平凡な夏休み
11. 坂道
【八月一日】
今日、
「梨紗ちゃーん……まーじでやるのぉ……?」
「やるやる、大いにやりますよ。でもちゃんと気を付けるからさ、真聡くんは籠の中でリラックスしてくれてればいいのよ」
「うーん信用ならなさすぎる。
梨紗が押している自転車の籠から発信された救助要請に、俺は諦めろと答えた。梨紗を焚き付けたのは真聡だから、痛い目見とけとも思っていた。
ライムグリーンの自転車と、セーラー服にポニーテールを組み合わせた梨紗が歩いていく後ろ姿。そこだけ切り取れば、ありふれた高校生の夏って感じがするけれど、真聡の有り様が無視できないインパクトを与えている。何せ、自転車の籠に頭だけ乗せられているので。
真聡は今年、高校二年を迎えると共に、頭だけの状態となった。数年前から現れ出した奇病、「
突如、世界的に症例が確認されるようになったこの奇病は、胴体から生きたまま頭部が取れてしまうという特異も特異な病気。未だ多くの謎に包まれ、その大半は原因や感染経路などにまつわるものだが、どうして頭だけの状態でも生きていられるのかが何よりの謎。未だに誰も解明できていない謎は、今日もどこかで誰かの頭を悩ませている。
が、その手の謎は専門家の解明を待つに限る。分からないことはたくさんあるけど、俺たちにとっては、この夏休みをどう楽しく過ごすかの方が大事だ。その楽しい夏休みの一歩が、自転車を利用したジェットコースター体験というわけ。
「へっへっへぇ、ついに来ましたよ真聡くん。これからこの坂道をゆっくり登っていきますよぉ」
住宅街と空き地に伸びる道を進むこと数十分。俺たちは高台の
「来ちまったもんはしゃあねぇ、腹括るかぁ……」
「括るんだ。命知らずだな真聡」
「すまし顔で言ってんじゃねーぞ想一コノヤロー! ちょっとワクワクしてきちゃってんだよこちとらぁ!」
突っ込んだら馬鹿の返答がきた。もちろん安全に気を付け、籠は厳重にガードされているし、梨紗もヘルメット以外にプロテクターを付けているし、下る時は名曲よろしくブレーキを掛けながらになるけど、その上でワクワクしてるのは馬鹿だと思う。まあ、こんな馬鹿をやらかそうと結託している時点で、俺も梨紗も馬鹿なんだけど。
「よっし、じゃあ行こうか! 想一くん、見張りよろしくね」
「うーい。あ、いってらっしゃーいって言うべき? ジェットコースター見送るスタッフさんって笑顔でそう言うもんでしょ?」
「要らない要らない、そういう時のお前の笑顔めっちゃヤダもん」
「ははは、いってらっしゃーい」
「要らないっつっただろーッ!」
思いっきり笑って言ってやった後、同じく笑顔な梨紗に自転車を押され、真聡が坂道を上がっていく。上がり切ったところでは、ここよりもっと
ゆっくりゆっくり、生首を籠に乗っけた自転車を押しながら、女子高生が坂を上っていく。突っ込みどころしかない後ろ姿を見送りつつ、俺の方は周囲に人がいないか、車が来ないかの確認に徹した。平日の昼間で、閑静な住宅街の外れとは言え、人や車が来ないとは言い切れない。
幸い、どちらの影も見当たらないまま、目的地点に到達した梨紗から電話がかかってきた。大丈夫なことを伝えれば、「それじゃあ早速行ってみよーっ!」とテレビ番組じみた弾け声が返ってくる。心配なくらいのハイテンションだが、梨紗は浮かれまくって足を踏み外すような奴じゃないから大丈夫だろう。たぶん、きっと、おそらく。
引き続き左右を確認しながら坂道を見上げれば、生首連れた女子高生が、ちょうどペダルを踏みこむところだった。ブレーキに手を掛けつつ、それなりの速さで自転車が下ってくる。ブロック塀やコンクリの無彩色、繁茂する濃緑を切り裂いて、ライムグリーンの残影が下ってくる。
と、ここだけ見ればなかなか良い感じの光景が繰り広げられてはいたのだが。
「――ヒィィィヤァァァァァッ!!」
自転車の籠から絶叫を響かせる生首が、やっぱり凄まじいインパクトで向かってきていた。
「ガタガタいってるめっちゃ揺れるうううううあああぁぁぁ」
「うひーっ、やっばハンドルおっもい!」
「おあああ不安になること言うなあああああ!」
賑やかにやって来る女子高生と生首。梨紗が転倒したり、真聡が投げ出されたりすることも、人や車との接触事故もなく、一人と一首は無事に戻ってきた。前者はやり切ったとばかりのすっきりした顔で、後者は放心状態と一目で分かる顔で。
「お帰り、無事で何より」
「へへへ、安全運転を心掛けたからね」
一応声を掛けたが、誇らしげに答えたのは梨紗だけで、真聡は「おう……」と弱々しい相槌しか打たない。アフターケアをしつつ、本調子を取り戻させてやるべきだろう。
「とりあえず目的達成したし、近くの自販機で水分補給しねぇ?」
「そうだねぇ。真聡くん聞こえてるー? 次は自販機行こう、自販機」
「うん……」
厳重に守られた籠の中、うつろな目をして真聡が頷く。それとは正反対に元気な「それじゃあレッツゴー!」の声を上げ、再び梨紗が先行する。吹いてきた風が、俺と違って染めていない二人の黒髪を揺らした。涼しさからは程遠い、コンクリートの熱を巻き上げた温い風だった。
何てことはない平凡な夏休み、八月の始まり。その最初の記録は、こんなもので充分だろう。
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