27 告解
透き通るような濃い青空には、雲が漂っている。
雲と雲の隙間から一筋の光が差し込んだ。スピカは照らされながらベンチまで歩くと、腰を下ろした。
口を開く。閉じる。
スピカのその様子を見ても、サンは何も言わない。ただ、優しい目つきで見るだけだった。
きっと、ここで何も言わなくても、彼は何も言わないのだろう。
再び口を開いた。
空気の音が漏れる。それに混じる、小さくて、か細い音。
その音をなんだか他人事のように壁一枚はさんだ所から見つめた。
小さく息を吸う。他人に誇れる自分でありたい、そんな、スピカの小さな覚悟がそこにはあった。
再び口を開いた。
今度は、しっかりと声が出る。
一度こぼれた声は、感情は、濁流のように勢いを持って溢れ出した。
見上げた空は、どこまでも深い青色をしていた。
○
小さな窓から見える夜空は、血のように赤く、何か嫌な予感を感じさせた。
硬い床の上で寝ていたスピカ・ベルベットは、小さく伸びをひとつ。変な場所、変な体勢で寝たことによって体からびきりと文句の声が上がった。
ここは、ベルベット一族が長を務める、ドラゴンヒューマンの集落だ。
その名前は
なんて気の抜けるような会話をしていた。
余談だが、”おこうこ”とは漬物の意味である。
母親は晩飯に食べた漬物が美味しかったらしい。記憶の中の母親に苦笑を漏らす。
何時までもここに居るわけにはいかない、スピカはそう考えて立ち上がる。
彼女が両手を広げたら二人も入らないほどに小さな空間だった。
本棚から溢れた本が、積み重なって山になっている。部屋の中央には魔力の切れたランプが一つと、彼女が持ちこんだ大きなクッション。それと、果物を浸した水を入れた水筒。スピカの近くには広げたままの本が置きっぱなしになっている。
里の外れに作られた隠し書庫、それが現在スピカが居る場所である。
ここで彼女は何をしていたかといえば……次代の長となる為の勉強、という言い訳の下、本を読みに来て寝落ちしただけだった。
読んでいた本は、この世界を踏破しようとした男の伝記小説。
スピカにとって秘密基地のようなこの場所で、ひっそりと勉強に関係のない本を読むことが趣味なのは、両親すら知らない(とスピカが思っているだけだが)ささやかな秘密だったりする。
欠伸が漏れる。
すっかり夜も深まりつつある時間になっていた。手遅れな気もするが、ばれないうちにベッドに潜り込まないと怒られてしまう。
家に帰ろうと立ち上がり、ほんの少し扉を開けた。
――むっと、濃厚な、嫌な香りが漂ってきた。
慌てて扉を閉める。
ほんの少し吸い込んだだけで手先がピリピリと痺れるその香りに、彼女は心当たりがあった。
脳髄が痺れるような鋭い香り。それはコニン草が持つ独特な香りであり、人間が煎じて呑めば体の感覚を研ぎ澄ませ、強化する薬になる。
……それは。
もともと感覚が鋭く、優秀な肉体を持つ種族が服用したらどうなるだろうか。
酒も過ぎれば体に悪影響を与えるように、感覚を狂わせ、意識を酩酊させ、体から力を失わせる、毒だ。
スピカの全身から血の気が引いた。この村で、何かが起こっている。
首から下げるネックレスを強く握ると、襲いかかる混乱を飲み込む。冷静に対処せねばなるまい。魔力を耳に集めると、外の音を聞こうと研ぎ澄ませた。
無数の足音。
誰かが呻き声を漏らしている。
鉄と鉄がぶつかる、鈍い音。
襲撃。
不吉な二文字を思い浮かべる。
硬い目つきで扉を睨むと、体に魔力を這わせて息を止めて静かに扉を開く。そのまま目の前にある背の高い木をするすると登った。
コニン草の毒は空気よりも重たい。
止めていた息をぷはっと吐き出すと、新鮮な空気を肺一杯に取り込み、辺りの様子を伺った。
コニンの毒が白い
毒が流れ出ているのは里の入り口からだった。そこには沢山の人が蠢いており、魔法使いらが小さな山のように積まれたコニン草を炙っては、後ろから風を起こしているようだ。
里の中央には開けた広場がある。
そこで今まさに、鈍い光を反射する剣が――振り下ろされた。
黒々とした人影が崩れ落ち、丸い何かがゆっくりと転がる。
まるで現実感の無い光景だった。夢は目を閉じて見るもので、開きながら見るものではない。
じゃあ。
この光景は、現実なのか。
「はーっ、勿体無いよな。こんな美人を味わうこともなく殺しちまうなんて」
「毒によって麻痺しているとはいえ、竜人だ。死にたいなら止めはしないが」
「うーっす。わかってますよ。言っただけですわ」
鎧を見に纏った男が二人いた。
密やかな月明かりによって光沢を放つ鎧の、肩口にある真っ赤な模様が目に付いた。
蔓が絡んで出来た円の中に立派な薔薇が描かれている。
粗野な口調の男は、足先で今転がった物体を弄んでいた。流れ出た液体によって、泥まみれになったその竜人のことを、スピカはよく知っていた。
名前を、エレナ。
スピカへと姉ぶって接してくる女性だった。同い年のヴァルと仲が良くて、結婚する予定だったではないか。幸せが約束されていて、幸せにならないといけない人。
なのに。どうして。なんで。――死んでいる。
違う。死んだのではない、殺されたのだ。目の前の男によって。
「ま、コレくらいは貰っていきますかね、っと」
口を開いた騎士は、しゃがみ込むと、エレナの頭で何かをしだす。暗くてよく見えない。
ややあって立ち上がった騎士は、その手に角を二本持っていた。
殺しただけでなく、誇りすら弄ぶのか。
瞬間、抑えられないほどに強い激昂が体を支配する。
目の前が真っ赤に染まり、視界はグラグラと揺れ、体を支える木の幹が凹む嫌な音が鳴る。
涙が
身を焦がす業火に突き動かされ、木から飛び降りようとして――。
「スピカ!? スピカなのですか!?」
木々のざわめきに紛れるほどに小さな声がかかった。
「――ッ!? フラウ! よかった……!」
スピカが聞きなじんだ、親しみのある声だった。
振り向いた先には、スピカと同じように枝に立つ妙齢の女性の姿。彼女はベルベット家で仲働きをしており、家族同然の付き合いがある。
「エレナが、エレナが……」
要領を得ない言葉だが、それでフラウは理解したようだった。
「……なんて、
「一体、何が起こってるの?」
「わかりません。ただ、敵は人間です。人間が攻めて来ました」
二人の会話に答えるように、広場に居る男が剣を振りかざして大声を上げる。
皮肉なことに、まるで、英雄譚の一幕のようだった。
「竜人ッ! この集落に居る貴様等は、人間の大敵となる未来が見えた。我々は人の未来を守るために、貴様等を滅ぼすッ! いいか、これは大儀ある戦いだ。
さあ、同胞よ、敵を一人残らず殲滅しようぞ!」
大声に驚いたように、鳥たちが一斉に飛び立つ。
何、それ。
今居る私たちが何かをしたわけじゃ、ない。
やるせない
この里は日々の恵みに一喜一憂し、おだやかに日々を送ることを至上としていた。
だからこそ、未来で人類の敵になるなんて考えられないし、信じられない。
なら、きっと、そうさせたのは、人間のほうだ。
お前たちが。
そう有れかしと言うのであれば。なってやろうと、思った。……思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます