02
「行くぞー、蜥蜴っ子」
出会いから二年が経った今も、ラウラの主たるルドヴィーコは、ラウラのことを『蜥蜴っ子』あるいは『蜥蜴さん』と呼ぶ。未だに雌雄も分かっていないようで、たまに『彼』とも言われる。
……無理も無い。
蜥蜴の身体は、性差がほぼ無いと言っていいので、パッと見では分からないから、当然といえば当然だ。
ラウラは目の前に差し出された手をすらすらと登り、定位置となった肩にちょこんと乗っかった。首に近い辺りにいるのがベストだ。地面にいると、他の使い魔である猫や鳥に遊ばれそうになったり、同じく使い魔である犬に不思議そうな顔で齧られそうになったりする。
分からないものを齧るな、あと遊ぶな、こっちは真剣なんだぞ馬鹿者が! と、ラウラは言いたい。言葉が通じるなら、是非伝えたい。
ちなみに、餌は不要だ。魔力をもりもり食べている。
一度、ルドヴィーコに生きた虫を目の前に出された時は、どうしようかと思った。
ラウラは蜥蜴の格好をしているが、蜥蜴では無い。虫も草も食べようと思えば食べられるが、どちらかというと、魔界人が普通に食べるご飯の方が好きだ。でもこのナリでは普通の食事など出して貰えないので、大人しく魔力を食べている。
元々、魔力で力を得るので、魔力以外の食事は生きるために必要なものではないのだ。
頑なに虫を拒んだラウラに、「人の手から貰った物は食べないのか……? でもいつも一緒にいるけど、何か食べている様子でも無いしなあ」とルドヴィーコは不思議そうな顔をしていた。
しばらく虫から逃げ惑うラウラを見たルドヴィーコは、「お前も一応、使い魔だもんな。ただの蜥蜴じゃないかもしれないのか」とボソッと呟いた。
「俺はお前が、ただの蜥蜴、で全く構わないんだけどなー?」
小首を傾げると、サラッと淡い金髪が揺れた。ひょっとしたら、いやしなくとも、人型のラウラよりもサラサラな髪だろう。ラウラの髪は、緩くウェーブしている。撫でつけても真っ直ぐにならないのだ。
ぼんやりと過去を思い出していたら、つん、と鼻先を突かれた。
「どうした、ぼうっとしてるな」
(……何故分かった?)
蜥蜴の表情など、早々分かるものではないはずだし、ましてや今は肩に乗っていて、顔など見えないはずである。
ラウラはビックリして、目をパチパチさせた。
平気だよ、と返すために、チロ、と出した舌をルドヴィーコの首に当てる。彼は「くすぐってぇなあ」とくつくつ笑った後に、「分かった分かった」と言った。
「さ、食堂のメニューが売り切れになる前に行こう」
学園には、寮も完備されている。ルドヴィーコは、高等部から寮に住むようになったらしく、当時はぎこちなかった“一人暮らし”も、二年も経てば慣れた。
ラウラを連れて部屋を出たルドヴィーコは、心なしか早足で寮の食堂に向かった。
「よ、ジーノ!」
足場が大きく揺れた。
「バルトロ……お前、蜥蜴っ子が肩に乗ってる時に背中を叩くな! こいつが落ちたらどうしてくれる!」
バルトロ=バルディは、ルドヴィーコの友人だ。危うく滑り落ちかけ、ひっしりとルドヴィーコの肩にしがみつきながら、思わず、グルル、と低く唸った。
「相変わらず愛が深いな。ところで……蜥蜴の鳴き声って、そんなだっけ?」
バルトロが、訝しげに眉を寄せた瞬間、ルドヴィーコは容赦なく友人を蹴り飛ばした。
「てめ、このやろ……!」
「さっきの礼だ、ありがたく受け取れ」
嬉しくねーよ、とバルトロがぶつくさ言いながら、ルドヴィーコの隣に並ぶ。ラウラのいる側の肩だ。
「蜥蜴さんも、もうちょっと暴力的じゃない主人がいいよなー」
けたけた笑いながら、鼻先を触られたので、かぷりと噛んでおいた。飛び上がる程では無いが、それなりに痛かろう。
「飼い主に似てきたな」
嫌そうな顔で、バルトロが言った。失礼な、とラウラは思う。自分はこんな不思議な人間とは違う。
「下手に手を出すからだ。自業自得」
ルドヴィーコが、一言で切り捨てた。
廊下を歩き、魔導式エレベーターに乗り込む。こんなもの、金が無ければ作れない代物だ。流石は王国一の学園だ。魔界ももう少し平和になったら、教育分野に力を入れられるだろうか。
それもこれも、あの馬鹿が、馬鹿の称号に見合った馬鹿なことをしでかしたからだ。本当に腹立たしい。
(二年、か……)
父は無事だろうか。人間界に不用意に攻め込んでいないところを見ると、魔界崩壊はしていないのだろう。自分は死んだことになっているだろうか。
二年経ったから流石に戦争は終わっているだろう、とは言い切れない。あの戦闘狂の集団は、血が騒ぐからという理由だけで暴れられる。たとえ戦争の理由がいなくなっても、暴れている可能性がある。脳筋どもめ。
食堂につくと、いい匂いが漂ってきた。食べられないのが、本当に悲しい。朝食を受け取り、着席する。バルトロもトレイを片手に、正面に座った。
「つーか、なんだかんだで俺らも三年目だぜ? 早いもんだよな」
「なんだよ、唐突に」
やけに殊勝な態度となったバルトロに、ルドヴィーコは不審げに目を細めた。何を企んでいる、と目が語っている。
「いや、変な意味じゃ無いぜ? そろそろ……ほら、進路を決める時期だろ。お前は家を継ぐか、その勉強のために大学部に進むんだろうけど」
「残念。どちらでもない」
友の予想を、涼しい顔で否定した。まさか否定されるとは思っておらず、バルトロは目を見開いた。
「家を継がないってことか? そんなの、クエスティ侯爵が許さないだろ」
「うちの親は子供の自主性を尊重するらしいから。それに幸運なことに、俺には優秀な弟がいる」
ラウラは、ルドヴィーコの弟には会ったことはない。ただ、まだ中学部に在籍している彼の弟は、ルドヴィーコ並みに優秀だという噂は聞いた。
優秀な両親からは、優秀な子供が増産されるのか。
いや、一概にそうは言えないだろう。ラウラは魔界の知り合いの顔を頭に浮かべ、即座に否定した。理知的な魔界人から、戦闘馬鹿が産まれることは、割とよくある。それとも人間は違うのか?
「そう言うってことは、何がしたいかも決まっているのか?」
「ああ」
最後の一口を口に運びながら、鷹揚に頷いたルドヴィーコはなんでもないように言った。
「俺は騎士になる」
騎士。なんだって、またそんな。
確かに女性と男性の憧れの的ではあるけれど、彼は賞賛されたい訳では無いだろう。
「逃避だよ。俺は家を継ぎたくない」
「なんで?」
「面倒なのが目に見えて分かってる」
ルドヴィーコは、はっきりと顔を歪めた。
同学年には、現国王の息子と娘が在籍している。双子なのだ。それが揃いも揃って癖のある性格で、更に言うならルドヴィーコは“お気に入り”らしかった。その流れで、ラウラも定期的に攫われかける。
侯爵家を継ぐということは、その双子と、間接的どころか直接的に関わっていかなければならない。嫌でも逃げられない。
運が良ければ、臣下として。
悪ければ、娘の婿としてあてがわれる危険すらあった。
そんなものは御免被る。なんだって自分の人生をあの双子に捧げなければならないのだ。ルドヴィーコは常日頃からラウラにそう零していた。
「でも、騎士でも近衛騎士団に配属されたら、毎日顔を合わせることになるぜ」
「ああ。だから、国境警備の配属を希望する。国境警備は、配属希望者も少なく、過酷な労働環境からリタイアする者も続出している。加えて、常に人員不足だ。だからいくらあの双子といえども、“貴重な希望者”を無理に引っこ抜いていくことはできないはずだ」
淡々と、しかし淀みなく語るルドヴィーコに、バルトロは心底呆れたと言わんばかりの目を向けた。
「お前……どれだけ殿下が嫌いなんだよ」
「人の使い魔を攫うやつに、ろくなやつはいない」
ラウラは首を傾げた。主の進路には、自分の身の安全も考慮されているらしい。……その過酷な国境とやらで、ただの蜥蜴が無事にやっていけるか、という疑問もあるが。
ひとまず、主が剣を振り回している間も、振り落とされずに肩にしがみついていられるだけの腕力を鍛えようか。
ラウラは、ふむ、と頷いた。
ルドヴィーコさんは、蜥蜴さんを大事にしています。あいがふかい。