13話 眠る魂は、主に呼ばれ覚める
秘剣・樂蓮。
細剣の原型を基に桃麻睡蓮を素材としたもの。
桃麻睡蓮は仙界にある天水一園に咲く薄黒い睡蓮。天水一園は青空を完璧に映し出し、水平線が無ければ一面の青空にしか見えないとても美しい花園である。
桃麻睡蓮は基本水があればどこでも咲くが、天水一園にしか適応していない。そして極稀に人界へと種が落ち、人界で咲いてしまう場合がある。その花は、他の所で咲いてしまうとある異変が起こる。
それは、皮膚が花弁に接触した時、とてつもない脱力感が体を襲い、思考と五感全ての機能が停止する。
症状は人間も仙人も同じだが、これを治せるのは治療に精通している仙人のみ。
故に、人間が触れたら最後、終わり。
それを防ぐために、それを回収することを生業としている仙人も居るくらい他で咲いてはいけない花。
尚無鏡が素材としたのは天水一園に咲くものではなく、他の場所で咲いていたもの。
その記憶が、解き放たれる───────
鍔の閉じていた花が開く。
黒い睡蓮。
「───────────」
剣を右に払う。
花束でも振ったかのように、軌跡には花弁が舞っている。
もちろん、それがまやかしや目くらましでないと赤い長身は悟っている。
けれど、いくら注意深くしたところで、花弁は自然に左右されるしかなく、揺らめく花弁が一枚、赤い裾に触れた。
刹那。
「!─────……」
動きが止まった。
その隙を逃さんと尚無鏡は刃を下ろす。
その刃はしっかりと、左肩から腹部まで斬りこんだ。
「んぐ……かっ!」
自由を取り戻した長身は後退し、肩口を抑える。
なんだ……今のは。何が起こったのだ……
体が一切動かず、まるで時が止まったかのようだ。
彼女から出でた花弁に秘密があるのは間違いない。これをくらわぬよう防がなければならない。だが、そうなれば動かなくてはならない。動けば空気の流れが乱れ、かえって危険、自殺行為だ。
体力は問題ない。傷も癒せる。
だが何度もくらえる訳ではない。無傷でさらに早期の攻略が必要。
長身が呟く。
「知ってはいましたが、まさかここまでの効果だとは思いませんでした」
「知ってたんだ。それじゃ、もっとその体に教えてあげる」
解憶・樂蓮は剣の軌跡を辿るように花弁が舞う。
そしてその花弁に触れられた者は1秒間、体全体の力が抜け、さらには思考の制限、五感全ての停止が襲い掛かる。
たかが1秒とは思うが、戦いの中で1秒は大きな時間。その1秒で勝敗が決する場面も少なくない。
先ほどの長身を見てわかるように、花弁が触れる場所は何も『体』でないといけない訳ではない。身に着けている物に触れても効果が降り掛かる。
秘剣にすることで、基の効果を飛躍的に向上させることができる。
秘剣・罅樹も同様である。
さらに、剣の所有者である尚無鏡がこの花弁に触れてもそれらが襲い掛かることは無い。
まさに一方的。
「チ───────ッ」
「────────────」
長身は向かって来る細剣を必死に弾く。
振り下ろされれば、その分多くの花弁が舞う。何としてでも最小限に抑えるしかない。
火花と花弁。
黄色と黒色。
距離を取って高速で懐に入る立ち回りをしていた長身が、たった一つの技でそれを封印せざるを得なくなるほどの脅威があの花弁一枚一枚に詰まっている。
隙を見て斬ろうとするも防がれる。
その時、尚無鏡は動きを変える。
後方に跳びながら剣を払った。
長身の恐れていた振り切り。
数多の花弁が目前に広がる。
長身も後退する。
今回は運が良く、こちらまで花弁は届かず、地面に落ちて消えていった。
長身は思考を巡らせる。
地に落ちれば消える、ということはこの間合いのまま攻撃し続け、尚無鏡の体力を消耗させ解憶を維持できなくさせればいい。
私は花弁が地に着いても残ると思っていた。私を止めた最初の一撃の後、地にある花弁は0だった。剣の方に意識を集中しすぎていたな。
解憶は、発動そのものには体力を消耗しない。だがそれを継続させるには体力を削らなければならない。どれだけ削られるかは武器次第だが、尚無鏡を見るに消耗はあまり激しくないようだ。
だが、こちらは───────
この間合いになって初めて猶予が出来た。
互いが睨む。
そしてまさかの。
「な───────!」
もう来ないと思っていた懐に潜り込んでくる戦術。くらう覚悟で繰り出したか。
尚無鏡は驚愕したものの遅れは取らず、迫りくる剣に打ち付けた。
その時だった。
打ち付けた剣は弾かれ、開いていたはずの鍔の蓮は閉じ、軌跡に沿った花弁も消えた。
「あなたがワタシに隙をくれたのです」
「何をしたの……?」
「戻しただけですよ。最初の状態に──────」
この赤い剣には、触れたものを一つ前の状態に戻す効果がある。
でなければ説明がつかない。
大幅な体力消費、そして動きの大きいパリィ故、連発することはできないと考える。
だが戻してしまえば、それがその段階に到達することは数十分不可能となる。故に解憶・樂蓮は封じられた。
尚無鏡もそれを感じ理解した。
そう、解憶は使えない。
ならば───────
「─────魂覚・樂蓮!」
残された手の『もう一つ』。
正確には解憶の次の段階。本来なら解憶継続中に魂覚をするのが好ましいが、解憶を封じられている今、その段階を飛ばすしかない。
体力を消耗してでも、脅威は祓わなければならない。
剣を振り払う。
花弁が舞っていた軌跡は、青く澄み渡る跡へと変貌した。
まるで次元が裂け、そこから青空を映した凪の海が見えるように。
人界へ落ちた種が夢見た桃源郷。
長身は、この状況で使ってくるか!という顔をした。
思ってもみなかったのだろう、それが一瞬の隙となった。
斬り上げる。
顔の下半分を覆っていた赤い布は斬り裂かれ、ヒラヒラと宙を舞い青い軌跡に触れ止まる。
この長身は男だ。輪郭、喉仏。
声では判断できなかったがようやく確認できた。だが全貌が明らかになった訳ではないので、正体までは突き止めることができない。
それでも───────
「はぁあ───────!」
男に向かって振るう。
本来、解憶を介して行われる魂覚・樂蓮は結界を展開する。
だが今回の魂覚・樂蓮は解憶を介していないため、効果の反映方法は解憶を引き継ぐ形となった。
それでも触れればほぼ即死。
花弁に触れれば1秒間、対してこちらに触れれば永久に停止を余儀なくされる。
攻撃を避け、空を斬らせば、そこに停止の斬撃が残る。
先ほど同様に、剣で弾き、最小限に抑えるしかない。
否。
男も学習している。
花弁の舞うタイミング、青い軌跡の出るタイミング、どちらも尚無鏡が攻撃した時にしか出なかった。
こちらの攻撃が防がれたあの時、花弁は出ず、尚無鏡は後方に跳んで剣を振るった。
それを、させない。
「ふっ!」
連撃。
防がざるを得ない状況に持ち込む。
攻撃の隙は与えない。
迎撃。
防がざるを得ない状況に持ち込まれた。
攻撃の隙が一切ない。
これ以上は体力がもたない…。
斬られてもいい、それが致命傷じゃなければ奇跡!
「ハ───────!」
互いの一振りが、互いを強制的に後退させた。
黒い鍔は閉じ、切らした息を整える。
されど、赤い男は剣を地面に突き刺す。
何が繰り出されるか、尚無鏡は剣を構えるが、繰り出されるものは無く、出てきたのは言葉だった。
「──────そろそろですね…アナタが聞きたがっていた話をしましょう」