老師オグチの家電カンフー
目が見えなくなった時の家電使いこなし術
第3回 生活家電のボタンにあるポッチは役に立つか?
2018年5月16日 07:30
前回の記事で、 視力の低下をカバーするスマホやパソコンの設定について書きましたが、家電 Watchの連載なので、生活家電の話もしないとですね。
生活家電といえども、目が見えていることを前提に設計されているので、突然視力が失われると、使うのはかなり厳しいです。とはいえ、何も考えられていないわけではなく、よく使うであろうボタンにはポッチ(突起)がある製品が多いです。どうも明確なルールはないようですが、自宅にある製品を見てみると、空気清浄機なら「運転」、レンジであれば「あたため」、炊飯器なら「炊飯」、電気ポットなら「給湯」のボタンにポッチが付いています。
ただし、視覚障がい者が使いこなせるかどうかはケースバイケースでしょう。製品や視力のレベル、そして慣れによって変わってきます。当然ですが、機能が複雑になるにつれて、視力の必要性が高くなります。多機能のオーブンレンジや炊飯器は、ディスプレイでメニューなどを選択するので、視覚障がい者には使いにくい(使いこなせない)と言えます。単機能な製品か、音声案内機能を搭載したモデルを買うことになるでしょう。
点字を習得している視覚障がい者の場合、ボタンに点字シールを貼ることで使える機能が広がります。自分の場合、これが裏目に出たのが病院のシャワートイレです。
シャワートイレのボタンにもポッチがあります。メーカーやモデルによっても差がありますが、おしり洗浄のボタンが「・」、止めるボタンが「−」の形状に出っ張っている製品が多いようです。
ただ、そのポッチの意味すら初めて知ったうえに、点字もすべてのボタンにあり、私のような“にわか”には意味不明。入院中に部屋が変わり、何度かおしり洗浄の水が止められなくて焦りました。手当たり次第にボタンを押したらお湯が水になったりして。後から聞いたら、センサーがあるのでそのまま立ち上がっても水は止まるらしいですが、ちょっと勇気が要りますよね。
逆に使いやすかったのはエアコンやテレビのリモコンです。電源ボタンは大きめで、エアコンの温度調整なら「▲」と「▼」、テレビのチャンネル切り替え、音量調整もほぼ迷うことはありません。テレビは映像がわからないので、音だけ聴いていました。よく見た目のかっこ悪さが指摘されるリモコンですが、細かい機能のボタンは別にして、よく使う機能はいわゆるユニバーサルデザインになっていると感じました。
視覚がなくなった状態でもっとも使いやすかったのはスマートスピーカーです。当然と言えば当然ですが。わが家では居間に「Amazon Echo」、自室に「Google Home」を設置していますが、視力が失われiPhoneのVoiceOver機能を設定するまでは、時刻や天気の確認、簡単な調べ物などに役立ちました。
多機能な家電ほど操作は視覚に頼る必要があるのですが、スマートスピーカーに対応することで、視覚障がい者の生活をかなり改善できると思いましたね。触覚よりも聴覚の方が情報量が多いですから。
ところで、モノの形状を見る視力はそれなりに回復したものの、まだ変なのは明るさや色の見え方です。全体的に少し暗めなのですが、明るい色はやたら眩しく感じます。晴れた日の景色は白っぽく、白い紙がLEDや蛍光灯のように明るく見えます。内側に照明が入っているお店の看板や駅の案内板は、夜にかなり見えづらいです。
そして、認識できる色の数が少なくなっています。たとえば赤と茶色の差が分かりにくい。鮮やかさに欠けるので、基本的に料理は美味しそうに見えません。そのため食品の鮮度を判断することもできません。肉や魚なら賞味期限、野菜なら触感で判断するので問題はないのですが、調理で困るのは焼肉で、肉が焼けているかわからないのです。
それでも料理の写真はよくスマホで撮っています。これは、後で目が完全に回復した時に、本当の色味がどんなだったのか確認したい気持ちからです。思い出とは、普通は色あせるものですが、私の場合は色あせた目の前の現実を、後から鮮やかに感じたくて写真を撮っているのです。
そういう意味で、以前よりもカメラの性能は重要になりました。いわば目の露出やホワイトバランスがおかしい状態なので、カメラは基本オートでしか撮れず、後からパソコンなどで調整することも難しいからです。
実は、発症する前に新しいミラーレス一眼の購入を検討していました。入院時は、(目が相当悪かったので)意味のない買い物をしなくてよかったと思いました。しかし、退院後は仕事でも写真を撮りますし、目の悪さをカバーするためにカメラの性能がより求められる事態になっています。
とはいえ、目が悪いのにカメラを新調するという行為が腑に落ちず、今のところ購入には至っていません。理屈と感情の対立です。年をとって見た目が悪くなってきたから、若いときよりファッションにお金かけるべきと考えるものの、どうせモテないのは知ってる、みたいな。