第42話 怖れていたトラブル


「ほ、星ノ瀬さん……タマネギの飴色ってこんな感じでいいの?」


「うーん、もうちょっと炒めた方がいいわね。もうちょっと茶色っぽくなったら大丈夫よ!」  

  

「なあ星ノ瀬さん、ベイクドポテトがなんか固いんだけどよ……」


「それなら電子レンジで加熱すれば大丈夫よ! やり過ぎたら柔くなりすぎるから、手加減してちょっとずつやってね!」


「な、なんかサラダを盛ったお皿の底に水たまりができるんですけどぉ……」


「ああ、それは水切り不足ね! 備品のサラダスピナーがあるから、それでちゃんと水を飛ばせばOKよ!」


 実技テストが開始されてから、星ノ瀬さんの働きは目覚ましかった。

 いつも通りの彼女、クラスの誰からも頼られる人気者として、花咲くような笑顔で皆の問題を解決していた。


(練習の成果がこの上なく出てるな……)


 星ノ瀬さんは先日の自宅での練習にて、今他の生徒から相談されているような失敗を山ほど繰り返した。


 そしてそのたびに俺のアドバイスなどで解決法を身につけていったのだが、その積み重ねが強固な経験値となって彼女を支えているのだ。


「星ノ瀬さんって本当に頼りになるよねー……」


「いつもすっごいよね。あんなに可愛いのに勉強もできて、おまけにお料理まであんなにわかりやすく皆を指導できて……」


「あーマジ彼女にしたい。弁当作ってもらいてぇ」


「おいおい、夢みたいな妄想はやめとけって。同じクラスになれただけラッキーだと思えよ」


 星ノ瀬さんの指導の優秀さに、誰もが口々に彼女を褒め称える。

 まさしく今の星ノ瀬さんは、彼女が願ったとおり『誰からも好かれていて、敵意も過度な恋愛感情も抱かれないアイドル』という存在になっている。


「錬士。お前なんでそんなにニヤニヤしてるんだ? 推しアイドルが褒められた時のファンみたいな顔してるぞ」


「……マジか?」


 俊郎に指摘されて、俺は調理中の手を休めて思わず自分の顔を触ってしまった。

 ……なるほど。

 どうやら俺は、星ノ瀬さんが周囲に褒められるのが嬉しいらしい。


「ところでさー、久我っちヤバくない?? そんなスピードで野菜切る人、動画でしか見たことないんだけど」


「い、いやまあ、こんなの練習すれば誰でもできるって。あ、葛川さん。スープどうかな?」


「ふふ、いくら私でもこんなコンソメキューブを入れるだけの簡単なお仕事なら……って、あ!? ぐ、具のタマネギ入れ忘れてました!」


「あはっはっは! ドンマイっしょ千穂! アタシとか一年の時、皆でカレー作った時に炊飯器のスイッチ入れ忘れちゃって、米なしカレー食べさせた大戦犯になっちゃったし!」


「そんな極悪な罪と一緒にしないでくださいよ!?」


 星ノ瀬さんは皆への指導のため班の外へ出ている時間が長いが、俺たちの班もそれなりに和やかに調理過程は進んでいった。


 そして――


「はいじゃあ、準備できた班からハンバーグを焼いて! 火を入れる時間は渡したレシピメモを参考にすればいいけど、必ずお箸を刺して焼き具合を確認してね!」

 

 いよいよ実技テストも後半に入り、星ノ瀬さんは皆に指示を飛ばした。

 すでにどこの班もスープ、サラダ、付け合わせ、ライスは出来上がっており、後はハンバーグさえ焼ければ文句なしにテストは及第点だろう。


「ふぅ……みんな、ごめんね。なかなか班での調理に参加できなくて」


「いやー、当たり前だし気にすることないっしょ。アタシとかリーダーやれって言われたらマジでネットのレシピ配るだけだし。愛理はマジ偉いって」


 自分の班に戻ってきた星ノ瀬さんを、小岩井さんが労った。

 そしてそれは、俺も全面同意である。


「ああ、同感だ。星ノ瀬さんは凄く偉い」


「なんか、久我君って星ノ瀬さんのことになると声の音量が上がってないですか?」 


 葛川さんがちょっと呆れたように言うが、あるいはそうかもしれない。

 星ノ瀬さんの過去、そして現在の努力を知るにつれ、俺の星ノ瀬さんへの尊敬の念は高まる一方なのだから。


「おー、すっげえいい匂いがしてきてメッチャ腹減ったぜ。やっぱハンバーグはシンプルだけど正義だわ」


 俊郎の言う通り、家庭学室の中は肉がジリジリと焼ける音と、食欲をかき立てる匂いが満ちてきていた。

 特に男子はこういうのに弱く、皆もハラペコな顔をしている。


「ええと、久我君……あとはみんなの焼き具合だけチェックすれば終わりよね?」 

「ああ、多分生焼けの奴は出てくるだろうけど、ゆっくり弱火で焼き直すように言えばいいさ。それで大体終わりだ」


 この調理実技テストは個人の出来映えではなく、クラス全体を見て評価が決定する。ただよほどの不真面目や準備不足、あとはかなりの人数が失敗するなどのことがなければ落第点で補習という事態にはならない。


 なので、後はそこまで心配することは――


「ん……ありゃ? な、なんか崩れたぞ?」


 そう思ったその時――


 ハンバーグを焼いている俊郎が焦りの声を上げた。


「おい、どうした? ハンバーグをひっくり返し損ねたか?」


「い、いや、俺は何もしてねえって! 普通に焼いてたらなんかポロポロと……」


「そんな馬鹿な……って、え!?」


 フライパンの中をのぞき込むと、確かに俊郎が焼いているハンバーグは自然と形が崩れてボロボロになっていた。


 だが、正直原因がわからない。

 ちゃんと空気抜きもしたし、タネに入れたタマネギも冷やしたのに……。


「あ、あれ!? な、なんだかボロボロになってきたんだけど?」


「うわわ!? なんか俺間違ったか? 形が崩れてきたぞ!」


(な……っ)


 そして最悪なことに、その現象は他の班でも多数発生しているらしかった。

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