流すことによって
成り立っているわけである。
語る方は聞き手がそれを聞き流してくれるだろうことを承知で,いわば無責任に発話を「投げ放す」のだが,聞き手の方もそれを承知で,真剣にはその発話に関与しないのである。
こういったイメージから,私はこの種の発話に,「投擲的発話」という用語をあてた。
>>Next Page