22話 惑乱の嘘、雪辱の流星
「あ、あなたは……?」
黒い衣に身を包み、あまり整えられていない茶髪を揺らしながらこちらへ歩み寄ってくる。
「俺のことなんかどうでもええ。それより見てたで、さっきの。何でバッと動けへんかったん?」
「───────」
何故動けなかったか。
理由?もちろん僕が弱いからだ。覚悟が足りなかったからだ。今宵歩もうとしていた少女がいきなり目の前で刺されたのだ。強かったら彼女達のように速戦即決が出来たはずだ。だが結果はこれだ。
故に、哀れ。
「はぁ、何か喋れや。まぁええわ、重要なんはそことちがう。ええこと教えたろか?」
「良いこと……?」
「せやで。えらいしょぼくれてる君にはもってこいの情報や」
黒衣の男はそう口にすると、地面に転がっている妖鬼の頭を鷲掴みにして前に出す。
「この妖鬼をここへ送り出した奴を俺は知ってる」
「!?」
知っているだって!?
気付いた時には既に目は限界まで開いており、姿勢も欲しさのあまり前のめりになっていた。黒衣の男はククッと笑い、掴んでいた妖鬼の首を後ろに放り投げた。
「知りたいか?知りたいよなぁ。女の子の前で恥かいた雪辱果たせるチャンスかもしれへんもんなぁ」
この時柳燃は、背後から刺された明萋歌、迅速に対応できなかった自分に心が支配されており、黒衣の男秋河の怪しさに目を向ける余裕などなかった。
さらに秋河は下卑た笑みを浮かべながら歩み寄る。
「しゃあないなぁ、特別やで?」
黒衣の男は僕の耳に口を近づけてこう囁いた。
「妖鬼呼んだん、尚無鏡・陳湛と一緒におった崩星なんやで─────」
「!───────」
「ビックリしたやろ?俺もビックリしたさかい。ていうかあんなに人数いはって単独行動しよう思うってめっちゃ怪しかってん。それでついていったらビックら仰天。妖鬼を哥哥の方に向かわして来おった」
秋河は柳燃の肩をぐいっと掴んで、目と目を合わせるようにした。
その目は漆黒。角膜は月をも覆い隠し、月光一つ漏らさない程の夜空に浮かぶ雲のよう。瞳孔は全てを飲み込む大海の渦のよう。
僕の意識はいつの間にか、彼の瞳に包まれていた。
「これは俺の予想なんやけど、哥哥狙われてる思うで。こうやってどんどん哥哥の周りから人を消していって最終的に哥哥を殺る寸法やと思ってる。性格悪い奴っていうんはそれが好きなんや。弱い奴を孤独にしてから殺す。ええんかこのままで。弱い奴や思われたままで。それでええんやったらあの女の子も二人もお陀仏や」
「よくない」
「せやろ?それやったら今すぐあのガキの所へ向かうんや。ほんで殺せ。これで哥哥の雪辱綺麗サッパリ晴らせるで」
直後、柳燃は腰に携えてある剣の柄を握って、飲み込む渦から沈んでいく太陽の方へと目を向けた。
「方向は、わかりますか?」
「どこやっけか。鍛冶屋って言うとったし、真っ直ぐで大丈夫だと思うで」
柳燃は上半分だけとなった太陽目掛け跳んで行った。
そのさまが可笑しくて仕方ない秋河は止めていた呼吸をやめ、やっと息を吸えるように腹の底から笑い転げた。
「ギャハハハハハハハ!ほんまにアホやあいつは!正真正銘のマヌケ、傑作や!」
ヒィヒィ言いながら息を整え、腹部を抱えながら秋河は起き上がる。
「あー、腹千切れるか思たわ。こないに笑うたのは何百年ぶりやろか」
「こんな所でふざけてないで、真面目にやってください秋河」
すると、展望台に入る階段から籠った声が聞こえてきた。
その姿は人ではなく、黒曜石を纏ったリザードマンのようで、長い左腕を揺らしながら秋河の傍に歩んでいく。
「クッソ真面目にやってんで曜血鬼。心が弱い奴はほんま操り易いな。そっちはどうなん?偵察の結果は?」
「外れの方から男が二人冰有国に向かってきているのが確認できました」
秋河は柵に寄りかかる。
「さっきの一件で、あいつ等が森で見たんが晄導仙華なんは確定した。ほんでその近くには陳湛、ってなるとその男二人は魏君と木煙で決まりやな」
「その二人は、俺が相手にしますか?」
「いや、それは俺が相手する。あんたはしばらくここで待機やな。晄導仙華と陳湛が別々になったら機を見計らって陳湛を襲撃や。もし何かあったら呼ぶわ」
柵に寄りかかった姿勢を直して、首を鳴らす。懐から取り出した賽は指の間を転がり、一度宙を回転した後、手中に収まる。
黒衣の中からカチャンと金属の当たる音が聞こえる。すれ違う直前、秋河は曜血鬼に言葉を掛ける。
「ほな、俺は行って来るで。ま、待機とは言うたけどなんかヤバそうやったら独断で動いても全然ええからな」
秋河は展望台の階段を下りていく。曜血鬼は柵の方へ歩んで小言を呟いた。
「待機か─────本当にお前は効率が悪すぎる。然るべき時が来たとき、お前の指示下にはもう俺は居ないかもしれん。だがその手に持つ七厄賽がどのタイミングで、どのような影響を及ぼすかはまだ未知数、もしかしたら俺の言葉は撤回せざるを得ない可能性もある。言う通りしばらく待機、いや、見定め出せてもらうぞ。この一千年間の計画を───────」
◆
「思ったより時間掛かったなぁ。鍛冶屋に行くだけとはいえ祭りの準備期間を舐めていたな……」
崩星は腰に模造品をぶら下げながら、繁華街を歩く。太陽は沈み、冰有国は鮮やかな黄色に彩られる。
人が多い場所は本当に人が多く、寄り道をしようと思ってた店は行列、挙句の果てには事故の目撃者の一人として話を聞かされ、こんなに時間を取られてしまった。
尚無鏡達にはゆっくり観光してほしかったので丁度いいと言えば丁度いいのかもしれない。だがもう日は暮れてる。少し急ぎ目で氷茁閣に向かって剣の模造品を渡しておこう。
崩星は繁華街の脇道へ入り、人通りの少ない大きい通りに出た。
瞬刻。
「!───────」
こちらに何かが飛んでくる。崩星は咄嗟の判断で腰に下げていた模造品をさっき通ってきた脇道へ放り投げる。結構厳重に梱包してもらっているので、傷とかはついていないはず……。
迫りくる落星を迎え討つべく、崩星は携えた剣を抜く。黒い剣身とくすんだ黄金の刃が白い流星へと牙をむく。その後、1秒も経たずして高い音が響き渡り、烈風が辺りを襲う。それを目撃した民達はこの大通りから離れていく。
目前を確認。飛んできた星の正体は───────
「君はあの時の……名前は確か、柳燃だったっけ?」
「お前に名前を呼ばれる筋合いなど無い!よくも!妖鬼を使って明萋歌さんを!」
これは─────ああ、何かに洗脳でもされたな。しかも妖鬼ときた。ここら辺で妖鬼が関連しているとすれば何かしたのは妖血歩団の長である秋河しか考えられない。彼に対する第一印象は「ひ弱そう」だった。それならあの程度の者の洗脳にもかかるだろう。ただ、問題はどう冷静にさせて戻すか。
それを模索しながら戦っていくしかなさそうだ。
鍔競り合った剣を互いに押し返し、ある程度の間合いができる。
「許さない……必ず僕が…!」
されど、落ちてきたばかりの白星はこちらに突っ込んできた。
「─────────」
予想外であった。第一印象で「ひ弱そう」と感じた男からこのような戦術で来るとは。崩星は迎撃態勢に入る。だが、彼の目に映ったのはその後ろにある白い四角。
この瞬間理解した。
柳燃の術色は白。型は範囲術だ。
迫り来るは三つの白。これを剣一つで防ぐのはあまりにも難儀なこと。故に、こちらも使わせてもらう。