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「でもそれも、もう二年以上前のことですものね」


 どうにかこうにか笑みを作ったフェリータに、ヴァレンティノも「そうですね」と応じてくれた。


 そう、どうせ過去。宮廷付き魔術師として働くより前の、まだ未熟な頃の、思い出話。


 今となっては取るに足らない話。フェリータだって人柄については、妹からさんざん言われている。


 この際ヴァレンティノたち級友が、彼の変化をロレンツィオの影響のおかげと思いたいならそれでもいい。もとから良い人だということを知っているのは、別に自分だけでもいい。


 それなのに、そうまでしてフェリータが必死に影に追いやろうとした話題を、眉を寄せたヴァレンティノは悪気なく掘り返す。

  

「ただ今でも、やっぱり少し何を考えているかわからないところはあるんですよね。この前の宴会では妙にジーナ様のほう気にしてたし、その視線が結構怖かったりして……コッペリウスの人形を見つけたときも」


「――母は父と別居していて、リカルドはあまり挨拶をする機会がなかったから、声をかけるタイミングをはかっていただけですわ」


 ヴァレンティノの声が止まった。オルテンシアと合わせて二人分、視線がフェリータへと向かう。


 唐突に話を遮ったフェリータは、しんと冷えた応接間の空気に構わずさらに言い募った。


「コッペリウスの人形を気にするのも当然。婚約者と幼馴染みへの悪意に使われたのですし、何より彼自身、……彼自身、十二年前にそれと入れ替わられて、悪人に誘拐されかけたのですもの。まさか知らなかったのでしょうか、星の血統、教会付きともあろう方が」


 ヴァレンティノの顔がこわばって、何か言おうとしていた。それでもフェリータの口は止まらなかった。

 軽々しく言ってはいけないなんてことはまるで頭からすっぽ抜けていた。


「何を考えているかわからない? それこそ、そうやって彼から距離を隔てて、悪意ある方向から色眼鏡をかけて見るから、何も見えてこないのでしょう。ヴァレンティノ様、あなたのそれは主観の感想じゃなく天才に対する嫉妬ですわ。魔術の実力で及ばなかった凡人のね。わたくしが断言できます、リカルドは昔から、ずっと優しい人でしたと。今だってそう、これからだって――」


 あっははははは!


「……何がおかしいんですの、オルテンシア様」


 突然割って入った笑い声の主に、フェリータは剣呑な視線を向けた。

 それでもオルテンシアはソファの上で体を折り、腹を抱えて笑い続けていた。


「ああもうおっかしくって! そうなのフェリータ・ぺルラ、あなたの目にはあの人ってそう見えてるの! 傑作だわぁ、あなた本当に面白い子ね!」


 フェリータは呆気にとられた。オルテンシアが何を言いたいのか、まるで分らなかった。

 なぜ笑っているのかもわからない。今侮辱されたリカルドは、彼女の再婚相手だ。王女は、フェリータとともに抗議するべき立場のはずなのに。

 

 しかしオルテンシアはひとしきり笑うと、頬を緩めたまま、ゆっくり顔を上げてフェリータの方を見た。


「――リカルド・エルロマーニが本当にそんな優等生だったら、とってもつまらなくって、あたくしが手を出すかいなんてないではないの。お嬢さん」


 その微笑みには憐れみが浮かんでいた。


 フェリータの全身がこわばる。まるで呪われた青い宝石に魅入られたときのように、身動きが取れなくなった。


「びっくりしたわぁ、学友どももたいがい目が節穴だと思って聞いていたけど、あなたったらそれ以上! 二人ずっと一緒にいるようでいて、本当に、なぁんにもわかっていないのね、彼のこと」

 

「な、何言って」


「もちろんあの美貌は特別だから、それだけでも王女がそばに置く価値は十分あるけれど、でも彼の美点はそんなものでは終わらないのよ。ヴァレンティノの言葉を借りて“あくまで主観で”言わせてもらうなら、」


「オルテンシア殿下!」


 楽しそうに紡がれていた王女の言葉を、今度はヴァレンティノが遮った。

 有無を言わせぬ強い口調に、フェリータの肩がびくりと上下する。


「……お聞き苦しいことを話してしまい、申し訳ございません」


 そう言った青年はそれまで見せてきた丁寧さや穏やかさを取り戻していた。顔には控えめな微笑みが浮かんでいる。


 フェリータは我に返って血の気が引いた。さっきの発言はとんでもなく失礼だったと、遅まきながら自覚した。


「そもそもロレンツィオの話でしたね。なんでこんなみっともない話をしてしまったんだか」


 ことさら明るく話を変えるヴァレンティノと、青ざめて黙り込んだフェリータを交互に見比べていたオルテンシアも、意地悪な笑みをひっこめて『やれやれ』と息を吐いた。


「本当にね。なにが悲しくて己の婚約者が男にしっぽ振ってた昔話を聞かされなくてはならないの」


「しっぽ振ってるだなんて。みっともないというのは私のことで」


 さらりと出してきた卑屈な言葉のすみに影を感じるのは、おそらく気のせいではない。


「……ヴァレンティノ様、あの、わたくし」


「フェリータ様、挽回させてください」


 後悔に声を震わせたフェリータが、今度は優しく遮られる。

 ばんかい? と繰り返すと、ヴァレンティノはそうと頷いた。


「何か、ほかに聞きたい話はありませんか。ロレンツィオの学院時代でも、少しなら騎士団修行のときのことでも、私が話せる限りのことでしたらなんでも。夫とはいえ、仕事以外の彼のことはあまり知らないでしょう?」


 フェリータが口ごもっていると、オルテンシアが「それよりリカルドの話を聞きたいのだけど」と割り込んだ。


「そうですね……、三回生のときの学科の飲み会で、ザルだと判明したリカルドが終盤で潰れたロレンツィオを介抱したときの話とか、二人が研究発表の準備で徹夜した結果寝過ごして、講堂の窓から飛び込んできたときの話とか」


「却下! リカルドがあのでこっぱちに懐いてる話やじゃれてる話は全部却下! まったく不愉快な男、妹を見習いなさい!」


 勝手に進んでいく二人のやりとりに、フェリータは、もう数分前のことを蒸し返せなくなった。


 そうだ、それでいいのだ。こんな話は続けなくていいのだから。フェリータはそう自分に言い聞かせる。

 ヴァレンティノに謝れていないのは気になったが、彼がそれを望まないなら、もう何も言えない。


 ならばと少し考えて、フェリータは覚悟を決めて口を開いた。


「ではあの、ヴァレンティノ様」


「なんです」と男は機嫌よく応じる。


「ど、どういうときに気が付きました? その、あの人が……ロレンツィオがわたくしのこと、好きだってこと。もしかして宴会場にいたご友人方は皆様知ってらして?」


 理由もわからず顔が火照るのを耐えて聞くと、ヴァレンティノが『あーそうきたか』という顔で口を抑えた。

 そこへ、またオルテンシアの爆笑が響き渡る。


「何を聞くかと思えば、妄想? あなた自分が求婚した側だと忘れたのかしら? そこまであたくしを楽しませるだなんて、道化の才能が……」


 不愉快な笑い声に機嫌を損ねかけていたフェリータは、妄想と言われて『あっ』とオルテンシアの思い違いに気が付いたが。


「えーと、三回生の夏頃から、なんとなくです。気づいてた同級生はほとんどいないと思いますよ。多分私と、あとはウルバーノくらい」


 ヴァレンティノが観念したように話し始めて、オルテンシアの顔が凍りついた。


「明確なきっかけ、というほどのものは無いんです。ぺルラを嫌う割にあなたの動向を気にしていて、けれど他の男子学生があなたの話をするとすぐに話題を変えさせるから、もしかして、逆にすごく意識してるんじゃないかって。そう思って観察していると色々合点がいったもので。こう……選ぶものの傾向が変わったり」


 最後の方は、妙に歯切れが悪かった。


「選ぶもの? ……あ、お、女の子とか?」


「うわすごい鋭い……いえそれだけではなく、お、贈り物とか、こだわって探すようになって」


「あっ、ネロリの香水? わたくしに似せるための?」


「嘘だろバレてる……あの、誤解しないで彼は、」


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとお待ち、待って」


 ヴァレンティノの顔が、なにかに縋るように手を掲げるオルテンシアの方を向く。


「……もしかしてロレンツィオ、このピンク髪のこと好きなの?」



 

 三秒後、オルテンシアの断末魔のような悲鳴が屋敷に響き渡った。



 ***



「信じられないわ……まったくもって意味不明、あの男のことが、ここに来てまっっったくわからなくなった」


 駆けつけたフィリパに寄りかかり「そこまで趣味が悪かったなんて」と嘆くオルテンシアから、フェリータは憮然として目をそらした。


「まさか、ロレンツィオ様が……人ってわからないものですね……」


 真っ青のフィリパが怪物を見る目を向けてくるのも居心地が悪い。別に自分は悪くないはずなのに。


『二人ずっと一緒にいるようでいて、本当に、なぁんにもわかっていないのね、彼のこと』


 どうやらこの言葉も、ブーメランになって発言者に帰っていったらしい。


 けれどほくそ笑む気にはなれない。


(……何だったというの?)


 掴みそこねた言葉の意味が、胸の片隅に棘となって刺さり、残っているから。


「……カヴァリエリ夫人、どうかしましたか」


 無表情で娘と王女を見ていた侯爵が、固い顔で俯いたフェリータに声をかけた。


「いつもの頭痛です」とはぐらかすと、「なら侯爵やヴァレンティノ殿がお使いの頭痛薬を分けて頂いて帰るとよろしい!」と大司教が弾んだ声で割り込んできた。


「体調を整えてお帰りなさい、カヴァリエリ夫人。神のお導きで結ばれた夫君が心配してしまいますよ、ねぇオルテンシア殿下! おや、ちょうど迎えの舟も来ましたな、妻を愛する夫君の屋敷からの迎えが!!」


 オルテンシアの機嫌と反比例するらしい大司教の愉しそうな声に、フェリータは乾いた笑いを返すしかない。


 自分も舟の音で玄関に向かったヴァレンティノについていけばよかった。そう思いながら何気なく窓の外を、礼拝堂のあった方向へと目をそらす。


 ――もし、ロレンツィオとの結婚が、本当に神の意思ならば。


 リカルドとの結婚が実現しなかったことにも、なにか意図があるのだろうか。





「おのれごうつくばりの生臭坊主っ、なにが神の意思なものですか! もし飛び込んだのがフィリパでも、どうせ同じように結婚させたくせに!」


 息も絶え絶えのオルテンシアの血を吐くような反論に、大司教は「神の運命に『もし』はありません」としたり顔で頷いた。




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