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9.ソフィーと父

 浴場を出た私は、案内された寝室のベッドに倒れ込む。

 ……あの浴場での涙はちょっと不覚だったかも。


 石鹸が目に入ったと言い訳したけれど……。

 まぁ、いいか。くよくよしても眠気には勝てない。

 ふかふかのベッドの中へ溶けて、消えていけばいい。


 やっと寝れる。


 ……。



 そして、私は夢を見た。

 奇妙な夢だった。私は私の人生を追体験していた。


「……ふん、お前が俺の娘なのか」


 父親のジョレノ・セリアス公爵にそう言われたのが、私の最初の記憶だ。

 とんでもない親だった。


 私が公爵家の生まれであることは確からしいけれど、生まれたのは貧民街だった――というのはメイドの立ち話で聞いた話だ。


 私の母親は公爵家に仕えるメイドで。

 お腹が大きくなって、公爵家から追い出されて私を産んだらしい。

 で、母親は私を産んですぐに死んでしまった。


 貧民街で育つ私に転機が訪れたのは、3歳の頃。

 なんと父親が私を呼び寄せたのだ。


「息子が死んでしまってな。お前は魔力が強い。だから引き取った」


 その時はジョレノ公爵の言葉をなにひとつ理解できなかった。

 でも今ならわかる。私は父親の金稼ぎのために呼ばれただけだった。


 父は私に向かって、よく言った。

 

「無駄遣いはするな。魔力の扱いを覚えろ。金を稼げ」


 セリアス公爵家は錬金術で身を立てた家だ。

 だから古い本や設備はたくさんあった。


 先生もおらず、鞭打たれながら私は必死に家に残された知識を吸収した。


 大変だったけれど、勉強は嫌いじゃなかった。

 結果を出せば父は私を責めないし、メイドの陰口も聞かなくて済む。


 ――自分の人生、というものに集中できた。

 その先が王子の元での搾取労働だったけれど。

 

 それが15歳までの私の人生だ。


「金がない、金がない」


 それが父親の口癖だった。

 毎日高そうなお酒を飲んで、いつも猟に出かけていたのに。


「ウチの領地は天災で大変なんだ。お前も質素にして、働け」

「領地の経営? そんなもんは下々がやればいい」


 そして15歳になった頃、父は愛人のひとりを屋敷に住まわせた。

 私が王子へ売られたのはその直後だった。


「……私は邪魔になったんだ」


 前世の記憶が戻って、はっきりわかる。

 夢の中でも言葉にするには勇気がいるけれど。


「私、愛されてなかったんだなぁ」


 そこで私の夢は終わった。

 


 むくりと起きる。

 16歳のこの身体は、短時間睡眠でもばっちりだった。


 ベッドは3人でも寝れるサイズで、ずっと寝ていたい。

 でも――お腹がとても空いていた。


 睡眠欲のあとにはすぐ食欲。

 身体はなんとも現金なものだ。


「お目覚めかい?」

「――!!」


 声にはっとすると、寝室の隅でアズールが本を読んでいた。

 ゆったりと寛いでいたらしく服もラフなものだ。


 濃いブラウンの服、それにジーンズめいたズボン。

 机に肩肘をついている彼は、それだけでひどく絵になっていた。


「起きたら話し合いたいことがあってね。待たせてもらってた」

「そ、それは……どうも」


 アズールの目の前にはコップがふたつある。

 両方を手に持つと、アズールがベッドへと近寄ってきた。


 ゆったりと、遅く。

 その速度がなんだか私を安心させた。


「冷製のポテトスープだ。美味しいよ」

「……ありがとうございます」


 差し出されたコップのひとつを受け取り、口につける。


(優しい味だ……)


 芳醇な香りと濃厚な味が口いっぱいに広がる。

 隠し味は玉ねぎとにんにくだろうか。


 クリーミーで飽きさせず、胃が欲している味だった。

 一気に飲んでしまうのは気が引けるけど……我慢できない。


 ……ごくごく、ふぅ。


「いい飲みっぷりだね。おかわりならあるよ」

「ぜひ、お願いいたします。ついでに他のお料理もあると……」

「準備させてるよ。で、その前に――」


 アズールがカーテンのかかった窓に目を向ける。

 カーテン越しの光はオレンジ色に染まって、夕方なのを示していた。


 えーと、館での騒動が朝一番のこと。寝たのが多分、10時くらいだ。

 たっぷり6時間くらいは寝てた計算になる。


「今回の婚約、本当に急だったよね。ソフィーだけ連れてきちゃったし」

「ええ、まぁ……」

「あの館に大切なモノとかなかった?」


 いまさらなような気がするけれど。

 でもアズールはなんだか子犬のようにしゅんとしていた。


 そういうの、ズルいと思います。


 私は気を取り直すために咳払いした。


「あの館に私物はないので、お気になさらなくても」

「良かったぁ~、そうだよね。なんていっても自分であそこを爆破しようとしたんだから。あるわけないか~」

「ひ、人聞きが悪いですっ! そこまではしようとしてません!」


 そう? とアズールが首を傾げた。

 

「ま、それならいいんだけどさ。でもご実家のほうにはあるでしょ」

「……うーん、まぁ回収したいモノはあります」


 正直、実家にも思い入れがあるのは錬金術絡みのアレコレだけだ。

 あれらは私のご先祖様からの引き継いだものだから。


 でも、なんでそんな話を……?


「そうだと思った。じゃあ、ちょうどいいよね」

「はい?」


 アズールが笑みを浮かべてカーテンを開け放つ。

 眼下にあったのは、忘れもしない山々と村。


 私の生まれ故郷、セリアス公爵領だった。

 絶句しているとアズールが面白そうに笑っている。


「来ちゃった♪」

「なっ、あっ……」

「ご挨拶もしないで連れ帰るのもなぁーって思ってね。悪くない考えでしょ」


 リディアル帝国はランデーリ王国の北にある。

 セリアス公爵領は王国の北西部……微妙に遠回りだけど、寄れなくもない。

 

 しかし考えてもやるだろうか。

 あんな騒ぎの当日に……!


 が、アズールに対する疑問は公爵領を眺めていて吹っ飛んでしまった。


 嘘だ。

 そんなはずは――。


 あれが公爵の屋敷……?

 記憶にある姿と全然違う。


「……どうしたの?」


 私の育った屋敷が、すっかり別物になっていた。


 以前の2倍ほどの大きさになって、新築のようにしか見えない。

 屋根も何もかもが夕陽に向かって輝いている。


 これは、どう考えても……。

 答えはひとつしかない。


 私があんなに苦労してたのに。

 死にかけて、命を賭けて抜け出そうとした日々の裏側で。


 父はのうのうと豪華な屋敷を手に入れていたのだ。

 それを理解した瞬間、私は心が冷え切るのを実感した。

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