5話 春めく宮廷、いつものこと
時は一千年前、匠歩国─────。
晴天の下、幼女を肩車しながら宮廷の庭を歩く。
冬が過ぎてからの風は心地良く、羽ばたく蝶を肩車されている北源は手で追いかける。
「コラ、あんまり動かない。落ちちゃっても知らないよ?」
匠歩国の護衛である尚無鏡は北源に注意する。
「落ちるの怖いからやめる」
「うん、北源はいい子だねぇ」
昼の休憩。
尚無鏡に仕えている武官三人はまた別の所で色々とやっているだろう。戻ってきたらまた忙しくなるだろうし、三人がくる前に遊んであげなくては可哀そうだ。
◇
そもそも何故仙人である我々が人界の国の護衛をしているのかというと近々十年に一度の『誕主宴』が行われるからである。
故に匠歩国主の大誕生祭。
祭りということはいつも以上に人がにぎわっているという事。
そこに妖鬼や盗賊が嗅ぎつけて、国を襲いに来る。
それを防ぐために、その国で最も信仰されている仙人は武官数人を連れ人界へ降り、その国の武弁の力を超えないよう手助けするという命が将軍から下される。
我々の存在は下頼殿の仙人達が持つ方術で辻褄を合わせることができるので特に気にすることはない。
◇
約五ヶ月前に人界へ降り、宮廷の護衛の一人として現在過ごしている。
降りたばかりの頃、二人の少年の稽古のデタラメさに嫌気が差し口を出したところ二人が私の事を師匠と呼び始め、それから彼等の面倒をよく見ている。
北源は匠歩国師の娘であり、仕事の関係上あまり構うことができないので面倒見のいい私に預けた。白い髪をしているので離れていてもよく目立つ。
庭を歩いていると、宮廷の方から声が聞こえてきた。
「師匠!光琅の奴、またサボってる!」
弟子の一人である聶情がこちらに向かって叫ぶ。
「いいんじゃない今日ぐらいは。最近ずっと稽古三昧だったし」
「でもよぉ」
「はいはい。北源、行こっか」
「うん!わたし光琅哥哥の笛大好き!」
「じゃあ私達は光琅の所に行ってくるから、聶情は先に国師の所へ行って誕主宴の準備を手伝ってきて」
彼は「わかりました」と言いながら、くすんだ桃色の髪を揺らして走っていく。
そう言い私と北源はもう一人の弟子である光琅の所へ行く。
聶情は匠歩国の太子殿下[国の王子]で、文武共に忙しくしている印象がある。生意気ではあるが、思い切りのある優しい少年だ。
歩いていると笛の音が聞こえてくる。が、そこに着く頃にはその音はもう止んでいた。部屋に入ろうとすると扉が開いた。
「わっ、光琅!?」
「あっ師匠!」
驚きが交差する。
「笛は終わった?」
「すみません師匠……」
「別に怒ってないよ。ただ様子を見に来ただけ。もし何もないなら国師の所へ行って誕主宴の手伝いをしてきて。もう聶情が行ってると思うから。北源も光琅と一緒に行ってきて私ちょっと用事があるから」
「わかりました。北源行こう」
「うん!」
二人は手を繋いで廊下を歩いていく。
光琅は、実のところ私もよくはわかっていない。わかるのは太子殿下の《《弟》》だということだけ。性格は大人しく、物事をきっちり理解することができる。
それを見送ったすぐ後に澄んだ声が尚無鏡を呼んだ。
「仙華様」
呼ばれた尚無鏡は溜め息交じりに言葉を出す。
「陳湛。そろそろ名前呼びに慣れてくれない?今は人がいないから良いけど、もし人が居たら私が晄導仙華だってバレちゃうでしょ?注意してよね」
「申し訳ございません、せn……無鏡様」
はぁ。この先すごく心配だ。
今までこれが人に聞かれていないことが奇跡というぐらい彼女の癖はいつまでも直らない。
それもそう。彼女、陳湛は私に仕えている武官の一人で、三人の中で最も長く私に仕えていたのだから呼びが定着してしまうのも無理はない事ではある。
ともかく、私の所に来たということはあっちの方は色々終わったのだろう。
そう思い、尚無鏡は陳湛に尋ねる。
「そっちは順調?」
「はい。使用される会場の設営がほとんど完了しました。おそらく少ししたら彼等も戻ってくるでしょう。ただ……」
何か問題か問題でもあるのか、少し詰まった顔をする。
陳湛は話を続ける。
「ここに来る際に噂を耳にしまして。匠歩国の武弁が言っていた話によると、半年前より退治してきた妖鬼の数が少し多いとのことで。武弁の間では何か不吉なことが起こるのではないかと噂が立っていたり、またはただの偶然だと言う人達も居ます」
「なるほど。もしそれが本当なら少し危ないかも。妖鬼が多いのには必ず理由がある。決して偶然なんかじゃないよ」
一呼吸置いて、再び口を開く。
「誕主宴は必ず成功させなければならない祭り《もの》。そして我々はそれを守るために来た者。彼等が戻ってきてお腹を満たしたら宮廷の見回りをしよう。誕主宴が終わるまではそういう日が続くと思って」
陳湛は尚《シャン」無鏡《ウージン」の言葉を聞き頷く。
「そうですね。なので─────」
瞬間、陳湛の手が尚無鏡の腰に絡みつく。さすがに無抵抗であった尚無鏡は情けない声を上げてしまう。
「ちょっ!!な、なにすんの!?」
「終わるまでは厳重な護衛をしなければならない。ということは、夜は基本的に宮廷の見回りで忙しくなります。なので誕主宴までは昼から貴方の体をあj、もm、ほぐすことにします」
「本音出かけたよね?二回も出かけたよね?ちょ!揉むな!」
「いいじゃないですか。揉んだら大きくなりますよ」
「なるか!」
必死に抵抗していると奥から聞きなれた声が二つ聞こえてきた。私に仕えている武官の二人である木煙と魏君だ。騒ぎを聞きつけ止めてくれるかと思いきや、こちらもまたいつものように口喧嘩をしているようだった。
「君がもう少し僕に合わせてくれてたなら、もっと早く準備が終わったのにな!」
「何を言っている?何故高い場所が怖いとかほざいている方に合わせなければならないのだ。俺が先行しているのだから、それを補助する立ち回りを瞬時に判断して行うべきだろう。君は臨機応変という言葉を知っているのか?」
「はぁ!?僕は臨機応変の言葉も知っているし意味も知っている。それにだ、足場が不安定で落ちないとは限らないじゃないか!頭でも打ったらどうする?絶対の安全を十分に整えてから作業するべきだ。君の方がどうかしているよ!」
「何か悪いか?何事もなく設営できたのだから何も間違ってないだろう」
「結果論に過ぎないねそれは!だいたい君は─────」
この『いつものこと』に慣れてくるのが本当に嫌だ。
隙あらば私に猥褻な事をしてくる陳湛。
それに抗う私。
感情的に物を言う木煙。
感情を表に出さず、淡々と物を言う魏君。
仲が良いのか騒がしいのか何なのか。私はこれを理解することを一生拒んでいる。とりあえず体に力を入れ陳湛を振り解き、口論している二人を止める。
「とりあえず皆一回やめる!」
さっきまで騒がしかった場が一気に静かになる。少し間を置いてから木煙が「すみません」と呟く。尚無鏡は咳払いをし、先ほど陳湛から聞いたことを二人に伝える。
「妖鬼の数が!?それは大変なことだ……弱いとはいえ数の暴力を受ければ一溜まりもない」
「そうだな。俺等であれば大丈夫だが、普通の武官や衛兵ではそれに遭遇すればまず耐えられない。俺等である程度片付けてしまった方が良さそうだな」
男二人の言葉に、女二人は頷く。
「私もそう思う。でも四人で行動するのは少し効率が悪そうだから二対二で分かれた方がいいと思うんだよね」
「なら私が」
「僕が行きます─────いででででで!な、何で耳を引っ張るのさ!」
「特に理由はありません。そこに耳があったので」
「意味がわからn───いででででで」
再び尚無鏡はため息を零す。すると魏君が二人を放っておいて私に話しかけた。
「──────もうこの二人でいいですよね?」
「そうだね……」