25:芋くさ夫人の市場偵察
今日も今日とて、屋敷内の環境を向上すべく、私はちょこまかと動き回る。
ついでに、昼過ぎにはケリーの買い出しにもついて行った。
辺境の市場は小規模で、以前馬車の中から見た王都の市場とは大違いだった。
必要最低限の肉や魚、森で採れた山菜やキノコや果物が売られている。
野菜や穀物もあるけれど、数が少ないし萎びていた。
ケリーがメイド服を貸してくれたので、市場にいる誰もが、私を芋くさ令嬢だとはわからず、お屋敷に勤めるメイドの一人だと思っているようだ。
「新しい領主様は、とってもハンサムらしいね。私も見てみたいもんだよ」
早くもナゼル様の話題が、市場のおば様方の間で広がっている。
「でも、どういう人物なのかまではわからない。心配だよ。前の領主は、そりゃあ酷い奴だったからね」
前の領主の話題が出たので、私は彼女たちに色々と質問してみた。
昨日のナゼル様の話も、気になっていたんだよね。
「以前の領主様は、どんな方だったのですか?」
「とんでもない奴だよ。いや、そいつに限らず、この地を治めていた領主は代々碌でもなかった。だが、一つ前の領主は特に最悪だったってことさ」
「なるほど。私はこちらへ来て日が浅いので、よく知らないのですが……」
そう言うと、お喋り好きのおば様たちが率先して知りたいことを教えてくれた。
「阿呆みたいに税金を取って贅沢し、領民をただ働きさせてヘンテコな屋敷を作り、可愛い女の子を見つけると屋敷に攫うような奴さ。気に入らない人間は徹底的に排除して……そうそう、凶暴な魔獣も飼っていたね。人間が飼うような種類でもないのに。物好きなお方だった」
なるほど、あのお屋敷の諸々の品は……巻き上げた税金で買ったものだったのか。
売り払って使用人を雇った残りのお金は、領地のために使おう。ナゼル様に渡せば、きっと役立ててくれるはずだ。
「暴力的で平民を同じ人間だとは思っていない。あいつが魔獣に襲われてホッとしている人は多いさ。次に、まともなヘンリー様が来てくれて、ありがたい限りだよ。だから、新しい領主様には悪いけど、大して期待はしていないんだ」
おば様方の話は、がっくりするような内容ばかりだった。
前の領主たちのとばっちりもあって、ナゼル様は辛い思いをしているのか……
なんとか、皆に信頼してもらえればいいのだけれど。
「アニエス様、そろそろ屋敷に戻りましょう」
こっそりとケリーが私を呼ぶので、大人しく彼女のあとに続く。
「それにしても、ケリーはすごいね。王都でも優秀だったけれど、辺境でもすぐに適応しているし」
「そんな、私なんて……ただのメイドですし。主に恵まれているだけです」
前の主はミーア王女殿下だったものね。
彼女と比べれば、大抵の人間は「いい人」に分類されそうだ。ナゼル様は本当にいい人だけれど。
屋敷に戻ると、先にナゼル様が帰ってきていた。
「ナゼル様、ケリーと買い出しに行ってきました」
「おかえり、アニエス。メイド服が可愛い……いや、それより、大変なんだ」
「大変? どうかしましたか?」
いつにない慌てぶりのナゼル様を見て、私の心に不安が芽生える。
「庭に植えた苗が」
昨夜のナゼル様は酔っていたけれど、皆で苗を植えたことは朝のうちに話してある。
「苗が……どうかしたのですか……?」
応えつつ、私の頭は「これはマズい!」と警鐘を鳴らしていた。
まさか、まさか、枯れてしまったのでは……!?
それを見つけた第一発見者が、ナゼル様だなんて……! ああ、無情……!!
「アニエス、とにかく、来て」
ナゼル様は私の手を引いて、ずんずんと庭を進んでいく。
しばらくすると、びっくりするような光景が目に飛び込んできた。
「苗がっ、苗が……!」
私はパクパクと口を動かす。
目の前に立ち塞がっているのは、昨日植えた苗……であるはずだ。
今朝、枯れかけていたそれは、今や屋敷よりも高く成長している。茎だって極太だ。
「ナゼル様、これ、なんの苗でしたっけ?」
「たしか、普通のヴィオラベリーのはず」
ヴィオラベリーは、ブルーベリーによく似た、この国独自の果物だ。暖かい土地で育つと言われており、甘くて大きな実がなる。
大きいとはいっても、直径が親指くらいなのだけれど。
巨大な木に実っている果実は、手のひらほどの大きさだった。
「なんで、こんなことが起こるんだろう。成長が早すぎるし、植物自体が大きすぎる。調べたところ、特に害はないみたいだけれど」
ナゼル様は不思議そうな顔で、もはや苗とは呼べない物体を観察している。
そんな彼を眺めつつ、私は焦っていた。
「も、もしや……」
そう、私には、心当たりがあったのだ。
萎びた苗を見てショックを受け、やけくそで適当にかけた強化魔法……
「ひぃ……っ」
もしかして、私は、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか?
「アニエス? 何か、知っているの?」
ナゼル様が、めざとく私の反応に気づいてしまった。や、やばい……
「……アニエス?」
私の横に立ったナゼル様が片眉を上げつつ、顔をのぞき込んできた。相変わらず美青年だ。
琥珀色の眼差しに見つめられてうろたえた私は、オロオロと目を泳がせる。
「そ、その」
「ん?」
ナゼル様、顔が、顔が近いです!
「アニエス、教えてくれないなら、ずっとこのままだよ?」
そう言うと、彼はあろうことか両手で私の顔を挟んでロックオンした。目の前に迫る美形フェイス。私には、刺激が強すぎます。
「うああああ……」
一瞬にして音を上げてしまった私は、強化魔法を植物にかけたことを、正直にナゼル様に白状したのだった。