宮崎には村社(むらこそ)という地域姓があって村の祭儀に関わった者らの末裔だと考察されている
アカルヒメたる香春神の伝承は大分県であるが宮崎県の南部には渡来系の男系ゲノムが見られるという

また東征の途上常世へ去った稲氷という神武の兄が新撰姓氏録では新羅王の祖とされていて
その子孫の新良貴氏は皇別に列せられている一種の異伝というべきものだろう
ここで同じ新羅王の天日矛の末裔が諸蕃と分類されている点で判断が分かれている

海人の龍宮城が加羅国ではないかという考察もある
邇邇芸尊にとっては母方の国というわけだから韓国に向かい、という形でわざわざ言及していることになる
稲氷たちが海に入ったのは母の国である龍神の国に還ったということになり、その地理的な地点が半島だとすると後代彼らの末裔が新羅で国を建てたこととも矛盾はしない
加羅国王と新羅国王とが混ざっている可能性はあるものの新羅の建国王は倭国の多婆那出身だと明言されている
天津彦根と稲氷とが同一人物かどうかは慎重に判断する必要があるな
東征がまったくの虚構ということになるが弥生的な地形をした河内湖の描写からしても虚構とは思えないからだ