◆ 髭か、美人か


「えー、諸君も普段の生活の中でですな、自分の感覚や認知の仕組みに目を向けて、えー、過ごしてみては如何か、と。すると、世界の見え方が、ですな。少し変わるかもしれん訳です。──という訳で、ハイ。今日はここまで。委員長」


「規律」







 春休み明けの大学初日。


 授業が終わった後で、佐伯に「あれから進展はあった?」と尋かれた。

 そこで、先日相談会のあとで起きたことを話してやると。


「何それ、傑作すぎない?」


 ひーひー息を切らして笑う佐伯に、軽く殺意が湧いた。


「笑い過ぎ」

「あはは、ごめんごめん」


 うちに住んでいる女子高生が、”近坂”であったこと──

 404号室の前で同時に鍵を出し合ってしまったこと──


 そりゃ佐伯好みの話であることは分かっていたが、まさかこんなに笑われるとは。

 友達甲斐のないやつめ。


「まぁでも、真相がわかってよかったじゃん」


 佐伯がいった。


「まぁね」


 すっきりしたのは確かだ。

 仮にJK = JD = ライバーであるなら、色々なことに説明がつく。


 大学の連中には、ライバーであることを知られたくない

  ──だから大学では目立たない格好をしている。

 

 ライブ配信では大勢の人が集まる

  ──だから、性格を繕っている。


 なぜわざわざ曰く付き物件に住むのか

  ──配信のネタになるから。


 すべて僕と佐伯の想像に過ぎないが、とりあえず自分を納得させておくには十分な答えだ。

 まぁ……女子高生の見せた、”あの笑顔”までが作り物だったというのは、少し残念な気がするが。


 そんな心中を見透かしたかのように、佐伯がいった。


「”推し”がいなくなって残念?」

「いやあ? べつに。」

「の割には、あれ? なんか納得いってない顔だね」


 楽しそうに話す佐伯を横目で流し、軽いため息をつく。


「違うよ。単純すぎて面白くないだけ」


 僕は無意識のうちに指先で合鍵を回していた。







「北みん、今日何限?」


 佐伯と話していると、女子が声をかけてきた。

 人科じんかの二年生で一番美人とされる女子だった。


「2限。もう帰るよ」


 答えつつ、なんだろうと胸中で首を捻る。

 名前は確か──相堂さんだったか。

 ろくに話したことがなく、”北みん”と呼ばれたことに驚いた。


「そうなんだ。ウチもだよ」

「へぇ」


 ゆるいパーマがかかった茶髪の毛先を、困り顔でいじっている。

 小顔に均整の取れた顔パーツ。

 まつ毛が長く鼻筋も通り、背も高く、なるほど。確かに美人だ。


 そんな美人相手に、会話が止まってしまい、徐々に居心地が悪くなり始める。


「ウチら、今から学食行くんだけど──」


 といって、相堂さんはちらと振り返る。

 教室の奥に、彼女の取り巻きがいて、目が合った。


「── 一緒にどう?」


 あぁ、そういう話か。

 大学は1コマが90分なので、2コマ終われば昼になる。今は正午をすこし過ぎたところだった。


「よかったら佐伯くんも」


 と、女子は僕の横に顔を向ける。


「いや、俺は遠慮しとくよ。用事あるし」


 佐伯がにこやかに手を振った。


「そっか~。じゃ、北みんは?」


 再び水を向けられる。


「いやごめん、僕もいろいろあって」


 えー、と相堂さんが露骨な声を出す。


「いろいろって?」

「え、っと……これとか」


 僕は机の上を指差した。

 スマホを充電中だ。

 天井裏にはコンセントがないので、いつも大学で充電している。


「そう…………なん、だ」


 相堂さんは、整った顔を曇らせた。

 すると、意外なところから助け舟が出た。


「それ終わってから一緒に行けば?」


 佐伯。

 余計なことを。その声には微笑が乗っている。絶対面白がってるだろ。

 ──しょうがない、とどめを刺すか。


 僕はバッグから、どん! とそいつを取り出した。


「ごめん、スマホの次にはヒゲ剃りの充電が控えてて」


 電気シェーバー。ガッツのある2枚刃。どんな髭も一撃で剃り落とす、自慢の相棒。


「ヒゲ剃り……」


 そうして相堂さんはドン引きした顔で、僕の前から去っていった。





「学年のアイドルよりヒゲ剃りを取るとは、やるね」


 佐伯がいった。


「天井裏に住んでるとね、『せめて清潔感くらいは維持したいな』って思うようになるんだよ」

「説得力が怖いよ」


 佐伯はからからと笑い、こう続けた。


「っていうか、充電なんて家でもできるでしょ?」

「それはだめ。電気も水道も、勝手に使わないって決めてるんだ」

「ほう」


 と、佐伯が顎をさわった。


「それは、万が一、近坂さんにバレたときの情状酌量を狙ってのこと?」

「まぁそう」

「ふうん。風呂とかはどうしてんの?」


 佐伯はちらっと、僕の手元を見た。

 手のひらは切り傷だらけだが、現在、手の甲には一つの汚れもない。


「近所の銭湯に通ってる」

「はは、苦労してるんだね。じゃぁ洗濯はコインランドリー?」

「そうそう。この前もまとめて乾燥機にぶち込んできたんだけど、」


 といったところで、


「あっ!」


 僕は弾かれたように立ち上がった。


「しまった、取りに行くのわすれてた!」


 充電を諦め、僕はコインランドリーに走った。

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