サクラマイチルヨ
わら けんたろう
第1話 鬼の名はアイカ
桜舞い散る真夜中に、夜空に浮かぶ満月をいつまでもいつまでも眺めていた。
あのことを思い出すのは、たぶんこんな夜だから。
八歳のとき、わたしの身体に起きた異変。
とてもお腹がすいて、喉が渇いて。
何をどれだけ食べても、空腹を満たすことはできなかった。
何をどれだけ飲んでも、渇きが癒えることはなかった。
――
人を食べなければ死にいたる年齢。
最初に迎える「
この「食べ初め」を迎えたわたしのために、お父さんとお母さんはわたしを連れて「獲物」を狩りに家を出た。
夜空には満月が浮かんでいた。
わたしたちが向かったのは海辺。防波堤付近あるいは護国神社付近にいる「獲物」を狙う。
東西に広がるクロマツの防風林のなか、わたしはお母さんに手を引かれて、前を歩くお父さんについていく。
お父さんは腰に「
海の方から波の打ち寄せる音が聞こえてくる。
松の香りのする防風林のなかは、細い松葉が砂地の上に降り積もり絨毯みたいにふかふかだ。
日本海から吹き込む厳しい風をその身に受けたクロマツは、どれもぐねぐねと捻じれ曲がっている。
月明りを頼りにクロマツの林のなかを進んでいくと、突然、大きな黒い影が前を歩くお父さんに襲いかかった。
「なっ、ぐあっ……」
お父さんはそう呻くと、そのまま両膝を地面についてしまった。
「そんな、鬼討ち……」
声を震わせながら、お母さんはわたしを抱き寄せた。
お母さんの首が、まるで稲でも刈るように斬り落とされる。
頭を無くしたお母さんの身体が、わたしを腕に抱いたままドサリと仰向けに倒れた。
「お、お母さん!? お母さん……。いや、いやぁ……」
わたしの目から涙が溢れる。首から流れ出すお母さんの血が砂地に染み込んでいく。わたしは泣きながら、お母さんの身体を揺すっていた。
「……
低くくぐもった男の声。
それは肉体を消滅させ、鬼の魂を現世と幽世の境界「あはひ」へ送る言葉。
わたしたち鬼にとっては、滅びの言葉。
「あ、ああ、ああ……」
わたしの目の前で、お父さんとお母さんの身体が炎に包まれていた。
わたしはお母さんの身体から離れ、震えながら後退りする。
魂が火を拒絶していた。
鬼の肉体は火に弱い。火に焼かれて肉体を失った鬼の魂は「あはひ」へと送られる。「あはひ」へ渡る魂には、ありとあらゆる苦しみが襲いかかるという。
ずりずりと後退るわたしの背中に何かがぶつかった。
わたしの肩が跳ねる。
振り向くとそこに誰かの脚。
おそるおそる見上げると、満月の夜空を背にした鬼討ちの男が、感情を排した顔でわたしを睥睨していた。
わたしはその顔を忘れることはないだろう。
すぐに逃げ出そうとしたけれど、男に服の後ろ襟をつかまれて放り投げられた。
クロマツの樹に強く背中を打ち付けられ、わたしは砂地の地面に倒れ込む。
「あっ、ぐうっ……」
地面に這うような格好で背中に走る痛みに耐えていると、目の前に男の爪先が現れた。
逃げなきゃと身体を起こす。
男がわたしを斬ろうと刀を振り上げている。
「い、いやぁ……」
涙でぐしゃぐしゃになったわたしの顔を、彼は刀を振り上げたままじっと見下ろしていた。
その僅かな時間が、男にとって命取りとなった。
「っ!」
半身消炭になったお父さんが最期の力を振り絞り、
男は振り上げていた刀でお父さんの首を落とす。
炎に包まれたお父さんの頭が、ごろろと地面を転がっていった。地表に出ているクロマツの根に当たって止まり燃え尽きる。
頭を失ったお父さんの胴体からも炎が上がっている。
わたしの頭のなかで「ぱぁん」と何かが弾けるような音がした。
男は片膝をつき刀を地面にたてて、自分の身体を支えている。
お父さんの斬撃で受けた傷は、致命傷ではなかったけれど浅い傷でもないようだ。
わたしは側に落ちていた
男は肩で息をしながら、わたしの方をじっと見ていた。もう立ち上がることもできないみたいだ。
鬼神大王の切っ先を男に向け、わたしは唇の両端を上げた。歓喜にも似た感情が胸の奥から湧き上がる。
「うふふっ、ふふふ、あはははははは」
声を上げて笑いながら、わたしは刀を振り下ろす。思っていたよりも簡単に、彼の頭が地面をごろごろと転がった。
胴体の切断面から血が噴き出して、わたしの顔を紅く染め上げる。
頬を伝う彼の血をペロリと舌を出して舐めてみた。
鉄に似た味が口の中に広がる。
頭のなかで白い火花がパチパチと音を立てた。
突然フラッシュが焚かれたみたいに、周りの景色が真っ白な光に包まれた。
その後のことは、よく覚えていない。
気が付いたら、無我夢中で肉塊に齧り付き、みちみちと皮と肉を引き裂いて溢れ出る血を啜っていた。
わたしは男の肉を食べて空腹を満たし、彼の血を飲んで渇きを潤した。
ただ生への欲望に身を委ね、目の前の恵を享受した。
あれから八年。
十六歳になり、迎えた二度目の「
優しい風が頬を撫で、その風が連れてきたひとひらの桜の花びらが、わたしの掌に舞い降りる。
わたしは、鬼。
真名をアイカ。
鬼だから、人を食わなければ生きられない。
桜舞い散る真夜中に、夜空に浮かぶ満月をいつまでもいつまでも眺めていた。
今夜、わたしは愛する人と殺し合う。
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