コラム:英国経済の「変調」示す3つのシグナル=山口曜一郎氏

コラム:英国経済の「変調」示す3つのシグナル=山口曜一郎氏
 7月13日、三井住友銀行のヘッド・オブ・リサーチ、山口曜一郎氏は、EU離脱決定を受け、英国の経済モデルにはすでに変調が生じ始めており、それは主に3つの点から検証できると指摘。提供写真(2016年 ロイター)
山口曜一郎 三井住友銀行 ヘッド・オブ・リサーチ
[東京 13日] - 英国の欧州連合(EU)離脱決定による金融市場の混乱を受けて、先週は不動産ファンドの解約請求の急増と解約の一時停止が注目を集めた。
筆者は、英国のEU離脱をめぐる重要なポイントは、今まで活発な投資資金の流入によって支えられていた英国の経済モデルに変調が生じている点であり、それゆえ、ポンドが売られ、国内の投資活動が揺らぎ、ファンド解約請求が起こっている、と考えている。
そこで、以下では、1)経常赤字ファイナンスを通じたポンド安、2)国内投資の減速、3)不動産価格などの資産価格下落に伴う金融システムの不安定化、といったリスクが顕現化する可能性について検証してみたい。
<商業用不動産価格下落のインパクト>
まず、投資資金の流入減と流出の影響が最も顕著に出てくるのは、経常収支ファイナンスとそれに伴うポンド安だと考える。
英国の経常収支は赤字幅が拡大傾向にあり、2016年第1四半期で326億ポンド、国内総生産(GDP)の約7%に達している。EU離脱によって英国への投資意欲が減退するようだと、経常赤字をファイナンスするために、為替市場でポンド安が続くことになる。英国民投票(6月23日実施)後の大幅なポンド安の一部には、思惑も含め、このような資金の流入減と流出の動きが反映されていると見ている。
2つめは、国内投資の減速だ。英国には旺盛な直接投資の流入があり、それが国内事業投資の一部を担っていると考えられる。今後、英国への投資資金流入が細れば、その分、国内の事業投資活動は弱まるだろう。
すでに2016年第1四半期の事業投資は前期比0.5%減で2四半期連続のマイナスとなっている。国民投票でEU離脱が決まったことを勘案すると、今後も鈍い動きが続くと見る。
3つめは、不動産価格などの資産価格下落が金融システムに与える影響だ。高値圏にあると言われていた商業用不動産価格は、以前から伸び率が徐々に鈍化していたが、EU離脱によってこの動きが加速する可能性がある。
イングランド銀行(英中銀、BOE)のデータによれば、不動産向け貸し出しが企業向け貸し出しに占める割合は12%程度であり、また残高は減少傾向にあるが、商業用不動産価格の下落が続くようだと、相応のインパクトが出てきそうだ。
5日にBOEが公表した金融安定報告書によれば、英銀の商業用不動産向け貸し出しでLTV(Loan to Value:不動産価格に対する融資比率)が70%超なのは、大手銀で15%程度、その他銀行で30%程度ある。単純に考えれば、不動産価格が3割超下落すると、この部分について担保割れのリスクが出てくる。
また、同報告書によれば、中小企業の75%が商業用不動産を担保として借り入れを行っており、不動産価格が大幅下落した場合、貸し出しの質が悪化するリスクが台頭する。万が一、この動きが住宅市場に広がるようだと、影響は一段と大きくなる。悲観的になりすぎる必要はないが、リスクとして頭に入れておく方が良いだろう。
BOEが5日に、自己資本の上積み比率を総与信の0.5%から0%に引き下げたのは、このようなリスクによって銀行が融資を抑制してしまうことを回避するための対応と思われる。
<金融市場にとって最悪のシナリオは>
市場の一部では、英銀の与信供与が収縮することで、グローバルな金融システムに悪影響が生じるのではないかとの懸念もある。要因としては、前述のような国内の貸出債権の質の悪化と、英国のソブリン格付け引き下げに伴う英銀の格下げの可能性などが挙げられている。
国際決済銀行(BIS)のデータを見ると、英国からの与信供与額上位15カ国において、供与額が相応に大きく、かつ全体に占める英国のシェアが20%超あるのは、香港、中国、カナダ、シンガポール、アイルランド、南アフリカ、インド、韓国、アラブ首長国連邦(UAE)となる。いずれも、英国と関係の深い国や地域だ。
これらの国・地域については、与信供与が大きく縮小し、かつ他国の与信供与で代替されない場合、問題となるリスクは排除できない。ただし、それがすぐにグローバルな危機に発展するかと言えば、そこにはかなりの距離があるだろう。
ちなみに、冒頭に挙げた不動産ファンドの解約一時停止のニュースは、投資資金の流入減と流出圧力の1つの証左となったとともに、投資ファンドの長短ミスマッチの脆弱性を示すものとなった。
そもそも、不動産という流動性が極端に低い資産を裏付けとしたファンドを、いつでも自由に換金できる「オープンエンド」にするという点に疑問がないわけではないが、このような解約停止の報道が投資家の不安心理をかき立て、投資信託を含めた幅広いアセットクラスに解約請求が起こり、現金化の動きと資産価格の下落に金融市場が耐えられなくなる、というのが最悪のシナリオだ。実現確率は低いと見られるが、ゼロではないという点には注意しておきたい。
<欧州統合のペースを見直す好機か>
一方、大陸欧州では、イタリアの不良債権に注目が集まっている。3300億ユーロと同国GDPの約2割にあたる不良債権額の水準も問題だが、ポイントの1つは、銀行を救済する際に、銀行再建・破綻処理指令(BRRD)に基づいて、株主や債権者に負担を求める「ベイルイン」が行われるという点だ。
イタリアの家計は預金に近い感覚で銀行債を購入していると言われており、イタリア中銀によれば約2000億ユーロの銀行債を保有している。実際の負担額は銀行救済に伴う損失の程度によるが、ベイルインが行われれば、イタリアの現政権やEUに対する不満から政治的な混乱が生じる恐れがある。
政権はベイルインを回避する道を模索しているようだが、EUとしては、債権者負担の観点から1月に本格導入したBRRDにいきなり例外措置を適用するのには抵抗があるだろう。EUを1つに束ねるためにルールの厳格化は必要とされるが、強い縛りは柔軟性を失わせる。
12日には、EU財務相がスペインとポルトガルの過剰財政赤字に対する制裁手続きの開始を承認したが、これもルールの厳格な運営か柔軟性か、という文脈で捉えることができるだろう。財政規律という点ではルールの遵守は重要だが、現在のような経済的、政治的に不安定な状況では、一定の配慮が必要との見解も一理ある。
英国のEU離脱派による主張の1つもこの部分に絡んでくる。離脱派からは、しばしば、EUが拡大する中、ルールがより厳格化され、自分の国のことを自分で決められなくなっている、という不満を聞く。もしかしたら、欧州は急ぎすぎていたのかもしれない。
筆者は、今回の英国の決定は、欧州統合の道程を逆転させるほか、他の欧州諸国、あるいは世界中で、内向き志向や孤立主義などを推し進めてしまうリスクがあると懸念している。しかし、EU拡大の中で生じていた歪みを見直す機会になる可能性があるとも考える。
今後2年から3年、欧州統合の動きは足踏み状態となるだろうが、EUとユーロ圏、それぞれの存在意義は何か、今のEUの方針や政策に無理はないか、といったことを見つめ直すことができれば、必ずしもEU分裂にはつながらないという希望を持っている。
*山口曜一郎氏は、三井住友銀行市場営業統括部副部長兼調査グループ長で、ヘッド・オブ・リサーチ。1992年慶應義塾大学経済学部卒業後、同行入行。法人営業、資本市場業務、為替セールスディーラーを経て、エコノミストとして2001―04年に ニューヨーク、04―13年ロンドンに駐在。ロンドン大学修士課程(金融学)修了。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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