第2話 ジャージの円卓会議
後にも先にも、ジャージで登校したのはあの日しかない。秋奈のやつは「屈辱的ですわ」なんてぼやいていた。確かに全身水色の指定ジャージはダサいけどさ。
午前八時。高校に着いた僕らは、すぐに舞香――一人だけ制服だ――の席に集まって、今朝起きた出来事を整理していた。「髪ぐしょぐしょなンだわ」と騒ぐ蓮を無視しながら。
「まず、何が起こったのか教えてくれないか」
モリリンが鼻をほじりながら尋ねた。
舞香が言うには、波に呑まれて溺れたときに、鐘の音を聞いたのだという。表すなら、神社で参拝するときに鳴らす、あのデカい鈴の音色に近かったんだとか。
そして、自分は時間を巻き戻せるのだと悟った。能力の使い方も、なんとなく理解していたみたいだ。足があるから歩くように、能力があるから「戻って」と祈ったようだ。
それから堤防へと戻った。制服も元通り。ただそれだけのこと。
「つまり」秋奈が顎に手を当てる。「海に入ったら、時間を巻き戻せるようになった、と。意味が分かりませんわ。トンチキでしてよ」
「秋奈でもサッパリなら、もうお手上げかもね」僕がぼそりと呟く。
「あら、ミステリーには捜査がつきものですわ。海星にしては諦めが早くってよ」
彼女が鋭い目を向けてくる。どうやら本気でタイムトラベルの謎に挑むらしい。
「悪かった」僕が両手を上げた。降参のジェスチャーだ。「探偵様を舐めた僕が悪かった」
お嬢様でミステリオタク、ついでにSFマニア。母親に読書を強要された結果、こんなオタク万々歳みたいな性格になってしまったらしい。
だから僕らは――もちろん敬意を表すつもりで――彼女を探偵と呼ぶことがある。もちろん、こんなことは覚えなくていい。
「なあ。大事なのはさ、原因じゃなくて結果だと思わないか」
話題を変えたのはモリリンだ。ただでさえつぶらな瞳を、いっそう輝かせている。
「原理は知らないけど、タイムトラベルは実現したんだ。凄いじゃないか。あの舞香がだぞ」
「失礼だなお前」蓮が前髪を整える。「でもマア、分かるよ。舞香だから喜んでる部分あるもんな。これが海星とかモリリンとかだったら、俺そんなに興味なかったかも」
「なんでだよ」蓮を小突く。
「だって舞香だぜ。俺らの中だったら、一番の常識っ子ちゃんじゃンか。それがタイムトラベラー? 最っ高すぎるね。こういうさ、優等生の秘めたる力が覚醒する展開、すげえワクワクすンだよな」
当の舞香は、少し目を伏せながらニコニコと笑っている。
「タイムトラベルなのもイイよな」モリリンが便乗する。「たとえばさ、物を念力で動かすような、アレ、なんだっけな」
「テレキネシス?」秋奈が間髪入れずに答える。
「そう。そういう念力を使う系のショボイのじゃなくて、時間操れる系ってのがまたイイ」
「ンだよな。お前ちょっと仲良くしようぜ」
蓮とモリリンが固い握手を交わしている。二人の意見が合致するのは割と珍しいことだ。
「UFOでも飛んでくるのかしら」秋奈が苦笑した。「蓮とモリリンが握手するだなんて」
「それくらいってことだ」とモリリン。「タイムトラベルだなんて、俺らの意見がガッチリ揃うレベルで凄いんだぞ」
「なんか、ありがとね。嬉しいよ」
舞香がそう言ったとき、朝のHRのチャイムが鳴った。僕らはそそくさと席に戻る。
座り心地の悪い木製の椅子に腰かけた。ふう、と一息ついたとき、増田先生がドアを開けて現れた。三十代の男性教師で、古典担当なのに体格が良い。
「おはようございます。増田です」
で、なぜかいつも名乗る。この人のユーモアは本当に分からない。
「青葉祭まで、残り一週間ですね」先生が自慢の低い声で続ける。「みなさんもご存知かと思いますが、今年のナカダチは吉田舞香さんです」
形式的な拍手が送られる。四秒くらいで静まる。
「みなさんも、青葉町民として祭りに参加してもらいます。今年は屋台かな。何を売りたいか予め決めておいてください。まあそれはともかく、受験勉強は怠らないように。夏を制する者が受験を制する。祭りだからとだらけずに、一日一時間でも古文単語を暗記しましょう」
「詭弁ですわ」隣の席の秋奈が話しかけてくる。「古文は単語よりも内容を覚えた方が早くって?」
「ちょっと分かるかも。源氏と平家と落窪さえ覚えておけば、まず外れない」
源氏物語、平家物語、落窪物語。大人になった今でも思い出せる。小学生の頃に、秋奈や舞香と図書館にこもって、ありとあらゆる古典文学をいちいち読解していたっけ。
そのおかげか、舞香は古典の成績だけ学年上位だ。春の校内模試で八位だったらしい。
ちなみに一位は僕だ。秋奈のやつが二位。とはいっても、秋奈は理系脳だから。
そういえば、あいつに数学と物理基礎で勝てた記憶がない。
――本当は建築に携わりたかったのよ。
そう不満を垂れていたのを覚えている。議員の後を継ぐために、法学部の進学を余儀なくされたんだとか。
要するに、秋奈の賢さは文系の数値じゃ表せないってこと。それを僕らはとっくに知っている。知らないのは青葉町の大人たちだ、と当時は本気で思っていたものだ。
どうも僕らは、大人が無能で馬鹿で愚かな生物であると考えていたようだった。
「ところで、海星」
先生の話を無視して、秋奈がこちらに顔を近づけてきた。
「今日の昼休み、ロリンに行く気はなくて?」
「ロリンかあ。あんまカレーの気分じゃないんだけどなあ」
「カレー。カレーですのよ。来なさい。金欠なら奢りますわ」
「金はあるよ。でもロリンって遠いじゃん。疲れる。近くのラーメン屋にしない?」
「嫌ですわ。あそこのラーメンは学生を舐め腐った価格ですもの」
先生が大きく咳払いをした。慌てて背筋を伸ばす。
「それと、失踪事件について」
教室の空気が、一瞬にして張り詰める。僕らもさすがに口を閉ざす。
「ここ数日――正確には、一昨日の深夜から昨日の朝にかけて、多くの町民が行方不明になっています。かくいう自分も、小学生の息子がいるのですが、昨日から消息不明でして」
どこかから、「私の母も」と聞こえてきた。ついで「お父さんが」「姉貴が」「友達が」と声が飛び交う。僕ら五人の家族だと、秋奈のおばあさんが行方不明だった。
「僕のじいちゃんだって、消えちまったよ」
ひときわ大きな声で喋るのは、雄斗だ。彼の言うじいちゃんとは、町議会議員の金城雄一郎。ノンポリの舞香でも知っているほどの有名人だ。
雄斗は政治にとても関心があるらしく、教室でもよく金城議員の話をする。誰かの話を遮る形で。
雄斗は議員の孫という立場に甘んじているらしく、議員の娘である秋奈に執拗に絡む。僕ら四人から強奪する形で。
これで小太りで傲慢なら典型的なお坊ちゃまだっただろうが、あいにく雄斗は痩せており、しかも根は普通の高校生だ。少しだけ、そう、ズレているだけで。
「じいちゃんが消えちまったら、この町は回らない。ああ、どうしたものかなあ!」
だから教室で大声を上げるあいつを、うっせえなあ、と心の底からは思えなかった。それに身内が失踪したんだから、あれくらいパニックになってもおかしくない。
「フム、誘拐かしらね」
だけど、祖母の行方が知れないはずの秋奈は、むしろ冷静に振る舞っていた。
「妙に落ち着いているじゃないか」僕が声をかける。
「落ち着く、ね。まだ焦る段階ではありませんもの」
虚勢ではない。瀬野秋奈は、そういう人間なんだ。
「先生は言いましたわ。失踪『事件』について、と」秋奈が人指し指を立てる。「これは事件。ならば論理が通じますのよ。超能力とは訳が違いましてよ。すぐに解決してみせますわ」
「で、その論理とやらは組み立てたの?」
秋奈は凛々しい顔のまま、こう言った。
「ミステリーには捜査がつきものですわ」
要するに、証拠がないからどうしようもないってことだ。
「その捜査も兼ねて、ロリンでもいかが?」
「仕方ないなあ」僕が苦笑した。
間もなくして、一時限目を知らせるチャイムが鳴った。
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