◆ 第二章 お飾りの妃は補佐官として奮闘する(6)
「だから、妃教育です。大変で、負担になっているのでしょう?」
ランスは心配そうに、ベアトリスを見つめる。
「あ、お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」
ベアトリスは慌てて両手を胸の前でふる。
こんな個人的なことでランスの手を煩わせるのは気が引ける。それに、ジャンのあの様子ではランスが進言したところで結果は同じだろう。
「本当に?」
ランスは眉根を寄せる。ベアトリスが無理しているとでも思ったのかもしれない。
「はい。それに、割と楽しんでいるんですよ」
「楽しんでいる?」
ランスが聞き返す。
(あ、不謹慎だったかしら)
妃教育を楽しんでいるだなんて、眉をひそめられてもおかしくない。
「ランス様はお優しいですね」
ベアトリスは笑って誤魔化す。
「そんなことは……。ただ、私にもベアトリスさんとそう年の変わらない妹がいたので、気になるだけです」
「妹君が?」
「既に亡くなりましたが」
ランスの表情が寂しげに翳った。
「そうだったのですね。余計なことを聞きました」
ベアトリスはハッとして、謝罪する。
八年前、セルベス国を未曾有の大雨が襲い、王都の一部が洪水になった。ベアトリスの両親が亡くなったのもその災害に巻き込まれてのものだった。
「いえ、謝らないでください。そういうつもりで言ったのではありませんから」
ランスは困ったように眉尻を下げる。
(ランスさん、優しいなぁ)
きっと、亡くなった妹君からするとさぞかし素敵なお兄さんだったに違いない。
「ところで、ランス様はいつ王都に?」
「今日です。今回は少し長めに滞在します。二ヶ月くらいかな。今は陛下に登城のご挨拶に向かうところです」
「そうなのですね。二ヶ月間、ランス様にいていただけるのは頼もしいです」
ベアトリスは笑顔を見せる。
錦鷹団は、公式には記載のない秘密組織だ。そのため、団員達の多くは全員他にも仕事がある。ランスの場合は侯爵家当主として領地経営を行っているため、王都と領地を頻繁に行き来しているのだ。
やがて通路は離宮への分かれ道に差しかかり、ベアトリスはお辞儀をしてランスと別れる。
離宮に戻ると、ベアトリスはまっすぐに自分の席に向かった。すぐにアルフレッドから追加で頼まれた仕事をやらないと期限に間に合わなくなってしまうため、すぐに取り掛かりたかったのだ。
机の上に置いてあった資料を開くとそれは、とある交通事故が、実は被害者に恨みのある貴族令息が裏で糸を引いたものだったという概要だった。
(これなら、明日の夜にはまとまりそうだわ)
複雑な事件だと相関図を作るのだけでかなり読み込まなければならないのだが、思った以上に単純な事件でほっとする。
弁論会で論破されたとある伯爵令息が衆人環視の中で恥をかかされたと逆恨みし、論破した側の子爵令息の馬車に細工をしたということのようだ。何枚か捲ると、馬車に細工するために金で雇ったごろつきの証言も載っていた。
(こんなことをしているようでは、論破されたのも当然な気がするわ)
事件は『逆切れ伯爵令息が被害者側の子爵令息に多額の慰謝料を支払う代わりに告訴はしない』ということで決着を見せているようだ。
被害者側の子爵令息は非常に優秀な文官のようで、たまたまこれから議会にかける予定の大きな政策に関わっていた。そのため、それに反対する政治絡みの襲撃ではないかと懸念が持ち上がり錦鷹団が捜査に関わったようだが、結果としてはただ単に逆切れした伯爵令息のおいたがすぎただけだった。
子供の喧嘩ですか?と突っ込みたくなるような、なんともお粗末な事件だ。
(えーっと、事件の首謀者はライラック伯爵子息ね)
舞踏会で会ったことがある気がするが、あまり記憶にない。浅はかな人物なようなのであまり近づかないようにしようと記憶の片隅に留め置く。
そのとき、「ベアトリス、戻っていたのか」と声がしてベアトリスは顔を上げた。 見るとちょうど通りかかったジャンがこちらを見ている。
「つい先ほど戻りました。あ、団長。追加で依頼された案件ですが、明日の夜には提出できそうです」
「それはよかった。だから、お前なら大丈夫だと言っただろう? 今回も終わらないと青ざめていたが」
「結果論でしかありません。今回はたまたま、事件が単純だったから……」
ベアトリスは口を尖らせる。