研究メモ ver.2

安藤道人(立教大学経済学部准教授)のブログ。旧はてなダイアリーより移行しました。たまに更新予定。

社会的企業、社会起業家について書いたのに。。。

うわっと、間違えて全部削除してしまった。。。うぅ(涙)。また暇なときにでも書きます。。。トラバ飛ばした方々、すみませんでした。。。

追記:稲葉先生にハッパをかけられ、いろいろいじってたら、完全ではないけど原稿が見つかったので、加筆修正してアップ↓お騒がせしました。加筆しすぎた。話があっちいったりこっちいったりしててすみません。

追記2:個人的には社会(的)企業家(Social Entrepreneur)という表現がよいと思うのだけれど、既存の日本の文献では社会起業家という表現が多いようなので、そっちに統一しました。でもそしたら、社会的企業の二代目リーダーは社会起業家ではないではないか、という細かいつっこみが。。。

追記3:「社会的企業の近辺メモ①ーー日本の学者編ーー」に新しいリンクを追加。

社会的企業の近辺メモ①ーー日本の学者編ーー

最近、社会的企業とか社会起業家がとにかくはやっている。どこで流行っているかというと、一部の若者の間でもそうだけど、学者の間でも行政の間でも流行っている。いろいろ書きたいことがあるのだけど、このトピックをちゃんとフォローすることは(少なくとも当面は)ないだろうが、昔からのたりのたりと注目してきた分野でもあるので、簡単な素人メモ。

まずは外堀を埋めるということで、日本のどういう学者がどのように社会起業家NPOなどを捕らえているかということを、読んだものを中心にメモ。

1.「小さな政府」推進派の経済学者・財政学者からのNPO・社会企業家・ボランタリーセクター論

いきなりスタートここからかよ、という声はおいといて。大阪大学出身者に多し。代表的な論者は山内直人である。ただ、この人はあまり「小さな政府」とNPOやボランタリーセクターの関係についての立場を明確にしていない印象。一方、本間正明や跡田真澄など、小泉政権の政策運営に大きな影響を与えて一部で「大阪学派」と呼ばれている財政学者の方々(といっても森嶋通夫などのかつて国際的に名声を得た大阪大学の経済学者とは何の関係もないだろうし、別にシカゴ学派のような学問的伝統があるわけではない政治ジャーナリズム用語だろうけど)も結構熱心にNPOコミュニティビジネスを取り上げている。

フィランソロピーの社会経済学

フィランソロピーの社会経済学

利益が上がる! NPOの経済学

利益が上がる! NPOの経済学


あと興味ある人は、いろいろとネット上で山内先生の論文読めるからどうぞ。でも寄付関連のが多いかなぁ。

また、以下の跡田先生の研究会メモにも注目。これは社会的責任投資(CSR)についてのメモだけど、CSRを活性化するために政府の規模を縮小すること、と明確に論じている(というかメモっている)。

http://www.rieti.go.jp/users/uesugi-iichiro/financial-flow/pdf/010_atoda.pdf


2.アンチ「小さな政府」の左派財政学者・経済学者・社会学者・政治学者のNPO社会起業家・ボランタリーセクター論

これはいろんなところに散らばっている印象。社会学者、政治学者、(神野先生ラインの)財政学者に多いだろうか。立場としてわかりやすいのは、以下の本の神野論文と高橋論文か。とくに高橋論文は、福祉国家の解体とNPO社会的企業の台頭を重ね合わせて見ながら、それを危惧するという点で福祉国家擁護派のNPO社会的企業に対するアンビバレントな気持ちをよく象徴していると思う。

ソーシャル・ガバナンス 新しい分権・市民社会の構図

ソーシャル・ガバナンス 新しい分権・市民社会の構図

3.ガチンコ社会的企業

ガチンコっていうのは、上述した1と2はどちらかというと、財政とか福祉国家とか、そういう視点から社会的企業とかNPOとかを位置づける、という立場なのに対して、もっと社会的企業そのものに(ミクロ的に)フォーカスしているという意味です。大雑把なくくりですみません。社会的企業論でもっとも有名なのは谷本寛治氏だろう。NPOだと、もうそれはたくさんありそうなので取り上げない。

ソーシャル・エンタープライズ―社会的企業の台頭

ソーシャル・エンタープライズ―社会的企業の台頭

いろいろ省いて何を言いたいのかをまとめると、NPO社会的企業の台頭という動きは、政府の役割を巡る政治的・経済的な動向や争いと関わっており、国民の社会権や公共性をめぐる価値対立や政治的選択と無縁ではないという現象だということだ。しかし日本のNPO社会的企業研究からは、なかなかその姿が見えてこないのが現状だと思う。

社会的企業の近辺メモ②ーー海外の学者編ーー

海外は国内以上によく知らない。社会的企業そのものではないけど、近接分野で最も有名なのはレスターサラモンやジョンズホンプキンス大のサードセクター研究プロジェクトか。またヨーロッパでは社会政策学・ 福祉国家論的なアプローチから派生したものが結構あるっぽい印象。有名な本の日本語訳もいくつかでてる。あと経済学でもミクロ理論などを援用して学術的に研究されたりもしているみたいだが読んだことはない。この中では、レスターサラモン系の報告書などはネットでいくつか読める。

よく紹介されていて素人でも知っているわりと有名な本はこの二冊なのか。ちゃんと読んでませんが、こういうタイプの社会企業家本って日本にあるのだろうか。

社会的企業(ソーシャルエンタープライズ)―雇用・福祉のEUサードセクター

社会的企業(ソーシャルエンタープライズ)―雇用・福祉のEUサードセクター

福祉社会と市民民主主義―協同組合と社会的企業の役割

福祉社会と市民民主主義―協同組合と社会的企業の役割

社会的企業の近辺メモ③ーー社会起業家編ーー

事実誤認がなさそうな範囲で適当に紹介してみます。

1.注目度ナンバーワン:病児保育のフローレンス

前にちょっとNPO法人フローレンスについて書いた。いま日本で最も注目されていてメディア露出度も高い社会起業家の一人だろう。

http://d.hatena.ne.jp/dojin/20070523

フローレンスの駒崎氏の最新の日記によると、東京海上日動と、「日本初の総合病児保育保険の開発」を目指しているのだという。大変興味深い。

http://komazaki.seesaa.net/article/53085920.html#more

ただ個人的に思うのは、民間保険が先に発達しすぎると、アメリカの医療保険のように普遍的な公的保険を創設するときに、市場を奪われる民間保険会社からの政治的圧力が強くなったりはしないのだろうか。以前取り上げたようにフローレンスの駒崎氏は公的保険の創設を目指しているのだと理解しているが、今後の動向に要注目である。ただ、介護保険だって公的介護保険創設以前に民間の保険もあったわけだから、杞憂か。

やや(というかかなり)脱線すると、アメリカの医療保険についてはいろんなところでいろんな人が言及するけど、わりと最近英誌エコノミストがeconomist focusで取り上げたほか、マイケルムーアの新作シッコがまさにこれが主題の映画だ(まだ見てないけど)。

An unhealthy burden
http://www.economist.com/finance/displaystory.cfm?story_id=9407716
マイケル・ムーア『シッコ』(Economist Lovers Live)
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070825

2.介護保険のケアシステムに大きな影響を与えたと言われるケアセンターやわらぎ
http://www.yawaragi.or.jp/

これは障害者運動と絡んでるので取り上げてみた。やわらぎは介護保険に大きな影響を与えた先駆的団体として、代表の石川氏が社会起業家業界でよく取 り上げられる。上述の谷本先生の本にも事例紹介で出てくるし、後述するETICが発行している本でも登場する。まぁ介護保険の歴史・制度・財政をそこそこ 研究し、下に記すような障害者運動の流れをちょっと見聞きしたものからすると、谷本本やERIC本のやわらぎの紹介の仕方はやや誇大広告ぎみだが、これも広報戦略のたまものというべきか。

で、何が興味深いかというと、このやわらぎという団体は、障害者運動と深い繋がりがあることだ。石川氏は、彼女の活動の始まりが障害者とともに行っ た立川駅のエレベーター設置運動だといろいろなところで述べているしやわらぎのホームページでも語っている。そして実はこの障害者というのがかの高橋修氏なのだ。かの高橋修氏などといっても障害者運動に詳しい人以外には誰にもわからないだろうからリンクを貼っておく。

http://www.arsvi.com/0w/tkhsosm.htm

ここには高橋氏や石川氏がやわらぎを作ったときの障害者内部での軋轢などについても言及されていて興味深い。高橋修氏については立岩センセの書いた 文章「引けないな。引いたら、自分は何のために、一九八一年から」が下記の本に所収されている。もちろんやわらぎや石川氏についての言及もある。

自立生活運動と障害文化―当事者からの福祉論

自立生活運動と障害文化―当事者からの福祉論

3.その他の若くてオシャレな社会起業家やその支援者

いちいち挙げないが、そのほかにも多くの社会起業家たちが存在する。彼らは基本的に若く、なんとなく業界全体が軽快でオシャレな雰囲気で、個人ブログを日々書き連ねている人が多い。私もいくつかのブログを巡回している。けっこう面白いんだな、これが。

そしてその最大の支援者ともいえる団体がETICである。

hhttp://www.etic.or.jp/index.php

このサイトを見れば、若くてオシャレな社会起業家たちの雰囲気がなんとなく伝わると思う。彼らは六本木ヒルズでイベントを開催したりもしている。

そういえば、もうすぐ、大きなイベントもあるみたい。

http://www.socialinnovationjapan.org/c000007/archives/2007/07/31/entry96.html

これもオサレな感じだね。

NPO・社会的企業の近辺メモ④ーーまとめ:社会的企業と社会的権利ーー

とにかく最近はエントリも少なく内容もいっそう粗雑になっているので恐縮だが、今回もとくにまとめはない。ただ一つ私がつねづね思っているのは、本来社会がフォーカスすべきは社会的企業がフォーカスしている社会問題そのものであるのに、どうも社会起業家の個性とか意欲とか新しさばかりに目が行き過ぎ ていないか、ということだ。これは社会起業家の方々自身でも感じている人もいるだろう。

本来注目されるべきは社会問題そのものであり、そこにいる名もなき(ときに有名だが)当事者たちである。そして社会起業家が社会的に評価されるべきだとしたら、彼らの個性や意欲や新しさではなく、もろもろの制度選択の帰結や機会費用も考慮した上でのミクロ的・マクロ的な社会的アウトプットの高さである。極端な話、凡庸な人間が凡庸に租税を用いて凡庸にサービスを提供すれば普遍的に解決するであろう問題であるならば、稀有な才能と意欲をもった社会企業家などは必要ないのである。

もちろん、財政が厳しいとかニッチ分野は常に存在するとか行政サービスは硬直的だとか、社会起業家コミュニティビジネスの存在意義を見出す理由は多くあり、多くの社会起業家論者もそう論じている。

そしてそれは的を得ている場合も多い。たとえば有名なビッグイシューによるホームレスの自立支援は、行政にはなしえない重要な活動だろう。私も愛読者の一人だ。

http://www.bigissue.jp/

思うに、このような新規市場創出による社会的排除者の労働市場への統合は、社会的企業が最も活躍できる分野だろう。そこそこ読み応えのある記事やインタビュー(有名人が毎回でてくるが、おそらく原稿料やインタビュー料も雑誌の趣旨を説明した上で低めにしてもらっているのではないか)に、ホームレスの生活を支えるという人々の善意を満たすという付加価値の高い「サービス」のセットで、一冊200円とはなんともお買い得である。採算がきちんと採れているのかどうかはよく知らないが、ビジネスの方法としてはとても優れていると思う。

一方、フローレンスの病児保育も、たとえ営利性が低いにせよ、それがニッチなニーズを狙った完全な民間保険であるという点で、(おそらく中所得者以上のキャリア女性・夫婦をメインターゲットにした)市場を利用したウマいやり方である。

しかし、私が危惧するのは、社会起業家自身というよりもむしろ、一部の社会的企業社会起業家を喧伝する人たちの発想だ。

例えば経済セミナーの最新号で、町田洋次氏は「小さな政府になって政府のサービスから漏れる人たちがでてくれば、社会起業家が活躍する領域が広がるチャンスである」ということを明確に述べている。

町田氏は代表的な社会的企業論者であると同時に、積極的な小さな政府論者である。これは本間氏や跡田氏とも共通する。例えば町田氏の以下の記事を参照。

http://yymachida.ameblo.jp/yymachida/theme-10000362759.html

医療サービスは、社会起業家が活躍できる分野だが、制度ががっちりできてるので、それが進まない。社会起業家の本家、イギリスでもそうである。

上記の調査は、こうした硬い制度が、一気に崩れることを予感させる。医療は、大きな政府になっている典型的な場所で、既得権益の巣窟になっているが、道路公団郵貯などとは違って、小さな政府へまだ手がついていない。それが不満のもとにあるが、今の制度が続くはずはなく、小さな政府への道に進むのだと楽観したい。

社会起業家―「よい社会」をつくる人たち (PHP新書)

社会起業家―「よい社会」をつくる人たち (PHP新書)

医療で社会起業家が活躍するというのは、どういうイメージなのだろうか?アメリカのように「民間保険+低所得者用の公的医療扶助+高齢者医療制度+そこからあぶれた人を慈善で救う」ということなのだろうか。。。それって社会起業家にとっては市場が広がってウレシイかもしれないけど、国民にとって幸せなのか?

T.H.マーシャル流の社会学的に見るならば、医療を含む社会サービスの歴史は、福祉国家化の歴史であり、社会的権利の制度化の歴史であり、恩恵から権利へ、という歴史である。しかし社会的企業は、その名前に「社会的」という冠をつけながら、脱政府志向が強いために、社会的排除者の労働市場への統合や民間保険の活用は可能でも、そのままでは決して「社会的権利」を保証することはできない存在だ。(といわれてもピンとこない人は下記の古典を読もう。)

シティズンシップと社会的階級―近現代を総括するマニフェスト

シティズンシップと社会的階級―近現代を総括するマニフェスト

もちろんそれは悪いことばかりではない。ホームレス支援などは従来の福祉国家が十分に対応できない分野であったし、衰退地域に新しい産業を起こす、というのも政府にはなかなかできない分野だ。病児保育であれば、今の段階で政府が普遍的な育児保障制度を作り上げることは考えにくい。そういうところでは、市場を上手く活用できる人たちが(社会起業家であれ普通の企業家であれ)がんばることはもちろん良いことだろう。

しかし、社会サービスからの政府の(財政的)撤退と社会的企業の台頭は、果たしていいことなのか。それは「恩恵から権利へ」という流れを「権利から恩恵へ」と後戻しすることにはならないのか。

何を社会全体で共同で負担しながら凡庸に粛々と問題解決をはかり、何を市場や個々人の創造性にゆだねながらエキサイティングに格好良く問題解決を 図っていくべきなのか、問題の当事者にとって何がよいのか、その境界ははっきりとは定まらない。

だからこそ私は社会的企業という存在にアンビバレントな思いを抱くわけだが(それは福祉国家論者がブレア・ギデンズラインの「第三の道」にたまにアンビバレントな思いを抱くのに似ているのだろうか)、意欲も能力もあるかっこいい社会企業家がたくさんいて、それぞれの社会的企業がそれぞれの最適解を実現しているにもかかわらず、様々な社会問題の当事者の数やその状況は改善するどころか悪化しちゃって(あるいはあり得た他のよりよい選択肢を逃して)さらなる社会的企業が要請される、という「合成の誤謬」が発生することは望ましいことではないよなぁ、などと考えてしまうのである。

個性的で意欲的で能力の高い社会起業家がたくさんいて、そして彼らのターゲットとなる人々がたくさんいる社会は果たして望ましいといえるのか。国の形は冷静に考える必要がある。社会起業家の中に、そういうことまで考えている人がどのくらいいるかはわからないが、まったくゼロではなさそうなので、いちおう希望を持っている。

とにかく、市野川氏がいうとおり、「社会的なもの」についてもう一度再考しなければならないと思う次第です。そのためにも、社会起業家の「脱政府」「非政府」的な運動の中に、しつこく政府に対して権利保障と財源保障の要求を続ける障害者運動の泥臭い流れをぶち込んでみるのもいいと思うのですよ。やわらぎのように、両者の結節点にあった団体もあるわけだし。

無理か(笑)。ムリだな。。。

社会 (思考のフロンティア)

社会 (思考のフロンティア)

連帯の新たなる哲学―福祉国家再考

連帯の新たなる哲学―福祉国家再考


おわりに:こういう話をすると「でも財政がこんなんだから。。。」という人たちがいるから、やっぱりなんだかんだいって税財政の話がとっても重要なのだろう、と個人的には思う。そういえばたまたま見かけた最新の『現代思想』は「社会的なるもの」がメインテーマだった。この勢いで、『現代思想』もたまには「社会的なるもの」の結晶でもある財政の特集でもすればいいのに〜。でもそしたら出てくる論者はだいたい想像つくような(><)