消えた首飾り
「ごめんなさい! こんなことになるなんて、本当に信じられないわ!」
「申し訳ありません、ビアトリス嬢、なんとお詫びしてよいか……っ」
ビアトリスの向かいのソファには、バーバラ・スタンワースとその息子であり、スタンワース家当主であるロジャー・スタンワース、その妻のエリザベス・スタンワースが腰かけて、真っ青な顔でそろって頭を下げている。その後ろには、昨日首飾りを預けた執事が今にも死にそうな顔で控えていた。
「……皆さま、どうか頭をあげてください。一体どういうことなのか、詳しく話していただけませんか」
ビアトリスはなんとか気を取り直して、彼らに説明を促した。そして判明した経緯とは、以下のとおりである。
昨晩、執事はビアトリスから首飾りを預かったのち、それを執事室の金庫に入れて鍵を掛けた。貴重品の扱いとしてはしごく一般的なやり方だ。
そして執事室にも鍵をかけたのち、部屋に戻って就寝したわけだが、翌朝になって執事室と金庫の鍵に動かされた跡があることに気が付いた。そこで不審に思って金庫の中を調べたところ、なんとあの首飾りが忽然と消え失せていたというのである。
慌てて当主のロジャーに報告したうえで、館の使用人たちを集めた結果、二年前から務めている従僕のグレアムがいないことが判明した。相部屋の男の証言によれば、グレアムは夜中に部屋を出て行ったきり、今朝になるまで戻っていないとのことだった。
部屋には彼の私物が残されたままになっていたので一応確認してみたが、その中にくだんの首飾りはなかった。念のため他の使用人の私物もすべて確認してみたが、やはり首飾りは見つからなかった。
「……つまり昨夜のうちにその従僕がこっそり鍵を使って金庫から首飾りを盗み出し、そのまま逃走したということでしょうか」
「そのことなんだけど、メイドの一人が裏門の外で、妙なやり取りを聞いたと言っているのよ。ほらお前、証言なさい」
バーバラの命令に、メイドが震えながら前に出た。
「昨夜の二時ごろ、眠れないので裏庭を散歩してたら、門の外でグレアムさんが誰かと言い争っているような声を聞きました。グレアムさんは『旦那さま、困ります! お返しください!』と言っていたような気がします」
「旦那さま……?」
「わ、私じゃありませんよ!」
ロジャー・スタンワースが真っ青な顔で否定する。
「当たり前じゃないの! ロジャー、しゃんとなさい!」
すかさずバーバラが叱りつける。
「落ち着いてください。ロジャーさまを疑ったりは致しません。ロジャーさまはそんな方ではありませんし、そもそもこの屋敷のご当主ならば、何も屋敷裏で受け渡しする必要もありませんから。会話の相手はおそらく従僕の以前の雇い主ではないかと思います」
使用人がかつて「旦那さま」と呼んだ相手を、すでに雇用関係がなくなったあとも習慣的にそう呼んでしまうというのは、別段珍しい話ではない。
「しかも『困ります』と言っていたということは、従僕はそもそも盗み出すつもりではなかったのかもしれませんね」
ビアトリスは考えながら言葉を続けた。
前の雇用主はおそらく何か適当な理由をつけて、あの首飾りを「少しの間」持ち出すように従僕のグレアムに持ち掛けたのだろう。もしかしたら「以前自分の家にあった品に良く似ているから、間近で確認してみたい」とでも言ったのかもしれない。
従僕は以前の雇い主を信頼してつい応じてしまったが、その人物は従僕の意に反して無理やりに首飾りを奪いとる。そして従僕はことの重大さに震えあがってそのまま姿を消した、といったところだろうか。あるいは以前の雇用主が口封じのために、従僕を無理やり連れ去ったのかもしれない。
「それでは、従僕の以前の雇い主は誰だったのかを教えていただけますか?」
高位貴族の使用人は、前の雇い主の紹介によって雇用されるのが通常だ。ゆえに保管されている紹介状を検分すれば、以前どこの屋敷に勤めていたかがたちどころに分かるはずである。
ビアトリスはそう勢い込んだが、そこでさらに厄介な事実が判明した。グレアムが雇われたのは二年前だが、その後使用人部屋で小火があったため、当時の記録が焼失しているというのである。おまけに彼を雇い入れることを決めた先代の執事は、すでに病で亡くなっているとのことだった。
「書類が残ってなくたって、誰か聞いた者がいるはずよ! ぐずぐずしないで調べなさい!」
バーバラの号令の下、再びすべての使用人が集められ、聞き取り調査が行われた。
そして年老いた女中頭から耳寄りな情報がもたらされた。
「はっきりしたことは存じませんが、先代の執事が『グレアムは閣下のご紹介だから身元は確かだ』と話していたのを記憶しております」
「閣下、ですか……」
「はい。確かにそう言っておりました」
老女は重々しく言い切った。
その場に奇妙な沈黙が下りる。
ビアトリスは己が耳にしたことが信じられない思いだった。
なんとなれば「閣下」とは、公爵と侯爵、そして辺境伯にのみ許される称号だったからである。